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2019年6月20日 (木)

法然院 ガラスの枯山水と八橋忌

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

先日岡崎神社と岡崎別院を訪れた後、哲学の道にある法然院に来ました。「法然院」は鎌倉時代初めに法然が鹿ヶ谷の草庵で弟子の住蓮、安楽とともに、念佛三昧の別行を修し、六時礼讃を唱えた旧跡です。現在は浄土宗系単立寺院となっています。

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六時礼讃とは、浄土宗などで一日を六つに分け、それぞれの時間に唐の善導が作った偈頌(げじゅ、教理をとく詩)を朗誦することだそうです。参道の右側がいつもと変わっていることに気がつきました。

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今年(2019年)5月17日に奉納された、西中千人(ゆきと)氏のガラスアート枯山水「つながる」でした。

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西中氏はガラス造形作家で、市場の廃ガラス瓶を回収して溶かして素材とし、高さ2mを超えるオブジェに仕上げました。参道の約40mの区間に玉砂利を敷き詰め、清らかで煌めく空間を演出しています。

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「善気水の流れに導かれ、理想の浄土に向かい、心を整える場」である法然院に、「循環する命とつながっていく宇宙」をコンセプトとした空間を創出したそうです。「善気水」は方丈前の池にある湧水です。

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西中氏は1964年和歌山市に生まれ、大学卒業後ガラスメーカーに勤務しました。2年で退社してカリフォルニア芸術大学で彫刻とガラスを学び、1998年「ニシナカユキト GLASS STUDIO」を設立、現在に至ります。

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ガラス素材は、ガラス瓶メーカーとの共同研究によって制作し、よく見ると瓶の底や飲み口のネジ部の形跡が残っています。廃材を利用して創作することにより、 持続可能な社会を考えるきっかけになればと考えているそうです。

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西中氏の作品は、パリ市立チェルヌスキ美術館、スペイン国立ガラスセンター、大一美術館(名古屋)を始め、多数の公共施設や学校、会社などに収蔵・展示されています。

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山門前まで来ました。ここまでの各所に「八橋忌」という看板が立っていて気になりましたが、後で何のことか分かりました。

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「白砂壇(びゃくさだん)」 白い盛り砂は水紋を表し、その間を通ることによって心身が清められるとされます。この寺は、哲学の道付近でも特に外人の方を多く見かけます。

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季節に応じて砂紋に桜や紅葉などが加えられますが、この日はシンプルな水紋でした。

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右手にある「講堂」で西島ようこ(押花絵)と祐美(詩画)両氏による「こころのままに 母娘 展」が行われていました。6月16日で終了しましたが、今年で21回目だそうです。

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入場無料で、素敵な絵葉書を買いました。

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放生池にかかる石橋を渡ります。池の右の方に先ほどの善気水が湧いています。

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橋の上から見ると左にある「経堂」は、江戸時代中期の1737年に建立され、釈迦如来像、毘沙門天像、韋駄天像、千体地蔵尊が安置されています。

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橋を渡ったところにある手水鉢にはいつも季節の花が添えられているのですが、この日は緑の葉だけでした。八橋忌があるからかも知れません。

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本堂にお詣りするために右手に回ると正面に「十萬霊塔」があります。

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本堂の方に行こうとしたら、「法要準備のため終日閉鎖」と書いてありました。左奥にある「本堂」は江戸時代前期の1681年に建立され、本尊の阿弥陀如来坐像を安置しています。

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もう一度橋の方に戻る途中に、放生池に倒木が横たわっていました。昨年の台風によるものと思われますが、あえて自然のままにしているのかも知れません。

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橋を渡った左に玄関があります。この日(6月12日)は八橋検校の命日で、聖護院八ッ橋総本店主催による法要「八橋忌」が行われていました。ここが受付のようですが、部外者なので入っていません。

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検校が眠る金戒光明寺常光院に墓参りした後、本堂での読経と焼香、琴・三玄・尺八による舞曲と祇園の芸妓さんの舞踏が奉納されたそうです。「八橋検校」は、江戸時代初めに磐城(いわき市)で生まれましたが、幼い頃から目が不自由でした。

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大阪では三味線で名が知られるようになり、江戸に出て箏を習い、後に京都で活躍、多くの弟子を育てました。「六段の調」、「八段の調」などを作曲して、近代筝曲の祖といわれています。 (庫裏の玄関)

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1685年死去し金戒光明寺に葬られました。その後多くの弟子や愛好家が墓参りに訪れ、土産にと麓の茶店が琴をかたどった焼き菓子を作ったのが「八ツ橋」の始まりとされます(楽器説)。千本ゑんま堂の萬霊塔の写しの「多宝塔」。

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実はこの日、金戒光明寺常光院(下)で、もう一つの法要「八橋祭」が行われました。こちらの施主は井筒八ッ橋本舗で、先述の「聖護院」とはライバル関係にあります。

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先日、八ッ橋の「井筒」が「聖護院」を訴えたというニュースに驚きました。実は昭和22年に開業して元祖八ツ橋をうたった「西尾社」を「聖護院」が訴えて勝訴した事件がありました。多宝塔の裏に、陶芸家・中野亘氏による「聞思得修信乃庭」。

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八ッ橋の起源には『伊勢物語』に出てくる三河の八橋という有力な説があり、楽器説をとるのは、聖護院、井筒、西尾社など数社だけです。井筒の主張は、聖護院が実は三河の八橋を起源としているのに楽器説を標ぼうしているという内容のようです。

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訴訟に至った経緯や両社の主張について説明するスペースがありません(今後の裁判の成り行きなど別の機会に紹介するかも)。この後、哲学の道を銀閣寺方面に向かいました。

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コメント

ガラスの世界もまた深い世界なのでしょうね。
奇跡の瞬間芸術といいましょうか。
固まるまでが全てでしょうし、同じ作品も作れないだろうから、
作品制作は緊張でしょうね。

投稿: munixyu | 2019年6月20日 (木) 19:39

★munixyuさん こんばんは♪
この枯山水を見たときは、ガラスではなく水晶の原石だと思いました。一つ一つが自然にできたように変化に富んでいて、後で考えると作るのに苦労があったと思いました。

投稿: りせ | 2019年6月23日 (日) 01:33

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