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2019年5月14日 (火)

金戒光明寺 2019初夏

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

昨日の記事の真如堂を出て、金戒光明寺を訪れました。「金戒光明寺」は「くろ谷」の名で親しまれる浄土宗大本山で、比叡山を下りた法然上人が初めて草庵を結んだ地とされます。

幕末の京都守護職、会津藩主・松平容保が本陣を構えた寺で、新選組誕生の地ともいわれます。高麗門(西門)には右に「大本山金戒光明寺」、左に「京都守護職本陣 旧跡」という看板がかかっています。

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「山門」は江戸時代の万延元年(1860)に完成、楼上内には十六羅鑑像が安置され、正面に後小松天皇宸翰「浄土真宗最初門」の勅額があります。天井に龍の図があるのは珍しいそうです。

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山門から正面に本堂にあたる御影堂が見えますが、最初にここから右の坂道を行きます。山門の横に塔頭の寂光院があります。

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「常光院」 安土桃山時代の1577年に創建、当初は明寿院という名でしたが1644年に常光院と改称。江戸時代初期の近世筝(琴)曲の祖といわれれた八橋検校の菩提寺です。右の石碑には「箏曲開祖 八はしでら」とあります。

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蓮池にかかる「極楽橋」、向うに三重塔(文殊塔)が見えます。 高麗門、山門に続いて一昨年から修復工事中でしたが、この日は素屋根で覆われていました。

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一ノ谷の戦いで、16歳の平敦盛(清盛の弟、経盛の末子)を討ち取った武将・熊谷次郎直実が、殺生の無常を悟り、出家を決意した場所とされます。直実が兜を置いたので別名を「兜之池」というそうです。

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奇襲にあい、逃げる平家の武将に直実は「敵に後ろを見せるのは卑怯、お戻りなされ」と叫びました。取って返した敦盛を直実は馬から組み落として、首を斬ろうと兜を上げます。

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我が子・直家と同じ年頃の若者の顔を見て助けようと名を尋ねるも、敦盛は「名乗らずどもすみやかに首を取って人に尋ねよ」というので、涙ながらに首を切ったといわれます。池のほとりに黄菖蒲(おそらく)やカキツバタが咲いていました。

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直実はその後の自身の処遇に不満を抱いて出家したという説もあります。法然を師として出家して法力坊蓮生と改名、この地に草庵を結んだとされます。草庵「熊谷堂」は何度も再興を繰り返し近代(1943年)に再建されました。

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さらに石段を上ると法然廟(右)があり、その前に熊谷直実(手前)と平敦盛の供養塔があります。

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文殊塔への石段の途中にある「五劫思惟阿弥陀仏像」 五劫という長い時間、もろもろの衆生を救おうと思惟を続けて頭髪(螺髪)がこのように伸びてしまいました。

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ちなみに、一劫とは四十里立方(約160km)の大岩に天女が三年(百年という説も)に一度舞い降りて羽衣で撫で、その岩が無くなるまでの長い年月だそうです。

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塔の前から市内が展望できます。奥には西山が連なっているはずですが、逆光で写真に写っていません。

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文殊塔の裏(東)から北にかけて墓地になっていて、様々な歴史上の人物の墓があります。下は八橋検校の墓で、江戸時代には門弟を始め多くの人々がお参りにきました。

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その墓参りの人々を目当てに下の茶店が琴のかたちをした焼き菓子を販売したのが「八ッ橋」の起源です。 南の方には知恩院の御影堂の屋根や祇園閣、奥に京都で2番目に高い京セラ本社ビル(高さ94.82m)が見えます。

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石段を下りる途中に大小の石仏が並んでいます。

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文殊の塔への石段を下りて、伽藍が並ぶ高台にきました。「大方丈」には「紫雲庭園」や、松平容保や八重の書、若冲の「群鶏図」屏風などがあります。

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大方丈の横に「熊谷直実鎧掛けの松」があります。初代、二代とこの伝説を継承してきましたが、平成25年(2013)に枯れてしまい翌年新たに植えられました。

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「御影堂(大殿)」 内陣正面に宗祖法然上人75歳の御影(座像)を安置しています。また、獅子に騎乗する文殊菩薩様や1200余年前に吉備真備が中国から持ち帰った栴檀(せんだん)を用いて刻んだ吉備観音なども安置されています。

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「阿弥陀堂」 江戸時代の慶長10年(1605)豊臣秀頼によって再建された寺内で最も古い建物。恵心僧都最終の作の本尊阿弥陀如来が納められています。 胎内に彫刻の器具が納められているので、「おとめの如来」「ノミおさめ如来」と称されています。

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山門を上から。

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左に、高台寺の青龍殿が見えます。

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さらに下の方には、先日記事にした蹴上浄水場が見えます。まだツツジが咲いているようです。

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本堂の左にある墓地の前に大きな石仏があります。

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こちらは、慈母観音か子安観音だと思われ、子供を抱いています。

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コメント

法然上人のお寺なんですね 
昔の戦いには、今と違って人間味がありますね
勉強になりました

投稿: たっちゃん | 2019年5月14日 (火) 16:17

★たっちゃんさん こんばんは♪
敦盛の戦いの様子は、何十年も後の平家物語に書かれていて、かなりの脚色があると思われます。その後出家したのは事実なので、やはり心境の変化があったのでしょうね。

投稿: りせ | 2019年5月17日 (金) 00:13

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