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2019年7月 9日 (火)

建仁寺 本坊の庭園と襖絵たち

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

昨日は建仁寺に行ってきました。今日は拝観領域の本坊に上がり、庭園と襖絵を見て歩きます。「建仁寺」は建仁2年(1202)鎌倉幕府将軍・源頼家が寺域を寄進し栄西禅師を開山として建立しました。

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元号を寺号とする名誉を与えられ、創建時は天台・密教・禅の三宗兼学の道場でした。(拝観受付の庫裡に上がります。)

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その後、寛元・康元年間(1243-47、1256-57)の火災等で境内は荒廃するも、正嘉元年(1258)東福寺開山・円爾弁円(えんにべんえん)が入寺して復興、禅も盛んとなりました。(本坊の拝観領域の見取り図)

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正元元年(1259)宋の禅僧、建長寺開山・蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)が入寺してからは禅の作法、規矩(禅院の規則)が厳格に行われ純粋に禅の道場となりました。

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やがて室町幕府により中国の制度にならった京都五山が制定され、その第三位として厚い保護を受け大いに栄えますが、戦乱と幕府の衰退により再び荒廃します。ビデオルームに複製の風神雷神図屏風があります(TOPも)。

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「雲の上の山水」 この襖絵は筆を使わず、三遠を表すためにデジタル加工した航空写真を用いています。作者の土佐尚子はメディアアーティストで、京都大学総合生存学館教授(兼任)、工学博士(東京大学)です。

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テクノロジーを用いて襖絵を作るのは新しい創造性だと考え。京都でいちばん敷居の高い禅寺の建仁寺に奉納を申し込んだところ、住職に「禅的ですね」といわれて受け入れて頂いたそうです。

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「○△□(まるさんかくしかく)乃庭」 2006年北山安夫の作庭で、○は苔地や砂紋、△は手前の白川砂の砂地、□は井筒を表します。○△□は禅の神髄を表すとされますが、解釈には諸説あります。左は小書院。

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小書院南間に染「凪(なぎ)」 作者の鳥羽美花は、京都市立芸術大学大学院修了後、日本独自の染色技法「型染め」を駆使して、ベトナムの光景を描いた一連の大作を制作して、新たな染色絵画の世界を切り開いたといわれています。

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床の間の書の作者・仙厓義梵(せんがいぎぼん)は寛延3年(1750)美濃国に生まれ、栄西が建立した「聖福寺」の住職を20年間務める傍ら、ユニークな書画を残しています。気骨の人で悪政の家老を狂歌で風刺して追放されたりしました。

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書画を依頼に来る者が後を絶たず「うらめしや 我隠れ家は雪隠か 来る人ごとに 紙おいてゆく」と詠みました。北の間には鳥羽美花の「舟出」、以上16面の襖絵は開山栄西禅師八百年大遠諱慶賛事業として奉納されました。

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小書院北の間には掛け軸「伝説の湖」も奉納されています。上の凪と舟出の襖絵はクリックするとかなり大きい画像が見られます。

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小書院から「潮音庭」 小堀泰巌老大師(臨済宗建仁寺派管長)の作庭、北山安夫監修による苔庭です。

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高雄の景石を用い、法堂の三尊仏に見立てた三尊石があります。右に座禅石や紅葉などの植栽があり、島と海が表現されています。

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大書院に来ました。ここには様々な書画が展示されています。

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「拈華微笑(ねんげみしょう)」とは言葉に寄らず意志が伝わることで、作者はダウン症の書家として知られる金澤翔子です。書による「風神雷神」屏風が話題になり、下は昨年個展が開かれて奉納されたものです。  

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開山堂の楼門に安置されていた陶製十六羅漢像が展示されています。これらは清水五条の陶器職人たちが、それぞれ自分の最も得意とする技術で作り上げて建仁寺に献上したものです。

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大書院から潮音庭、大小の島を流れが回る様を表すといいます。秋に紅葉するヤマモミジ、ドウダンツツジ、冬の唯一の緑、常緑樹のヤブツバキが植えられています。

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建仁寺の歴史にもどり、安土桃山時代の天正年間(1573-1592)に、安国寺恵瓊(えけい)が方丈や仏殿を移築して復興が始まりました。徳川幕府の保護のもと堂塔が再建修築され制度や学問が整備されました。

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「風神雷神図」(国宝、複製) 左が白の雷神、右が緑の風神のニ曲一双の屏風は異例の形式だそうで、落款や印章もありませんが、江戸時代前期の絵師・俵屋宗達晩年の真筆とされています。透明のケースに入っています。

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潮音庭の西に、渡り廊下を挟んで苔庭があります。

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小書院の「唐子の間」に襖絵「唐子遊戯図」があります。作者は画僧の田村月樵(宗立、1846-1918)で、10歳のとき南画、次に仏画を習い、13歳で独学で写実的な絵画を描きだし、後に洋画に発展しました。

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京都の洋画復旧に努め、明治14年(1880)創立にたずさわった京都府画学校教員となり多くの洋画家を育てました。明治20年頃から洋画排斥運動が起こり退職するも自らは洋画の製作を続けました。

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晩年は知恩院山内光玄院に住し、水墨画による仏画や日本画を描いて余生を過ごしました。上の襖絵はその頃の作品です。この後、方丈を巡り、双龍図がある法堂に向かいました。

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コメント

風神雷神図は、生命感や迫力が凄いですよね。
今にも動き出すような気がします。
凄い作品だと思います。

投稿: munixyu | 2019年7月 9日 (火) 15:13

★munixyuさん こんばんは♪
風神雷神図の実物はそれほど大きくないのですが、迫力があります。

投稿: りせ | 2019年7月14日 (日) 00:55

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