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2019年8月 4日 (日)

大手筋の寺院たち

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

一昨日の記事の御香宮神社を後に、大手筋商店街に来ました。昨年2回に分けてお店を紹介したので、この日はお寺を見て歩きました。商店街の中ほどに本教寺があります。

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「本教寺」は山号を福昌山という日蓮宗本法寺派の寺院です。江戸時代初めの文禄3年(1594)日受(にちじゅ)が伏見城の大手門近くに創建したのが始まりといわれています。

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その後慶長19年(1614)、徳川家康の次女・督姫の帰依を受け、その屋敷があった現在地に移転しました。ちなみに、徳川幕府は3代将軍家光まで伏見城を居城としていました。

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督姫は豊臣秀吉の肝いりで池田輝政に再嫁していて、輝政は居城の姫路城の築城、江戸城・名古屋城の普請を始め、多くの河川や都市開発に従事して、徳川一門以外でもっとも有力な大名となっていました。

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山門を入った正面にある「本堂」は、享保14年(1729)近衛家の堀川御殿を移築したものとされ、本尊の十界大曼荼羅を安置しています。

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山門を入った右手にある「開運堂(妙見堂)」には、輝政と督姫の遺言により池田家に伝来していた北辰妙見尊が祀られています。洛陽十二支妙見めぐりの7番になっていて、本教寺は「伏見大手筋の妙見さん」とも呼ばれています。

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妙見堂の横に鐘楼があり、梵鐘には4つの穴があいています。第2次大戦で供出され材質検査をした跡ですが、溶かされる前に終戦になり寺に戻ったようです。

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鐘楼の前の供養塔には当山17世・英知院日宣の業績が刻まれています。「説法一萬余座」という部分は読めました。

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御香宮神社でも見た「車石」が置いてありました。

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この日はまだ早かったので初めて中に入りました。

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大手筋商店街の西端近くに大光寺があります。「大光寺」は山号を藤澤山という浄土宗総本山知恩院の末寺です。鎌倉時代の文応元年(1260)寛海が堀内村江戸町(東に1キロ)に創建、当初は「大光明寺」と称しました。

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その後、大光明寺は様々な変遷や移転を繰り返し、旧地に残された塔頭「宝厳院」が現在の大光寺に引き継がれています。山門の左前に「徳川家光 傳役 青山伯耆守(ほうきのかみ)屋敷跡」という石標が立っています。

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江戸時代の元和年間(1615-1624)荘蓮社厳譽上人が宝厳院入寺し中興、浄土宗・金戒光明寺末に改め、「大光明寺」の一字を用いて「大光寺」と改称しました。「本堂」には阿弥陀三尊像を祀っています。

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薬師堂は明治初めに再建され、華頂宮の旧御殿の遺構とされますが見当たりません。中に祀られていた奈良県の三笠山の薬師寺から遷された薬師如来像は本堂に安置されているようです。下は「庫裏」。

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山門を入った左には日限(ひぎり)地蔵尊(右)と庚申堂(左)があります。

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日限地蔵は、平安時代の智証大師作といわれ、大光明寺時代のものと思われるそうです。日を限ってお参りすることによって願いがかなう諸願成就のご利益があるといわれています。

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庚申堂には本尊として青面金剛像が祀られています。庚申信仰は江戸時代に庶民の間に広まり、様々な現世利益を求めて庚申の日に徹夜して祈り、会食談義する庚申待が行われました。

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墓地には、伏見奉行所与力・横田蔵之充(すけ)の墓があります。禁猟区の巨椋池で猟をしていた新選組の隊士を注意したところ、逆恨みされて妻と共に殺害されてしまいました。

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大手筋のアーケード街から少し西に「願生寺」があります。いつも山門が閉まっていて浄土宗の寺院ということ以外情報がありません。ただし、その右隣にある観音堂はよく知られています。

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観音堂には「伏見 柳谷観世音菩薩」を祀っています。「柳谷観音」とは長岡京市浄土谷にある立願山楊谷寺のことです。楊谷寺は平安時代初めの大同元年(806)清水寺開創の延鎮僧都によって開かれました。

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ある夜、僧都の夢の中に観音菩薩が現れ「西山に行けば生身の観音菩薩を仰ぐことができる」と告げがありました。西山に踏み入ると、柳の茂る渓谷の巌上に生身の十一面千手千眼観世音菩薩が顕現しました。

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僧都は、その姿を刻み、堂宇を立てて安置しましたが、清水寺のために帰洛しました。後の弘仁2年(811)楊谷寺を参詣した空海は、そばの湧き水で、眼のつぶれた小猿を抱いてその眼を懸命に洗っている親猿を見かけます。

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空海が2匹のために17日間の祈祷を行うと、満願の日に小猿の眼が見事に開きました。以来、空海はその湧き水を眼病に効く独鈷水として広めたといわれます。

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独鈷水は江戸時代の霊元天皇の眼病が治癒したことから、東京遷都まで毎年朝廷に献上されました。明治から大正にかけてご利益が評判になり、各地に別院や観音堂、信者の講が作られました。

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コメント

ふとした疑問ですが、大手筋商店街は御香宮神社の門前町通として発展したのでしょうか?
となると、神社の向きと、商店街の並びが、L字になって、都合が合わないかもしれませんが。。。。

投稿: manabu | 2019年8月 4日 (日) 11:30

街と寺の一体感がいいですね。
寺らしくないところにあって、意外で面白いです。

投稿: munixyu | 2019年8月 6日 (火) 18:16

★manabuさん こんばんは♪
大手筋の始まりは、御香宮神社の門前町ではなく、伏見城の城下町です。秀吉が伏見城を造ったときに、御香宮神社をその鬼門の一に遷してしまいました。

投稿: りせ | 2019年8月 7日 (水) 00:54

★munixyuさん こんばんは♪
それぞれのお寺の間口は狭く、お店の1軒分しかありませんが、境内は意外と広く墓地まであるのに驚きます。

投稿: りせ | 2019年8月 7日 (水) 00:56

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