« 雲林院 紫野の離宮と平安文学の舞台 | トップページ | 東本願寺 2019夏 »

2019年9月10日 (火)

渉成園(枳殻邸) 2019夏

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

Jny_3664a
※写真は全てクリックで拡大します。

渉成園に行ってきました。「渉成園」は東本願寺(真宗本廟)の飛地境内で歴代門主の隠居所として使われてきました。周囲に枳殻(からたち)が植えてあったことから、「枳殻邸(きこくてい)」とも呼ばれます。

上は拝観入口の西門、下は看板のマップで上が東、青数字は建物、赤数字は名物・景物です。受付で頂いたパンフレットと番号が違います。

Jny_3671a

入り口正面の「高石垣」、石橋、礎石、石臼など様々な石を積み重ねています。拝観順路はここから左に回り込みます。

Jny_3680a

江戸時代前期の寛永18年(1641)三代将軍家光から約一万坪の土地が寄進され、石川丈山の趣向を入れて作庭されました。(向うに庭園北口の門が見えます。)

Jny_3685a

園内の建物は安政5年(1858)、元冶元年(1864)の二度にわたって焼失し、現在の建物は明治初期から末年ごろの間に順次再建されました。(庭園北口までには花壇があり、門をくぐると左に小池があります。)

Jny_3696a

左の「臨池亭(りんちてい)」は広い縁が張り出しています。正面の「滴翠軒(てきすいけん)」は池に落ちる小滝から名づけられ、臨池亭と廊下で繋がっています。 臨池亭の横に「檜垣の燈籠」、その右の小滝から水が小池に流れ込みます。

Jny_3733a

「園林堂(おんりんどう)」 持仏堂で内部は棟方志功による42面の襖絵で飾られています。「園林」とはもともとは中国宮殿の大規模庭園のことですが、仏典では浄土を表わし桂離宮にも同名の持仏堂があります。

Jny_3833a

園林堂と向かい合っている「傍花閣」(ぼうかかく)。楼門作りで左右に山廊とよばれる階段の入り口があり、面白い形をしています。このあたりは桜並木となっていて、春には建物の名にふさわしい景色となります。

Jny_3862a

園林堂の南にある「蘆庵(ろあん)」、2階建ての茶室で、ときどき特別公開があります。階上は煎茶席で、3面に窓があり庭園が見渡せます。

Jny_3866a

露地には「蘆庵の春日燈籠」があります(左端)。江戸時代の作で六角形の笠に降り積もった雪が刻んであるのが特徴です。

Jny_3876a

先ほどの小池からの水が鑓水となって、傍花閣の傍を通って南に流れていきます(最後の写真も)。

Jny_3830a

鑓水を渡って東側にある「亀の甲の井戸」、上から見ると亀の形に石が組んであり、中央に井筒が埋められています。

Jny_3797a

井戸の北にある「代笠席(だいりつせき)」、生垣で囲まれた煎茶席です。ちなみに、代笠席とは、人里離れた地を訪れた旅人が「笠代わり」に雨宿りする席という意味だそうです。右に茶畑があります。

Jny_3781a

「印月池(いんrげつち)」は、東山から上る月影を水面に映して愛でるという意味だそうです。中の島「北大島」のこちら側は「五松塢(ごしょうう)」と呼ばれ、かって5本の松が植えられていたそうです。塢は小さい土手です。

Jny_3918a

池の西の畔から、北大島に渡る橋「回棹廊(かいとうろう)」が見えます。

Jny_3933a

このあたりは「丹楓渓(たんぷうけい)」。左に流れ口の「獅子吼(ししく)」があり、かっては高瀬川の水を引いていました。右に3つの歌碑があります。

Jny_3958a

回棹廊を渡ります。左に「紫藤岸(しとうがん)」という藤棚が池にせり出しています。かっては野生の藤だったそうです。

Jny_4003a

北大島から、向うは丹楓渓で、楓が植えられ紅葉が美しいところです(丹は朱色のことです)。百日紅が咲いていました。

Jny_4068a

「塩釜」 北大島の築山の麓に横穴が彫られ、その底に井筒があります。井戸の形が塩を製造する塩釜とそれを覆う塩屋に似ているので、この名があります。

Jny_4074a

築山の上に茶室「縮遠亭」があり、左は抹茶席、右は廊下でつながっている上段の間です。その名のとおり、かっては東山三十六峰の一つ阿弥陀ヶ峰の遠景が縮図のように見渡せたそうです。

Jny_4096a

石段の上にある「塩釜の手水鉢」 全国の庭園にあるこの形式の手水鉢のルーツで、渉成園の最も重要な景物だそうです。石造宝塔の塔身を転用したもので鎌倉時代の作。

Jny_4104a

石段を降りると池の中に「源融(みなもとのとおる)ゆかりの塔」があります。源融は、嵯峨天皇の皇子でしたが源の姓をたまわり臣籍に下り、「光源氏」のモデルの一人といわれています。

Jny_4136a

九重の石塔は彼の供養塔と考えられ、鎌倉時代中期の作とされます。先日、渉成園近くの源融の邸宅「六条院」の跡地を歩いて、ここに供養塔があることに納得しました。下はサギがいる小島。

Jny_4132a

「浸雪橋(しんせつきょう)」 北大島に渡る木造のそり橋です。頼山陽は『渉成園記』のなかで雪の積もった橋のありさまを玉龍に例えています。頼山陽によって渉成園が世に知られるようになり、十三景も彼にならって順番が変更されたそうです。

Jny_4166a

浸雪橋のたもとにある「碧玉の石幢(せきどう)」 石幢とは、通常の石燈籠と違って笠の部分に「蕨手」という装飾がなく、竿に節がないなどの特徴があるとのことです。なぜ「碧玉」と呼ばれているかは不明だそうです。

Jny_4168a

印月池の北西の辺りに大きな二本の切株がありました。おそらく昨年の台風の被害だと思われます。

Jny_4215a

もう一つの中の島・南大島は「臥龍堂」とも呼ばれます。臥龍堂は、もともとこの島に建てられていた鐘楼堂のことでしたが、安政の大火による焼失以来再建されていません。

Jny_4242a

上の渉成園記によると、印月池を舟で渡って縮遠亭に向う際、縮遠亭の準備が整うと、臥龍堂の鐘を鳴らして合図したそうです。その名の通り、池面に月が映っていました。

Jny_4247a

池の西南の畔に茶席「漱枕居(そうちんきょ)」 漱枕は「漱流枕石」からきていて、流れに漱(くちすす)ぎ石を枕にすること、転じて、旅先にいること、自由気ままに生きることを意味します。

Jny_4220a

池の西に「閬風亭(ろうふうてい)」があります。室内から見る景観は見事でパンフレットの表紙にもなっています。この南の梅林「双梅檐(そうばいえん)」の横に帰り道があります。 

Jny_4264a

昭和11年(1936)渉成園は「文人趣味に溢れる仏寺庭園として」国の名勝に指定されました。園林堂の横のムラサキシキブが色づいてきました。

Jny_3843a

お帰りの前に、ブログランキングの応援のクリック↓をよろしくお願いします。

★こちらを是非よろしく→   ブログ村→にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ
-------------------------------------------------------------------

Jny_3761a

|

« 雲林院 紫野の離宮と平安文学の舞台 | トップページ | 東本願寺 2019夏 »

コメント

作り込まれた園、そんな感じですね。
不自然の自然に生まれる不思議な静けさが広がります。

投稿: munixyu | 2019年9月10日 (火) 12:48

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 雲林院 紫野の離宮と平安文学の舞台 | トップページ | 東本願寺 2019夏 »