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2019年4月15日 (月)

インクラインと疏水公園 2019春

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

昨日の記事に続いて、南禅寺船溜からインクラインを上ります。上は船溜の噴水、下は「南禅寺橋」で南禅寺参道の入口です。

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このインクラインができた理由は、東京遷都で沈滞した京都の産業を振興するために琵琶湖から引いた水を様々な用途に利用するためでした。

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すなわち、物資や人を運ぶ舟運として利用するとともに、(水車による)動力用水、灌漑・農業用水、水道・防火用水などに利用することが目的でした。(しばらく左手には料亭「八千代」と「菊水」の塀が続きます。)

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舟運以外の目的のためには、琵琶湖からの水をできるだけ高い位置に導く必要があり、大津市三保ヶ崎と蹴上をトンネルと水路で結ぶことになりました。(仁王門通の向こうは関西電力蹴上発電所です。)

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一方、舟運のために落差のある蹴上と伏見の2カ所に台車に船を載せて上下させるインクライン(傾斜鉄道)が採用されました。ケーブルカーのように2台の台車を上部で滑車でつなぎ、同時に上下させます。(途中に台車が展示されています。)

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水車による動力は疏水工事の途中で、当時実用化されたばかりの水力発電に変更され、蹴上発電所が建設されました。この日は天気がよく、かなりの人出でした。

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昨年の台風によってインクラインの桜にも被害があったようですが、満開の花で被害は目立ちません。しいて言えば、例年は線路上に覆いかぶさるように咲いていた枝が少なくなっているようです。

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右から来る仁王門通が三条通に合流する場所で、向うに「ウェスティン都ホテル 京都」があります。

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三条通の向こうには蹴上浄水場があります。

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三条通や地下鉄蹴上駅から南禅寺への道は、インクラインの下をトンネル「ねじりまんぼ」でくぐります。

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インクラインの上は人が一杯で、写真を撮るのに一苦労です。

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かなり高い場所に上ってきました。

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インクラインの上にはもう一台の台車と滑車があります。

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自動車や鉄道等の急速な発達に伴って、琵琶湖疏水の舟運は昭和26年(1951)に廃止されました。その後、観光資源として舟運の復活を望む声があがり、ようやく昨年春から本格的に大津と蹴上の間に遊覧船の運航がスタートしました。

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台車の前にある枝垂桜は昨年3月に「琵琶湖疏水通船就航記念」として植樹されたものです。

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下の写真の左に石仏、右に当時の京都府知事・田邊朔郎が私費で建てた第1疏水工事の殉職者17名の慰霊碑があります。また、左端の柵の中に、御所や本願寺に防火用水を送った水源跡があります。

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「大神宮橋」 日向大神宮は三条通に鳥居があり、この橋は参道となっています。

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橋の上から、下は「蹴上船溜」。

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奥のトンネルから第1疏水、左側から第2疏水の水が流れてきます。右には蹴上浄水場の取水施設があります。第2疏水は電力需要の増加に対処するため、明治45年(1912)に完成しました。

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インクラインの上端から横に行くと「蹴上疏水公園」があります

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下も公園になっていて、向うがインクラインです。

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蹴上発電所の導水管、明治23年(1890)疏水工事(第一疏水)が竣工、翌年蹴上に日本最初の商業用水力発電所が稼働して、市内各所に電力を供給することにより、その後の京都の発展に大きく寄与しました。発電所は後に関西電力に移管されました。

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公園には、疏水工事の主任技師・田邉朔郎の像と記念碑があります。田邉は、北垣知事に招請されて日本で初めての難工事を完成させました。一方、測量主任の島田道生(どうせい)も功労者で、画期的な測量精度によって工事計画の策定や工事の施工に貢献しました。

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最後に、その後の北垣知事と二人の技師について少し。田邉は第一疎水完成後、榎本武揚の媒酌で北垣の長女静子と結婚しました。明治25年に北垣は京都府知事を退任、その後内務次官を経て北海道庁長官となりました。(吉田山に金戒光明寺が見えます。)

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北海道庁長官として北垣は田邉朔郎と島田道生を招聘して、三人は幹線鉄道の敷設や湾港建設などにより、北海道の近代的開発に貢献しました。北垣は政界でも活躍しましたが、晩年は京都に戻りひっそりと暮らしたといわれています。

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田邉は東京帝国大学教授から晩年は京都帝国大学工科大学長を務め、その間も大阪地下鉄など数々の工事の設計・建設に関わりました。一方、島田は北垣が北海道開拓使に勤務していた明治5年、その推薦によって開拓使仮学校(後の札幌農学校)に入学、近代的な図学と測量術を学びました。(蹴上浄水場の方)

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北垣は熊本県大参事、高知県令、京都府知事や北海道庁長官など各地の首長を歴任しましたが、常に島田を測量技師として呼び寄せ、島田は北垣の大胆な建設計画の完成に協力しました。

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後に、島田道生は日本の近代的な土木測量の第一人者となりました。

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コメント

インクラインは、少し遅めのに満開になるのですね。
賀茂川の桜からきて、疎水、インクラインと
少しずつ満開の時期が違っていて、嬉しいですよね。
それにしてもインクラインの桜は見事ですね。
桜の集大成、そんな気がします。

投稿: munixyu | 2019年4月15日 (月) 18:27

★munixyuさん こんばんは♪
桜の頃のインクラインは、若い人や外国人でいっぱいです。数十年前に役目を終え、一時はレールも撤去され周囲は再開発されかかりました。しかし、市民の運動によって産業遺産として再びレールが敷かれ、後に国の史跡に指定されました。
同じような問題は現在でも起こっていて、観光客の宿泊施設が足りないとして、古い町並みが壊され、建物の高さ制限が緩和されようとしています。目先の利便性(利益)を第一に考えて、景観や観光資源を犠牲にしていくと、将来の京都は観光客に見放されてしまうと思います。、

投稿: りせ | 2019年4月22日 (月) 00:43

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