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2019年5月 5日 (日)

平等院 浄土院と最勝院

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

今日は平等院のその後の歴史と二つの塔頭を紹介します。上はミュージアム鳳翔館の前にある休憩所。

下は浄土院の「養林庵書院」(重文、非公開) 桃山城の遺構と伝えられ、床の間に雪景山水図、襖には籬(まがき)に梅図、天袋には花卉(かき)図が描かれ、宇治市指定文化財。その作風から狩野山雪の作とみられています。

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「浄土院」は、明応年間(15世紀後半)浄土宗の栄久(えいく)上人が、荒廃していた平等院修復のために開創した寺と伝えられています。 文化財である阿弥陀如来立像、帝釈天立像、養林庵書院障壁画などを管理しています。(本堂)

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平等院は1052年の開創以来、天台宗の三井寺(あるいはその塔頭)が代々住持を務め、藤原氏が氏寺として庇護してきました。(本堂には本尊の阿弥陀如来を祀っています。)

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平安時代後期に院政が始まり、源平の武士が台頭してくると藤原一族は衰退して、平等院も荒廃の時代に入りました。下は「救世船乗観音」、かって子院の観音堂に祀られていましたが戦後盗難にあい、平等院開創950年を記念して復元されたものです。

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鎌倉時代の1231年平等院を訪れた藤原定家は、『明月記』でその荒廃を嘆いたといいます。その後浄土宗が勢力を得て、栄久(えいく)上人が浄土院を建立し、1500年には平等院伽藍の修復を行いました。(塀越しに鳳凰堂の屋根が見えます。)

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左が「通圓の墓」 平安時代の武将・源頼政の家臣・古川右内は、宇治川橋合戦で討ち死にしました。その子孫は代々通圓と称して、旅人に茶を供したといいます。

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現在でも宇治橋東詰めに「通園 宇治本店」があり、第23代当主通園亮太郎氏が経営しています。

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本堂の右(北)にある「羅漢堂」(市指定文化財)。江戸時代の1640年に、宇治茶師たちの生業であるお茶にまつわる先祖に感謝して追善のため、星野道斎とその息子が中心となって建立しました。

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「宇治茶祖 上村竹庵の碑誌」 千利休との逸話があります。利休と弟子は宇治の竹庵の茶事に招かれました。竹庵は天下の茶人の前であまりの緊張のため粗相を続け、弟子たちは心の中で笑っていました。しかし利休は「亭主のお点前は天下一」と称賛しました。

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腑に落ちない弟子たちは帰り道にその理由を訊ねると、利休は「竹庵は最もおいしい一服をふるまおうと一生懸命で、失敗も気にかけずただ一心にお茶を点てました。その気持を讃えたのです」と語ったといいます。しだれ桜の「初瀬」

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阿字池に沿って表門の方に歩いていくと、もう一つの塔頭・最勝院の本堂・不動堂への門があります。

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平等院は創建当初天台宗寺門派に属し三井寺の下に置かれ、室町時代以降は天台宗寺門派の円満院(現大津市)門主が平等院住職を兼務していました。その後、前述のように平等院は荒廃して浄土院が修理を行ったようです。

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安土・桃山時代の1582年から住職の兼務が断絶し、1610年以後天台宗は平等院を放棄、その後は真言宗が引き継いだようです。本堂の不動堂には本尊の不動明王や役小角(えんのおづぬ、役行者)の像が祀られています。  

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一方で、浄土宗も境内の内外に10程度の子院を建てており、浄土宗と真言宗で平等院の管理について争いになりました。そこで、両派が共同で管理することになりました。左の「地蔵堂」は地蔵菩薩坐像を祀ります。 

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江戸時代の1654年、天台宗系の勝仙院(東洞院六角)の僧・澄栄師が平等院内に移住し、最勝院と号したのがこの塔頭の始まりとされます。(地蔵堂の前に、平氏打倒を掲げて以仁王と挙兵、敗死した源頼政の墓があります。)

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1662年には最勝院が天台宗の兼帯所(本山直轄の寺院)となり円満院の住職が兼務することになりました。中世末以来平等院と疎遠になっていた天台宗が院内に復帰したことになります。

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この時代になると、院の管理を巡って浄土宗と天台宗で争いが生じました。

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1681年に寺社奉行の裁定が下り、天台宗と浄土宗の両派によって院を護持し、一山の総称を「平等院」とすること、修理は両派の交代で行われることになりました。「最勝院開祖澄栄師之碑」

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浄土院と最勝院は寺社奉行の裁定以後も争うこともありましたが、現在でも平等院を共同で管理しています。そのため、平等院はどの宗派にも属さない単立寺院となっています。(最勝院の事務所)

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こちらが最勝院の山門で、向うに鳳凰堂の堂内拝観の受付があります。この後、先日の記事のように藤の花を見てから鳳凰堂の周りを回り御朱印をいただきました。

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この日は、正門(表門)から出る途中、もう一度「扇の芝」を見ていきました。ここで自刃した源頼政は「源三位(げんさんみ)」とも呼ばれ、源氏の中で唯一平氏政権に重用され武士としては破格の従三位に昇り、公卿の身分になりました。

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しかし、清盛の横暴に我慢がならず、平氏打倒をかかげて挙兵したのです。

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扇の芝の前から阿字池のほとりの藤棚が見えます。

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表門の外にも藤棚がありました。

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コメント

八十八夜が来たと思ったら、
もう新茶が出てるのですね。
新茶は独特の柔らかさがいいですよね。
嬉しい初夏の声です。

投稿: munixyu | 2019年5月 5日 (日) 13:20

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