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2019年8月 9日 (金)

長建寺 中書島の弁才天

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

妙心寺の通年公開の塔頭がまだ残っていますが、今日は伏見散策の最後に訪れた長建寺にしました。豪川にかかる弁天橋の上から十石船の船着き場が見えます。

橋を渡ったところにある「長建寺」は山号は東光山(とうこうざん)、正式名称を辨財天長建寺という真言宗醍醐派の寺院です。橋の欄干のプレートには弁才天を象徴する琵琶と蛇が描かれています。

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山門は、江戸時代建立の中国風竜宮門。下の部分に対して上の楼閣部分が極めて小さいのが特徴で、屋根瓦も上にいくほど小さく造られています。軒の垂木も放射状に付けられるなど、京都でここしか見られない建築物です。

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左にジュディー・オングさんの言葉「山門迎福 門をくぐるだけで福がくる・・・」が書かれています。彼女の版画作品は、日展を始め数々の入選・受賞があり、2002年に発表した弁才天を称える作品の言葉です。

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安土桃山時代の文禄年間(1592-96)この地は伏見城下町で、中務少輔(なかつかさしょうゆう)に任官していた武将・脇坂安治が屋敷を構えていました。(山門の内側に「延命地蔵・子育地蔵」が祀られています。)

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中務少輔の唐名・中書省から、脇坂は「中書さん」と呼ばれました。左は「飛龍大権現」で、困難を乗り切り長寿の神とされ、右の「摩利支天尊」は勝負の神で、かっては戦国武将が信仰、現在は合格祈願が行われています。

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当初、脇坂の屋敷は宇治川の分流で囲まれた島地にあったことから、このあたりは「中書島」とよばれました。脇坂の屋敷は1694年までここに建っていたそうです。(鐘楼と和歌のおみくじ)

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家康が天下を獲った後も、伏見城は政治の中心として征夷大将軍の宣下(将軍の就任式)が行われてきました。土蔵の左前に、江戸時代に前の川(豪川)の弁天浜で三十国船を係留するために使われていた「杭」が置いてあります。

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二条城は将軍参内時の宿舎でしたが、一国一城令の趣旨を守るために1623年の三代将軍家光の宣下の後に伏見城は取り壊されました。天守は二条城に、多くの建物は駿府城を始め、全国各地に移築されました。

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元禄12年(1699)伏見奉行の建部内匠頭政宇(たけべたくみのかみまさのき)が、伏見城廃城以後荒廃していた中書島を再開発するにあたり、深草大亀谷の即成就院から塔頭多聞院を分離してこの地に創建したのが長建寺の始まりです。 

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上は「長建寺古図」で、境内に松の木が生い茂り多数の建物があったようです。寺名は建部氏の長寿を願って名付けられました。下は伏見の名水「閼伽(あか)水」で、手水は 即成就院より移されたものです。

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一方で、1611年に高瀬川が開かれ大阪と京都の中継地として重要性が増しました。伏見奉行は、伏見城下にあった遊廓をこの地に移転、酒の名所でもあり島原に次ぐ賑わいをみせ、祇園をしのぐほどの名妓を輩出したそうです。

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本堂には、本尊の八臂弁才天と脇仏の裸形弁財天を祀っています。弁才天を本尊とする寺は、京都では長建寺だけだそうです。両側に弘法大師と観音菩薩(下)も祀られています。

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弁才天は音楽をもって衆生を救う神で、福徳・智恵・財宝・延命をもたらす七福神の一つです。中書島の遊女は技芸上達の神として信仰しました。(本堂前に「蛙石」があります。)

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弁才天は宇治川や廻船の守護神でもありました。長建寺の鐘は、時を知らせるため、三十石船の往来や非常時のときにも撞かれましたが、戦争中に供出されてしまいました。本堂の前に新しいなで仏(賓頭盧尊者)が置かれていました。

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「弁天型燈籠」 1699年に建部政宇が寺の建立と共に奉納、御香宮や藤森神社にも同型の燈籠を奉納しています。伏見奉行に着任してすぐの時期で、彼の伏見への意気込みがわかります。

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伏見奉行は遠国奉行の一つ、伏見の民政、御所の警護、西国大名の往来の監視など極めて重要な役職で、大名あるいは大名格のもの1名が任命されました。

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建部政宇は外様大名で小藩の播磨国林田藩の藩主でしたが、伏見奉行として功績をあげ後に禁裏造営奉行や寺社奉行なども務めました。下の水天尊は、八方天の一つ西の守護神で、水の神、河の神でもあり伏見では重要な神とされています。

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7月の「弁天祭」は、かっては宇治川に神輿や篝船が繰り出す舟渡御が行われ、大坂の天神祭の起源ともいわれています。中書島遊廓あげての盛大な祭で、祇園からも大勢の参詣があったそうです。

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「マリア燈籠」 かつて、近くにあり御所にも出入りを許されたお茶屋「紅屋」の隠れ座敷の庭にあり、戦後に長建寺に移されました。火袋の下の竿部に十字架のような膨らみがあり、棹の下部に彫られたマリア像を土中に隠して埋めて礼拝したといいます。

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舟渡御は川の流れが変わり昭和26年を最後に途絶えてしまいました。境内の北東にある「福富稲荷」、稲荷大明神を祀っています。

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境内の中央に「護摩の炉」があります。弁天祭と2月の節分祭には、醍醐派修験道の最高の神髄とされる柴燈(さいとう)大護摩修行が行われます。正面のお堂に、

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右から水天尊、不動明王、聖宝尊師理源大師(山伏の本尊)、青面(しょうめん)金剛が祀られています。青面金剛は庚申信仰の本尊で、人間の体内にある三尸(さんし)という3種類の悪い虫を退治してくれるといいます。

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長建寺は江戸時代後期の1826年に再建され、幕府により菊と桐の紋を使用することが許可されました。明治初めの廃仏毀釈により一時衰退しましたが、その後三宝院門跡歴代の尽力により再興されました。

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中書島の発展に大きく関わった長建寺ですが、お祭りや桜の季節以外は静かな境内です。

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コメント

「中書島」市電の行き先表示が懐かし~い。
暑いです。半分とろけてます。思考能力がさらに低下しています。(>_<)

投稿: Tacchan | 2019年8月 9日 (金) 10:46

十石船は、この時期、
夏を感じるには、いいかもしれませんね。
ただ、川面の照り返しがあるだろうから、
午前中の方がいいでしょうね。

投稿: munixyu | 2019年8月 9日 (金) 18:24

★Taccha~n こんにちは♪
今日も京都は暑さ一番(?)でした。39度だったかな。
日中は絶対に外へは出ませんよ。たまりませんわ。

投稿: りせ | 2019年8月10日 (土) 19:27

★munixyuさん こんばんは♪
暑いときに船に乗ったことがありませんが、乗る時は照り返しがあることに注意します。

投稿: りせ | 2019年8月12日 (月) 01:31

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