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2019年8月10日 (土)

堀川を下る その歴史と流れの復活 

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

少し前ですが晴明神社を訪れた後、堀川を下りました。上は堀川通の東の歩道で、そこから柵の向こうの堀川沿いの遊歩道に入ります。現在では小川ですが、堀川の歴史をたどりながら南に歩きます。

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平安京造営以前、古烏丸谷(烏丸通付近)や古堀川谷(堀川通付近)には自然の河川が流れていました。平安京造営にあたって、川を改修して堀川小路に沿う運河としたのが堀川の起源だそうです。

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平安時代には物資の運搬のほか、貴族の庭園に水を引くためにも用いられ、後に農業用水や友禅染などにも用いられるようになりました。(途中で落差がありちょっとした滝になっています。)

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一方、平安時代には朱雀大路を挟んで対称の位置に西堀河(現在の紙屋川)が造られ、堀川と同様の用途に使用されました。「戻橋」(一条通)、ここで一旦遊歩道から上がります。

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この橋には、三善浄蔵が父を一時蘇生、渡辺綱が鬼を退治、安倍晴明が橋の下に式神を隠すなど様々な伝説があり、戦国時代から安土桃山時代には残虐な事件もありました。

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江戸に嫁ぐ徳川和子がこの橋を渡る際、幕府は名を嫌って「万年橋」と改名しましたが定着しませんでした。近年になっても嫁入りに関わる人はこの橋に近づかない、逆に応召兵は渡りに来ることがあったそうです。

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「堀川第一橋」(中立売通) かっては中立売橋と呼ばれ、江戸時代には幕府が設置した擬宝珠高欄付きの公儀橋でした。『楽州洛外図屏風』には後水尾天皇が二条城への行幸の際に渡る様子が描かれています。

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明治6年石橋に付け替えられ、堀川で最初の「永久橋」として第一橋と名付けられました。伝統的な和風意匠を踏襲し、石工の技術を用いた真円の石造アーチは全国的にも珍しく、京都府有形文化財に指定されています。

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堀川は戦後の度重なる浸水被害や下水道の整備などにより水源が断たれ、昭和後期には川底や土手がコンクリートで囲まれた非常時の放流路となりました。上の写真の向うが「上長者町橋」(上長者町通)、下は「下長者町橋」(下長者町通)。

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しかしながら、市民の間では堀川の流れを復活して欲しいとの要望が根強くあり、昭和60年(1985)川沿いの25団体が美化団体「堀川と堀川通を美しくする会」を設立しました。

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平成9年(1997)に堀川の水辺空間の整備を求める要望書を市に提出、平成14年(2002)から「堀川水辺環境整備事業」が始まりました。「出水橋」(出水通)。

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堀川の水流を戻すため、水を琵琶湖疎水第二疎水分線から導くことになりました。鴨川の下をくぐって紫明通に開渠部分を造り、堀川に導水します。「堀川第二橋」(下立売通)

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平成21年(2009)3月29日に通水が開始され、堀川に水が戻りました。整備事業の延長4.4km、事業費18億円だそうです。ほとんどの橋の下に「防火用せき板」が置いてあります。

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上のせき板を川にある枠にはめることにより水を貯めることができ、災害時に万一水の供給が止まったときにも消火用水や生活用水として利用できるそうです。

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なお、紫明通から堀川今出川までの区間は、街路樹をさけて中央分離帯に「せせらぎ水路」と遊歩道を整備した親水公園となっています。「椹木町橋」(椹木町通)

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整備事業によって川底にせせらぎや遊歩道、ベンチなどが整備されました。

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「丸太町橋」(丸太町通)

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ステージにもなる広いスペースや観客席にもなる階段が造られました。丸太町橋の下流で流れの傾斜が強くなり、水音が聞こえます。

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水を求めて鳥も来ています。

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「竹屋町橋」(竹屋町通) 向うに見える草地は整備された芝生広場になっています。

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この辺りから、西側の土手の様子が変わってきます。

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この石垣は二条城築城に伴って慶長8年(1603)頃に築かれ、昭和14年(1939)に二条城とともに国の史跡に指定されました。「夷川橋」(夷川通)

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石垣の造営を命じられた大名が、それぞれの石材が輸送中や集積場で分散したり紛失するのを防ぐために目印の刻印を付けました。

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多くの刻印は摩耗したり、隠れた面にあるので見えませんが、現在21ヵ所で発見されているそうです。下はどの大名か分かりませんが二重丸が刻まれています。指先のように小さなお地蔵さんがいます。

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右は四角で、左は「是ヨリ北紀州」と刻まれています。慶長5年(1600)から元和5年(1619)まで紀州国を治めた紀州浅野家がここから北の石垣普請を担当したことが分かるそうです。

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「二条橋」(二条通)

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「押小路橋」(押小路通) 堀川はここから暗渠となって、西本願寺の東でわずかに地上に現れるほかは堀川通の地下を流れ、近鉄上鳥羽口駅の西で開渠となりすぐに鴨川に合流します。 

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堀川通からの入口には車椅子が通れる車止めが設置されています。本日・8月10日から12日、18時~21時に「京の七夕」(堀川かがり火のみち)が開催され、

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遊歩道がライトアップされ、様々なイベントが行われます。向こうは二条城の東南の櫓(やぐら)、左は御池通です。

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コメント

小さい川なのに、いろんな橋がかかっていて
面白いですね。位置の問題なのでしょう。
車椅子が通れる車止め、
これは自走式の小さい車椅子ということでしょう。
電動車椅子は不可能だと思います。
車椅子は規格外が多いので車止めは、なかなか難しいでしょうね。

投稿: munixyu | 2019年8月10日 (土) 14:58

★munixyuさん こんばんは♪
車椅子対応といっても、利用者の意見をもっとよく聞くべきだったのでしょう。自転車やバイクを通らないようにする必要があるので、難しいかも知れませんが。

投稿: りせ | 2019年8月12日 (月) 01:49

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