« 西寺跡と鎌達稲荷神社 | トップページ | 金福寺 2019初夏 »

2019年6月 9日 (日)

本願寺北山別院 親鸞と与謝野礼厳

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

Jnw_4454a
※写真は全てクリックで拡大します。

一昨日の記事の圓光寺を出て、本願寺の北山別院に立ち寄りました。上の写真の石碑には「親鸞聖人御舊跡」とあります。「本願寺北山別院」は、山号を聖水山、寺号を養源寺という浄土宗西本願寺派の本山直属の寺院です。

Jnw_4380a

この寺は、かつて「元養源庵」という天台宗・比叡山延暦寺の末寺でした。親鸞(1173-1263)は、藤原北家の流れをくむ父・日野有範と源氏の出身の母の間に長男として、京都の日野(伏見区)に生まれました。「唐門」

Jnw_4381a

しかしながら、幼くして両親を失い、8歳のとき叔父・日野範綱に引き取られ、9歳で青蓮院・慈円のもとで出家得度して、範宴(はんねん)と称しました。(境内には浄土真宗系の「聖水保育園」があります。)

Jnw_4390a

その後、この寺(元養源庵)で1年余り修業をしたのち比叡山に登り、横川首楞厳院の堂僧として20年近く修行を続けました。「本堂」

Jnw_4391a

29歳の時、親鸞は比叡から六角堂の救世観音に百日間参籠し、師・源空(法然)の導きにより、浄土教に帰依しました。(本堂には阿弥陀如来を祀っています。)

Jnw_4394a

親鸞35歳のとき、1207年の「承元の法難」による専修念仏停止(ちょうじ)によって、越後に流罪になりました。その後、1211年に赦免され、1214年に42歳で妻子らとともに関東で布教を行いました。

Jnw_4397a

1224年に浄土真宗の教義が体系化された『教行信証』を著し、親鸞はその宗祖となりました。

Jnw_4401a

その後、寺は臨済宗・南禅寺派、浄土宗・西山派に改宗したといわれます。江戸時代の1677年、一乗寺村の信徒の請願によって浄土真宗の寺として再興されて養源寺と名を改めました。

Jnw_4403a

さらに、1680年には西本願寺の別院となり現在に至ります。本堂の左に「大正天皇お手植えの松」があり、その前の細い道を行くと、親鸞の旧跡があります。

Jnw_4408a

親鸞が六角堂に参籠したとき、比叡山から、雲母(きらら)坂、一乗寺、北白川、出町、河原町通を通って六角堂に向かいました。

Jnw_4421a

往きはここで身を清め、帰りは休憩して草鞋の紐を締めなおして急な雲母坂に向かったといわれています。 その井戸水が「御聖水」として今なお湧いています(下の写真)。

Jnw_4429a

隣に「上宮太子影向(ようこう)石」があります。上宮太子は聖徳太子の別名で、影向石は神が降臨する(腰掛ける)石だそうです。聖徳太子は日本仏教の始祖といわれ、親鸞は「和国の教主」として崇めていたといわれます。

Jnw_4425a

明治時代の初めの1884年、歌人でもある僧・与謝野礼厳(れいごん、1823-1898)が養源寺に留守居(留守番)として入りました。(保育園はお迎えの時間らしく、子供たちが遊技場に出て遊んでいます。)  

Jnw_4404a

礼厳は、丹後与謝郡温江村(現与謝野町温江)の細見儀右衛門の二男として生まれ、幕末には勤王活動に奔走し、明治維新後は小学校や療病院設立など社会福祉事業に携わりました。

Jnw_4437a

歌号を「尚綱(しょうけい)」といい、八木静修(せいしゅう)に歌を学び、大田垣蓮月、天田愚庵らと交友しました。本願寺派の僧侶となったのち「与謝野」を名乗ったといわれ、与謝野寛(鉄幹)は岡崎で生まれた四男です。

Jnw_4409a

歌集に『礼厳法師歌集』がありますが、これは礼厳没後の13回忌に鉄幹が編纂したものです。その長大な前書にこの歌集が編纂されたいきさつが書かれています。鐘楼(旧本堂も)は明治初めに西本願寺21世明如の再建。

Jnw_4384a

この梵鐘は、室町時代の1544年中国(明時代)で製造されたと伝えられ、1902年に大阪御花講により寄進されました。「春のまどろみを起こす」音色だそうです。

Jnw_4386b

礼厳法師歌集の前書きは、兄たちから「お前が選べ」といわれて、鉄幹が「自分はそんなに暇でないのに」などと不平をいいながら、3万首もの和歌を一通り読むところから始まります。

Jnw_4450a

父の歌が世に知られていない理由を、老年期の初までは新思想の人で進取の気概に富み、その後は世から逃れて念仏風雅の隠棲を楽しんだので、一生の出来事すべてが世に知られることを避けたからだと結論づけます。

Jnw_4388a

鉄幹は、特に晩年の「世を恨み、己の老いを嘆く」歌に心を打たれ、その時期を中心に壮年期の歌を織り交ぜた(長・短歌)630首を選びました。礼厳は後に清閑寺に移りますが、この別院にいた時代の歌も多く、そのうちの2首だけを・・・

Jnw_4452a

比叡の麓一乗寺の里に世を避けて、「野の末にうき世は遠く避けたれど月ばかりこそ疎まざりけれ」、「比叡の山雲のやどりの松が根に痩せたる老のかばね曝(さら)さん」。

Jnw_4398a

お帰りの前に、ブログランキングの応援のクリック↓をよろしくお願いします。

★こちらを是非よろしく→   ブログ村→にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ
-------------------------------------------------------------------

Jnw_4444a

|

« 西寺跡と鎌達稲荷神社 | トップページ | 金福寺 2019初夏 »

コメント

もう幼稚園や保育園は、お寺にあった方がいいですよね。
アクセルとブレーキ間違いや、車の事故が多いと
そう思います。
お寺の中なら安全ですよね。

投稿: munixyu | 2019年6月 9日 (日) 18:58

「春のまどろみを起こす」音色とは、面白いですね。
お坊さんも厳しい修行で、春にはつい、うとうとする
事もあつたんでしょうね。

投稿: たっちゃん | 2019年6月 9日 (日) 22:02

★munixyuさん こんばんは♪
京都はお寺や神社が経営する保育園・幼稚園が多いですね。いずれも歴史があり、お祭りや行事などを通じて地域に溶け込んでいるようです。、、

投稿: りせ | 2019年6月11日 (火) 22:40

★たっちゃんさん こんばんは♪
一度音色を聴いてみたいと思いました。

投稿: りせ | 2019年6月11日 (火) 22:42

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 西寺跡と鎌達稲荷神社 | トップページ | 金福寺 2019初夏 »