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2019年4月19日 (金)

大河内山荘 2019春

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

先日の記事の天龍寺の北門を出て、竹林の小径を歩きました。写真は列が途切れるのを待って撮っていますが、相変わらずの混雑でした。

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竹林の小径の突き当りに大河内山荘の入口があります。「大河内山荘」は映画俳優・大河内傳次郎(おおこうちでんじろう)が別荘として造営して、現在その山荘と回遊式庭園が一般公開されています。

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門の脇にある拝観受付を過ぎて坂を上ると、左に斜面に上る回遊路、右にお茶席があります。拝観券にはお茶券がついているのですが、帰りに寄ることにします。

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大河内傅次郎は、明治31年(1898)福岡県築上郡岩屋村字大河内(現・豊前市大河内)に生まれ、大正15年(1926)日活大将軍撮影所に入社しました。石段を上ったところにある「中門」は登録有形文化財です。


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サイレント映画の時代でしたが、入社前から大河内の演技を見ていた伊藤大輔監督に素質を認められ、『月形半平太』を裏返しにしたストーリーを書いて『長恨』の題名で作品を撮影しましたた。(中門をくぐると広場になっていて、奥に休憩席が設けられています。)

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長恨のラッシュプリントを見た撮影所長・池永浩久は大河内を気に入り、池田富保監督の『水戸黄門』、続いて大佛次郎原作の『照る日くもる日』に出演させました。(ここから市内が見渡せ、奥には比叡山から東山連峰、手前は双ヶ岡。)

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休憩席の前に「大乗閣」(登録有形文化財)があります。寝殿造、書院造、数寄屋造など日本住宅の伝統的様式を合わせ入れた建物です。他の建物も含めて、傳次郎の構想に基づいて数寄屋師の笛吹嘉一郎が施工しました。

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デビュー作の演技は評判を呼び、翌年(1927)だけで21本の作品に出演。この中の伊藤監督・唐沢弘光撮影の『忠次旅日記』全三部作はサイレント映画時代劇の金字塔ともいえる傑作になりました。以降、このコンビで時代劇を連発、大河内は一躍空前の人気を集め大スターとなりました。

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トーキー映画時代となり、上記のコンビで撮影した一連の「丹下左膳」シリーズは大河内の生涯の当たり役となりました。地元の豊前訛りのある大河内の「姓は丹下、名は左膳」という決めセリフは後の世までモノマネされました。(遠くに虹が出ていました。)

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大河内が全盛期の昭和6年(1931)この山荘の設計・造営を自身で始めました。当時長期保存が難しかったフィルムに対し永く消えることのない美を追究するためともいわれています。

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同年、二尊院の九条家の位牌堂を写して、窪地に高床式の「持仏堂」(登録有形文化財、上の写真)を建てました。熱心な仏教徒だった傅次郎は、このお堂で座禅をしたといわれています。持仏堂の横の石段を上ると2段目の平地があります。

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この地は小倉百人一首でも知られる小倉山の南東面と、嵐山公園(亀山公園)に挟まれた約2万平方メートルの荒地でした。傅次郎は映画出演料の大半を注ぎ込み、亡くなるまで30年の歳月をかけてこつこつと山荘を作り上げました。

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その際一番苦労したのが井戸だったそうです。山頂近くだったので、地下水脈に至るまで相当深く掘らなければならず、出来上がった井戸は石を投げ込んで七、八つを数えなければ音がしないほどの深さだったといいます。 

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「滴水庵」 1937年に移築され、木造平屋建で、2室の広間の茶室と土間のある数寄屋造りの水屋です。すべての庭も傅次郎の着想にもとづき、傅次郎と庭師・広瀬利兵衛が一緒に造営したといわれています。

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茶室の横の回遊路をさらに上ると尾根に出て、保津川を挟んで正面に嵐山があります。すぐ下には、亀山公園の展望台から尾根伝いの道が通っています。

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上流は保津峡、右は小倉山の斜面です。

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「大悲閣」が間近に見えます。

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尾根伝いに少し北に行くと、開けた場所に茶室「月下亭」があります。ここが一番高い3段目の平地になります。

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傅次郎はこの山荘に住み、自ら木を植え石を据えて庭園を造り続けました。(ここからは市内の大部分が見渡せます。)

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戦後も数々の有名作品に出演しましたが、敵役や脇役を演じることも多くなりました。それでも山荘を造り続け、最期は大乗閣で亡くなったそうです。(奥は比叡山、左手前が衣笠山で中央に仁和寺の五重塔が見えます。)

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京都タワーなど市内の南部も見え、奥の高い山並は湖南アルプスです。

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回遊路は月下亭から直接茶席まで下り、途中に瓦を敷き詰めた道があります。

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傅次郎の死後、妻をはじめとする遺族が山荘を維持してきました。(お茶席に戻ってきました。)

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傅次郎が亡くなってから40年後の2002年、山荘は国の登録有形文化財に指定されました。現在この山荘は大河内家から京都市に寄贈され、「大河内山荘庭園」として京都市が管理しています。

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抹茶に茶菓子(最中)がついています。

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コメント

りせさんが何回か記事にしてくださったお陰で、迷わず「左に」行けました!最後にお茶は最高です♪
最初は拝観料無料の所ばかり行ってましたが、写真を見てから方針を変え、大当たりでした。
人は少ないし、見どころは多いし、手入れや維持に少しは貢献できたかなという気持ちも生まれました。

次は大悲閣千光寺をめざします。星のやさんの送迎船が止まるとこまで、寄ってくれる有料渡し船はないのかしら?歩く距離を減らしたい私です。

投稿: ゆっこ | 2019年4月19日 (金) 11:48

保津川辺りの桜は、今が見ごろなのですね。
春爛漫でいいものですよね。
お茶と最中。
シンプルな時間、こういう時間が一番贅沢なのかもしれません。

投稿: munixyu | 2019年4月19日 (金) 18:08

★ゆっこさん こんばんは♪
お返事が遅れてすみませんでした。私のブログの情報が少しはお役に立ててうれしいです。
星のやさんまでの道は、景色もよくて歩きやすかったと思いました。でも、船で行けるとしたら私も乗ってみたいですね。調べてみると、星のやさんの送迎船に乗るしかなく、そのためには宿泊する必要があるようです。

投稿: りせ | 2019年4月22日 (月) 01:22

★munixyuさん こんばんは♪
確かに、山沿いは市内中央より桜の開花や見頃は遅いですね。今年の場合は、桜の満開が長く続いたので、市内各所で同時に見頃となりました。

投稿: りせ | 2019年4月22日 (月) 01:32

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