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2019年7月 6日 (土)

晴明神社 安倍晴明と桔梗咲く境内

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

昨日は晴明神社に行ってきました。「晴明神社」は平安時代に陰陽師として活躍した安倍晴明を祀る神社です。

堀川通に面する一の鳥居の扁額は「晴明桔梗」です。通常は神社名や祭神の名前を掲げることが多く、社紋は全国的にも珍しいといわれます。

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「旧・一條戻橋」 一条戻橋は源頼光の四天王のひとり、渡辺綱が鬼女の腕を切り落とした場所としても有名です。平成7年に架け替えられ、先代の橋で使われていた欄干の親柱を境内に移し、昔の「一條戻橋」を再現しています。

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橋のたもとに「式神石像」 式神(しきがみ)とは陰陽師が使う精霊(鬼神)で、晴明の屋敷では奥さんが怖がっていたので、橋の下に封じ込めていました。下は、晴明神社公認の「桔梗菴」、グッズを販売しています。

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平安時代中期の寛弘4年(1007)一条天皇の命により、晴明の屋敷跡である現在地に社殿が設けられました。二の鳥居の先は「四神門」で、四神(青龍・朱雀・白虎・玄武)が掲げられています。

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上の二の鳥居の左に「千利休居士聚楽屋敷址」とあります。ここには千利休の屋敷があったとされ、利休の遺徳をたたえ茶道・武者小路千家家元が揮毫した石碑が奉納されました。

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晴明が住んでいた当時、朝廷の使いなどが訪れるとこの門がひとりでに開き、門から出るとまたひとりでに閉まったそうです。現在でも、それにちなんで電動で開閉するそうです。

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創建時は、東は堀川通、西は黒門通、北は元誓願寺通、南は中立売通という広大なものでした。ところが、応仁の乱を始め度重なる戦火や豊臣秀吉による都の造営によって規模が縮少、古書、宝物なども散逸、社殿も荒れたままの時代が続きました。

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近代になって、式年祭の度に氏子が中心となって神社の整備・改修が行われ、昭和25年(1950)には、多年の宿望であった堀川通に面するように境内地が拡張されるなど復興が進められました。「手水舎」

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手水舎の右に晴明が念力により湧出させたという「晴明井」があります。現在でも飲めて病気平癒のご利益があるとか。水の湧き出し口は、その年の恵方を向いていて、立春の日にその向きを変えるのだそうです。

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井戸の前に石で北斗七星が描かれています。陰陽道で用いられる「反閇(へんばい)」と言われる呪術的歩行をするためのものです。地霊や邪気を祓い鎮めるため、北斗七星の形に足を運ぶ歩行法を兎歩(うほ)と呼ぶそうです。

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長徳3年(997)に母の病気を見舞う一条天皇のため、寛弘2年(1005)には大原野社に参詣する中宮の彰子のために反閇を行ったとされています。現在の相撲の四股を踏む動作もこの反閇からきているといわれています。

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社務所の前に社紋のモチーフとなった桔梗が咲いていました。境内には、約2000株の桔梗が植えられコバルトブルーと白の可憐な花が咲き誇ります。

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安倍晴明(920-1005)は、孝元帝の皇子・大彦命(おおびこのみこと)の子孫で、幼少の頃については確かな記録がないが、多くの分野に秀でていたようです。陰陽師賀茂忠行・保憲父子に陰陽道を学び、天文道を伝授されたといいます。

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50歳の頃天文陰陽博 に任ぜられ、貞元2年(977年)に保憲が没した頃から陰陽道内で頭角を現します。移り行く星や雲の動きを観察して、宮殿の異変や遠方での吉凶を言い当てて、朝廷を始め多くの人々の信望を得たと伝えられています

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晴明は、朱雀天皇から村上、冷泉、円融、花山、一条の6代の天皇の側近として仕え、藤原道長の信頼も得て、数々の功績をたてたました。社務所の向かいにある「顕彰板」では晴明の伝説の中から、代表的な10の逸話を紹介しています。

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村上天皇に仕えていた時代には、唐に渡り、城刑山で伯道仙人の神伝を受け継いで、帰国後にこれを元に日本独特の陰陽道を確立しました。現代の日常生活の年中行事や暦術、占法はこの時に創られたものが多いそうです。

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晴明は一条天皇に仕えていた寛弘2年(1005)に85歳で亡くなります。「御神木の楠」 推定樹齢300年で、楠はかつて虫除けなどに使われる樟脳の原料でした。両手をあてて大樹の力を感じとるのだそうです。

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その2年後の寛弘4年に、晴明の偉業を讃えその霊を鎮めるため、一条天皇の命によって屋敷跡に社殿が建てられました。境内のもっとも奥(西)にある本殿は明治38年に再建されました。

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安倍晴明は、生前より、天皇から貴族、庶民に至るまで、広くその悩みや苦しみを取り払うことによって大きな信頼を得てきました。祭神として祀られた現在も、「魔除け」「厄除け」のご利益があると信仰されています。

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末社「齋(いつき)稲荷社」 本殿の右(北)に稲荷神の他2柱の神が祀られています。齋という言葉は、この稲荷が齋院(さいいん、鴨社に仕える齋王がこもる場所)にあったことに由来します。

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晴明の母は加茂社家の出といわれ、晴明自身は稲荷紳の生まれ変わりとする伝承もあって、各地で稲荷信仰と習合されてきました。

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「厄除桃」 古来の中国や陰陽道では、桃は魔除け・厄除けの果物といわれます。「桃太郎」伝説もこれに由来するとか。自分の厄やまがまがしいものを、この桃に撫で付ければ、清々しい気持ちになれるそうです。

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「安倍晴明像」 当神社が所蔵する安倍晴明の肖像画を元に作成されたものです。晴明が、衣の下で印を結び、遠くの夜空の星を見て天体を観測している様子をあらわしています。

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「桔梗苑」 晴明像像の左にあり、こちらにも桔梗が咲いていました。桔梗が開花する6月中旬から初秋にかけての期間限定で、「桔梗守」を授与しているそうです。

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晴明神社が広く知られるようになったのは近年のことです。様々なメディアで陰陽師や安倍晴明が取り上げられ、全国から参拝者を集めるようになりました。平成15年(2003)には御鎮座壱千年祭が盛大に斎行されたそうです。

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秋分日に行われる例祭は一年でもっとも重要な祭儀で、氏子奉賛会や講社員が多数参列して献茶や献花等も行われ、境内には露店が立ちならび、たいへん賑わうそうです。

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午後の神幸祭では「本社神輿」 「桃薗みこし」「聚楽みこし」が繰り出し、少年鼓笛隊を先頭に、菊鉾、扇鉾、獅子、御神宝、飾馬等に晴風稚児、八乙女、四神稚児などが巡行するそうです。

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コメント

桔梗は、独特の存在感と上品な涼しさがありますよね。
不思議な花です。

投稿: munixyu | 2019年7月 7日 (日) 18:32

★munixyuさん こんばんは♪
そろそろ桔梗が咲いているだろうと、晴明神社を訪れましたが以前から咲いていたようです。9月までが開花時期だそうですが、もう一度咲くのでしょうか。

投稿: りせ | 2019年7月 7日 (日) 23:15

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