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2019年5月10日 (金)

妙満寺 ツツジ2019

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

昨日の記事の大田神社を後に、岩倉の妙満寺を訪れました。日が傾いていて逆光になっていますが、門前のツツジが満開でした。

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「妙満寺」は山号を妙塔山という顕本(けんぽん)法華宗総本山です。かっての日蓮宗京都16本山の一つでもありました。現在では境内にある約3,000本のツツジの名所でもあります。

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妙満寺を創建した日什(にちじゅう)上人はもとは天台宗で名を玄妙といい、比叡山三千の学頭にまでなった人でした。故郷の会津で日蓮上人の教えに触れると、67才という高齢にもかかわらず宗を改め日什と名乗り、日蓮門下に入りました。

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日什は日蓮上人の遺志である帝都弘通(ていとぐつう、京都での布教)のために、老体をかえりみず都に上りました。そして、後円融天皇に上奏して、二位僧都の位と「洛中弘法の綸旨」(布教の許可)を賜りました。

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室町時代前期の1389年、日什は六条坊門室町(現在の烏丸五条あたり)に妙満寺を創建し、根本道場としました。(山門から本堂への参道)

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「本坊の玄関」、左に安土桃山時代に豊臣秀吉によって架けられた五条大橋の橋脚の一部があります。

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その後、応仁の乱など幾度か兵火に遭い、そのつど洛中に寺域を移して再建されました。1536年に比叡山の僧徒による焼き討ちで二十一坊の大伽藍を類焼し(天文法華の乱)、一時は堺に逃れて1542年に元の地に復興したという苦難の時代がありました。「方丈」

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安土桃山時代の1583年秀吉によって寺町二条に移され、以後400年にわたり「寺町二条の妙満寺」と親しまれてきました。そのときの境内北にあった「中川の井」の井筒、その井戸は能阿弥が定めた「京都七名水」のひとつでした。

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その後、近代になって都市化が進み、日毎に増す喧騒と環境悪化を避けるため、昭和43年(1968)に「昭和の大遷堂」を挙行し、現在の岩倉の地に移りました。

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本坊の前に、俳諧(俳句)の祖といわれる松永貞徳(1571~1663)が作庭した枯山水の庭があります。(拝観時間を過ぎていたので、下は参道から庭への門です。)

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この庭は「雪の庭」とよばれ、当初は塔頭・成就院の庭園で、成就院「雪月花の三名園」のひとつでした。他は、清水寺・成就院の「月の庭」、北野にあったとされる成就院の「花の庭」です。

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「本堂」 本尊の釈迦多宝仏を祀っています。

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本堂前にある「仏舎利大塔」は、昭和48年(1973)妙満寺の信仰を象徴するものとしてインド・ブッダガヤ大塔を模して建立されました。全国檀信徒の納骨室にもなっていて、最上階には当寺に古くから伝わる仏舎利をおさめています。

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ブッダガヤ大塔は、釈迦が悟りを開いた地に建つ高さ52メートルの大塔で、全世界の仏教徒にとって最高の聖地としてユネスコの世界文化遺産に登録されています。(一階正面に釈迦牟尼仏像を祀っています。)

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仏舎利大塔は建立33周年の平成18年(2006)から3年をかけ、全国の末寺や檀信徒の寄進により外壁に釈迦の仏像486体が刻まれました。真後ろに釈迦が悟りを開いたとされる「金剛宝座」とその下に仏足石(見えませんが)があります。

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方丈と本堂を渡り廊下が結び、その向うの墓地には江戸時代の俳人・柏原瓦全、呉服の老舗「千切屋(ちきりや)」一門、劇作家・花登筐、俳優・山城新伍の墓があります。

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本堂右横に開山の「日什大正師御霊廟」があります。また、本堂左横に16世・日泰上人と27世・日経上人の碑があります。二人は京都に生まれ、叡山、高野山、奈良で学び、関東各地で布教しました。

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「大谷山取得記念」の碑。妙満寺は長年の念願だった本堂裏山(通称大谷山)を平成25年に取得しました。手入れがされていなかった樹木を間伐・整理し、「宗祖日蓮大聖人御降誕800年」(令和3年)慶讃事業の一環として桜や紅葉の植樹をしてきました。

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ところが、平成29、30年の猛烈な台風により、多くの高木・古木がなぎ倒される甚大な被害を受けました。幸いにも献木の桜・紅葉の幼木は無事だったそうです。山門の右手に回ります。

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そこで京都府・市と協議を重ね、風格のある景観と四季折々の花木を楽しめる憩いの森への再生を目指し、「妙満寺の森」再生計画を策定、今年3月から着工したそうです。

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森の再生計画では山を4つのエリアに分け、それぞれに相応しい景観や人々の憩いとなるような森や林を目指しているそうです。「大書院」

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このあたりが「桜苑」になっています。毎年4月初旬~中旬頃の満開の時期は夜間ライトアップも行っており、闇夜に写る幽玄的な夜桜が楽しめます。 小さな石には献木していただいた末寺などの名前が刻んであります。

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信行道場「妙満寺会館」 130畳の大広間や食堂を備えた施設で、展示会、音楽イベント、研修会、サークル活動など、色々な用途に利用できるそうです。

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妙満寺会館の横を回ると、先ほどの墓地の端にでます。そのあたりには、伐採した倒木や壊れた石造物の残がいなどが並んでいて台風の被害の大きさが分かります。

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再生計画の4つのエリアは、主にカシ類の常緑照葉樹を中心とした「本堂裏背景林」、四季を通じて様々な彩りがある「サクラ・モミジ山」、京都の森に生える樹種を中心とした明るい「雑木林」、こんもりとした岩倉らしい森と里をつなぐ「林緑部」です。

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目標となる景観になるまで少なくとも20~30年の歳月を要するそうです。そのため「総本山妙満寺護持会」(寺務所にて随時受付)への協力と、素晴らしい森林・景観の保全や諸堂・境内の維持への支援をお願いしています。

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山門は比叡山が見える額縁門になっています。

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コメント

素晴らしいブログですね。
京都に住んで、あちこち見て回りたいと思っていますが
「りせ」さんの素晴らしいブログを見て、自分で廻るより
「ずっといいな」と思いました。
これからも楽しみにしています。応援してます。

投稿: 飯田 龍夫 | 2019年5月10日 (金) 12:00

ツツジは、この柔らかい感じがいいですよね。
蕊の蜜が美味しかったことを思い出します。

投稿: munixyu | 2019年5月10日 (金) 18:49

★飯田龍夫さん こんばんは♪
お返事が遅れてすみませんでした。コメントありがとうございます。私のブログから京都のいいところとを知っていただけると嬉しいです。これからもよろしくお願いします。

投稿: りせ | 2019年5月13日 (月) 00:55

★munixyuさん こんばんは♪
今の子供は知らないと思いますが、ツツジの花を口にくわえて蜜を吸うんですね。

投稿: りせ | 2019年5月13日 (月) 01:01

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