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2019年7月19日 (金)

祇園祭2019 前祭山鉾巡行 後半

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

昨日に続いて、祇園祭前祭の山鉾巡行の後半、13番から23番までです。今まで「動く美術館」とも呼ばれる山鉾の懸装品を紹介してきましたので、今年は山鉾や御神体にまつわるエピソードを中心にしています。

「鶏鉾」 中国の堯、舜、禹が、その施政について諫言しようとする人民に打鳴らさせるために、朝廷の門外に設けたとされる鼓・諫鼓(かんこ)が用がなく苔が生え鶏が宿ったという故事を表しています。

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上の故事から「諫鼓苔むす」「諫鼓鶏」という言葉が生まれました。鉾頭は諫鼓の中に鶏の卵があることを表しているとされていますが、確かなことは不明でそうです。天王座には航海の神・住吉明神を祀ります。

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一方「閑古鳥が鳴く」は静かな森でカッコーが鳴くこと、転じて、客が来なくて商売が上がったりの状態を表します。この言葉の元は「諫鼓鶏が鳴く」だったという説もあります。

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「白楽天山」 唐の詩人・白楽天は官僚でしたが失脚して杭州の長官に赴任しました。そこで木の上で坐禅をしているという道林禅師の噂を聞いて訪ねて、問答に感銘します。

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「そんなところで坐禅は危険だ」、「あなたのほうが危険に見える」、「この辺りは私が治めていて危険はない」、「薪を燃やすように、煩悩の炎が燃えあがっていて、危険だ」という問答で一本取られた白楽天は、

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「仏教の要とは?」、「諸々の悪を行わず、善を行うこと」、「そんなことは3歳の子どもでも知っている」、「3歳の子どもでも知っているが、80歳の老人でもそのように生きることは難しい」

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「四条傘鉾」 昨日の綾鉾のように、織物の垂りなどをつけた傘と棒ふりばやしからなり、古い形態の鉾です。傘の上には御幣と若松を飾っています。

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明治4年以降に途絶えましたが、昭和60年町内の人々により傘鉾の本体が再興され、昭和63年から踊りとはやしが復元されて巡行に加わりました。

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踊りとはやしは、室町時代に京都から広まった風流踊で、今も滋賀県の滝樹神社に伝わる「ケンケト踊」を参考に復元したそうです。「子供棒振り踊り」は国の無形民族文化財に指定されています。

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「孟宗山」 昔の中国の孟宗という人物が、病気の母が欲しがる筍を真冬の雪の中探し回り、ついに掘り当てて母を喜ばせたという話にちなんでいます。御神木の松や粽には、雪を模した綿が付けられています。

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孟宗にちなんで名付けられた「孟宗竹」は高さ25mにもなり、タケノコは大型で肉厚で柔らかく、えぐみが少ないため食用に適しています。67年毎に花が咲くといわれていますが、記録はほとんどないそうです。 

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「月鉾」 夜を司る神・月読尊(つきよみのみこと)にちなんだ鉾です。稚児人形は「於兎丸(おとまる)」といい、明治45年五代目伊東久重の作の現代的な容貌で、その前年までは生稚児が乗っていました。 

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応仁の乱以前から存在していて、もとは「かつら男鉾」などと呼ばれていたましが、天王座に月読尊を祀ることや鉾頭に新月の飾りを付けている事などから月鉾と呼ばれるようになりました。

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「山伏山」 御神体の呪術僧・浄蔵貴所(じょうぞうきしょ)が山伏の姿をしていることから山伏山と呼ばれます。浄蔵は博学で大変な霊力を持っていたといわれ、八坂庚申堂を創建しました。

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909年には、菅原道真の怨霊で病になった藤原時平に頼まれ祈祷すると、耳から龍が出て来て懲らしめるために協力してくれと頼まれました。同意した浄蔵が立ち去ると、時平はたちまち死亡したといいます。

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956年八坂の塔が西に傾いた際には、人々はその方向に凶事があると噂しました。天皇の勅命を受け、大勢の見物人の前で浄蔵が祈ると、西の方から微風が吹き、塔は揺れて震動、傾いた塔は元に戻ったといわれています。

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「占出山」 「鮎釣山」ともいい、神功皇后が肥前国松浦で鮎を釣って戦勝の兆としたという説話によります。御神体(人形)は金の烏帽子に太刀をはき、右手に釣竿、左手に釣り上げた鮎を持って立っています。

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神功皇后は安産の神として祀られてきて、くじ順でこの山の巡行が早い年はお産が軽いといわれています。安産を願う公家、女院や公卿の姫君などからの信仰があつく、多くの御神体の衣装が寄進されてきました。

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「霰(あられ)天神山」 錦小路通室町西入にあるので「錦天神山」または「火除天神山」ともいわれます。永正年間(1504~1520)京都に大火のあったとき、時ならぬ霰が降り猛火はたちまちに消えました。

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そのとき一寸二分(約3.6㎝)の天神像が降ってきたのでこれを祀ったのが始まりといいます。山の上には欄縁にそって朱塗り極彩色の廻廊をめぐらし、中央に唐破風春日造の神殿を安置しています。

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「放下鉾」 天王座に祀る放下僧に由来した鉾です。放下僧は街頭で芸をしながた布教した僧で、鉾頭は日・月・星三光が下界を照らす形を示し、その型が洲浜に似ているので別名「すはま鉾」とも呼ばれます。

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かっては生稚児が乗っていましたが、昭和4年以降稚児人形にかえられました。稚児人形は久邇宮多嘉王殿下より三光丸と命名され、稚児と同様に鉾の上で稚児舞を舞います。

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放下僧は、後に僧の姿をした大道芸人を指すようになり、謡曲「放下僧」は牧野小次郎が禅僧の兄とともに放下僧のいでたちで芸を披露し、親の敵の利根信俊を討つ話です。

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「岩戸山」 古事記と日本書紀に書かれている「国生み」と「天の岩戸」の話を題材にした曳山で、伊弉諾尊、天照大神、天手力雄尊(あめのたぢからおのみこと)の3体の御神体を祀ります。

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神話によると、屋根に乗っている伊弉諾尊(伊邪那岐命)は伊邪那美命と結婚して、日本国土を形作る島々と神々を産みます。

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その子神に天照大神と弟・素戔嗚尊がいました。天照大神は弟の乱暴に怒って天岩戸に隠れてしまいます。太陽の神が隠れて暗黒となりましたが、歌舞音曲で誘い天岩戸をこじ開けたのが天手力雄尊です。

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「船鉾」 日本書紀の神功皇后の新羅出船を題材にしています。船頭に鷁(げき)と呼ばれる想像上の瑞鳥(めでたい鳥)を飾っています。鷁は嵐でも大空を飛ぶと信じられていました。

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神功皇后は神面をつけ緋縅の軍装、その後に鹿島明神、舳先には海神安曇磯良が龍宮の満干珠を住吉明神に捧げています。皇后の神面(室町時代文安年間作)は安産にご利益があるとされ、明治天皇御誕生の時には宮中へ参内したそうです。

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山鉾は御池通から新町通を下がり、それぞれの町内に戻っていきます。

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コメント

なんとなくですが、
鉾を引くより、山を担ぐ方が大変そうですね。
暑い中、ご苦労様です。

投稿: munixyu | 2019年7月19日 (金) 15:16

★munixyuさん こんばんは♪
山も車輪がついているので、真直ぐ行くときは鉾と同じようなものだと思います。ただし、交差点を曲がるときは、担がなくてはいけないので、大変そうです。

投稿: りせ | 2019年7月20日 (土) 02:30

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