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2019年6月11日 (火)

一乗寺の旧跡を訪ねて

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

このところ、詩仙堂に始まり昨日の金福寺まで一乗寺の寺社を記事にしてきました。今日は、その道のりで見かけた旧跡を紹介します。

八大神社の常盤稲荷の方から道に出たところに「一乗寺降魔(ごうま)不動堂」があります。由緒は不明ですが、中に貼ってあった節分祭の差定(さじょう、式次第)には、東福寺、清浄院、長光寺、野仏庵の名がありました。

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隣の野仏庵が管理し、法要に寺院から僧侶が呼ばれるのではないかと想像します。不動明王はビックリするほど大きく、台座には童子が彫られ、左右に大きな草鞋が架かっています。お堂の前に「水掛け聖人」がいます。

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「野仏(のぼとけ)庵」 古美術愛好家の上田堪庵が創立した民藝館で数百体の野仏や野花、お茶を楽しむための庵です。門は公爵の西園寺公望が、新撰組に追われて丹波須知村に身を隠した寓居の門を移築したものです。

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先日記事にした国立博物館の茶室「堪庵」は氏の寄贈です。すぐ横に珍しい布袋さんの石像がありました。

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一乗寺下り松から詩仙堂・八大神社までの坂道は八大神社の参道でもあります。さらに坂を上ったところに狸谷山不動院があります。

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本願寺北山別院と金福寺に行くために、南(左)の脇道に入りました。参道の近くに「稱名寺」があります。山号を一乗山という浄土宗のお寺ですが、いつも門が閉ざされていて由緒は分かりません。

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金福寺を訪れた後再び八大神社の参道に戻って、坂道を下ります。途中に八大神社の宮座座員の募集要項が貼ってありました。神事や行事に奉仕して地域の活性化を図る役割で、年齢や住所に制約があり1名から数名を募集とか。

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今度は北の脇道に入ると、ちょっとした子供の広場の前に「薮里釈迦堂」があります。こちらの由緒も分かりませんが、このあたりの地名「一乗寺釈迦堂町」の由来となったと思われます。

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建物の右が釈迦堂、左は地蔵堂となっています。地蔵堂を覗くと綺麗にお化粧をした地蔵尊と足元に小さな石像がありました。

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交差点まで下りて、八大神社の参道を振り返って。西(背後)から来た「曼殊院道」が、ここで北(左)に向きを変えます。交差点には、詩仙堂、圓光寺、金福寺、曼殊院、比叡山などへの石標や道標が一杯並んでいます。

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交差点の南西の隅に「一乗寺下り松」があります。この松は古くから旅人の目印として植え継がれてきて、現在は4代目だそうです。八大神社に古株があるのは初代の松で、その後2代目は修学院離宮から移植されました。

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3代目が昭和56年(1981)に枯死して、翌年4代目が植えられました。左の石碑は「宮本 吉岡 決闘之地」。

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「大楠公戦陣地」の石碑 『太平記』によると、南北朝時代の1336年、足利軍と対峙する武将・楠木正成は名和長年とともにこの地に陣を構えたといわれます。

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「力石」がたくさん置かれています。皆が注目する場所に奉納して、力持ちを自慢したのでしょう。

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向うの曼殊院道に少し寄り道します。

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交差点の北東に八大神社の「一の鳥居」があります。今は石垣で囲まれていますが、かってはここをくぐって八大神社の参道に入りました。神社まで約250mあるそうです。

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「十輪地蔵尊」 由緒は不明ですが、地蔵菩薩は、釈迦入滅後、弥勒菩薩が出現されるまでの無仏の時代、私達衆生を済度する為に出現したと書かれている「地蔵十輪経」が由来かも知れません。

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右の祠にはたくさんのお地蔵さんが置かれ、左は町内安全と書かれ綺麗にお化粧をしたお地蔵さんがいます。その光背が十輪なのかも知れません。

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ところで、このあたりの地名「一乗寺」は、左京区の北東部に位置し、東は比叡山、南は田中、西は高野、北は修学院に囲まれた広い範囲を指します。 右は修学院消防分団の建物で、その向うに、

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地名の由来となった「一乗寺址」の石碑 一乗寺は、平安中期から中世にかけここにあった延暦寺の末寺、園城寺の別院で、南北朝の動乱以後に廃絶しました。右は一乗寺の集会所、向うは修学院児童館です。

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向かいには「雲母(きらら)坂お茶所」があります。かって、曼殊院や比叡山延暦寺に参拝する人々にお茶を接待したようです。左に茄子の石像があります。

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横に雲母(きらら)漬けの老舗「穂野出」があります。創業は元禄2年(1689)で、曼殊院や延暦寺にお参りに来た人々や僧兵にお茶請けと漬物を振舞ったお茶屋が始まりです。

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雲母漬けは一口サイズの小なすを京都の白味噌で漬けたもので、歯触りがよく白味噌の香りが口に広がり、ちょっと病みつきになる漬け物です。門を入った母屋で商売をしています。

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もう一度交差点に戻りました。南東の角にもお地蔵さんがいます。

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「西澤嘉三郎翁 頌徳碑」 西澤は長年一乗寺の村長(市に編入後は区長)を務め、退職後も曼殊院道の整備やこの地域の名跡を顕彰(広く世間に広めること)して一乗寺の発展に貢献しました。下り松が枯れたときに修学院離宮から移植したのも西澤でした。

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「一乗寺中谷」 「詩仙餅」、「下り松武蔵」、「でっち羊かん」などの和菓子に加え、若女将が作る「絹ごし緑茶てぃらみす」、「三色お豆のタルト」などの洋菓子も評判の和洋菓子店です。茶屋(カフェ)には「ごはんもの」もあります。

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向かいは「マンション花の木」ですが、サツキが綺麗に咲いていました。

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コメント

雲母漬けの「穂野出」
左端の石像っぽいものは、雲母漬けの小茄子だったのですね。
最後に出てきてわかりました。

投稿: munixyu | 2019年6月11日 (火) 17:56

★munixyuさん こんばんは♪
穂野出は門構えがしっかりしていて、初めてだとお店に入るのにちょっと勇気がいります。

投稿: りせ | 2019年6月11日 (火) 22:49

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