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2019年6月 4日 (火)

羅城門跡と矢取地蔵尊

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

東寺の西、九条通に面して「羅城門跡」の石標があります。ここは、かっての平安京のメインストリート・朱雀大路の南端にあたり、巨大な羅城門が建っていた場所です。

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平安京は延暦13年(794)桓武天皇によって造営され、東西4.5キロ、南北5.3キロの京域は大路(幅24m)、小路(幅12m)で碁盤の目状に区画され、朱雀大路の東側が左京、西側が右京と呼ばれました。

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南北方向は一条大路から九条大路まで、東西方向は左京・右京各四坊の条坊が敷かれ、各坊は1から16町までの町(約120m四方)に区画されました。そこに10数万人の人々が暮らし、そのうち貴族は150-200人、公卿は20人ほど、その家族を入れて約1000人でした。

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奥の唐橋羅城門公園内に、明治28年(1895)の平安遷都1100年を紀念して建てられた「羅城門遺址」の碑があります。 羅城門は 7間2間5戸、正面35.7m、奥行21mの重層門と推定されています。

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木部は朱塗り、壁は白土塗り、棟両端には金色に輝く鴟尾(しび)が載せられ、門の中央には「羅城門」と書かれた扁額が掲げられていました。(市内各所に羅城門の模型が置いてあり、異なる色に塗られています。)

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楼上には、本尊の毘沙門天像が安置されて都へ悪鬼が侵入するのを封じていました。現在、本尊は東寺の観音堂に八臂毘沙門天像として安置されていて、遺物と伝えられている三彩の鬼瓦も東寺の所蔵となっています。

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奥行きが狭く棟高のため、建設当初から倒れる恐れがあるといわれ、桓武天皇も案じていました。弘仁7年(816)、天元3年(980)大風により倒壊、その後は財政難のため再建されることがなかったそうです。

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昭和35年(1960)から平成23年(2011)にかけて発掘調査が行われ、羅城門の遺構や様々な遺物が出土しました。上の鬼瓦は、東寺に保存されているものと同じ型で作られていることが分かり、伝承が裏付けられました。

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羅城門跡の西、九条通に面して「矢取(やとり)地蔵堂」があります。明治13年(1885)唐橋村(八条村)の人々の寄進によって建立されました。

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地蔵堂に安置されている「矢取地蔵尊」は左手に宝珠、右手に錫状と矢を持った160㎝の石像で、かつては矢負地蔵とも呼ばれていました。この地蔵尊には伝承があります。

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天長元年(824)日照り続きで人々は飢えと渇きで苦しんでいました。淳和天皇の勅命によって東寺の空海と西寺の守敏(しゅびん)が神泉苑の池畔で雨乞いの法会を行ないました。(本尊はよく見えません。)

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先に守敏が祈祷するも雨は降らず、空海が祈祷すると三日三晩に渡って雨が降り国土が潤ったといわれます。 守敏は空海を恨み、ついに羅城門近くで待ち伏せして矢を射かけました。(空海像?)

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すると一人の黒衣の僧が現れ、身代わりとなって矢を受け空海は難を逃れました。人々は身代わりとなった黒衣の僧は地蔵菩薩の化身であると考え、羅城門の跡地に地蔵尊を建立して長く敬ってきました。(こちらは不動明王?)

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昭和初期に行われた九条通の拡張工事で、周辺から多数の地蔵が張り出されました。現在それらは地蔵堂の脇に置かれています。

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コメント

三船の羅生門は何回も見ました
今は昔ですね

投稿: たっちゃん | 2019年6月 4日 (火) 12:36

矢取地蔵尊。
その黒衣の僧は、そのまま死んだのでしょうか。
人の身代わりになるなんて、なんかかっこいいですね。
なかなかできることではないと思います。

投稿: munixyu | 2019年6月 4日 (火) 18:43

★たっちゃんさん こんばんは♪
平安京も数十年を過ぎると南部は荒廃してきて、羅城門には盗賊やホームレスが住み込んでいたそうです。芥川龍之介の羅生門はその雰囲気を生々しく描写していますね。

投稿: りせ | 2019年6月 5日 (水) 01:36

★munixyuさん こんばんは♪
伝承によると、黒衣の僧は矢が当たると姿が見えなくなったそうです。矢は右肩を貫いたといわれますが、致命傷ではなかったと思います。矢取地蔵尊には右肩に傷があるそうです。

投稿: りせ | 2019年6月 5日 (水) 01:42

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