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2019年4月24日 (水)

清凉寺 2019春

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

昨日の記事の二尊院から帰宅する途中、東に歩いて清凉寺の西門に来ました。既に午後5時過ぎでしたが6時半まで通り抜けできます。「清凉寺」は、山号を五台山という浄土宗知恩院派の寺院で、「嵯峨釈迦堂」の名でも知られています。

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西門を入った左に平安時代初期の818年、嵯峨天皇の勅により空海が建立した「嵯峨薬師寺」があります。正式名称は竜幡山薬師寺で、薬師如来像を安置して病の平癒を祈願、かっては真言宗、後に浄土称に改宗しました。

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隣の「薬師寺本堂」 左前に「生の六道 小野篁公遺蹟」の石標があります。六道珍皇寺にある小野篁冥土通いの井戸は、冥界への入口で「死の六道」と呼ばれ、かって福生寺(後に薬師寺に吸収)の境内にあった井戸が冥途からの出口とされます。

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向かいは昨年秋修復工事を終えた「狂言堂」 国の重要無形民俗文化財に指定されている「嵯峨大念佛狂言」が行われます。すべての役者が面をつけ、台詞がなく無言で進行する狂言で、壬生寺、千本閻魔堂とともに京の三大念仏狂言となっています。

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「鐘楼」は江戸時代の建立、梵鐘は南北朝時代(1484年)の鋳造で、足利義政、日野富子など700人以上の銘があります。嵯峨八景の一つに選ばれ、「清凉晩鐘」「五台晨鐘」といわれています。

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中央は「豊臣秀頼首塚」 1980年に大阪城三の丸跡地から発掘された秀頼の首は、1983年にゆかりの清凉寺に埋葬されました。首には介錯の跡があったといわれています。左は「大阪の陣 諸霊供養碑」。

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向うは出口になる「仁王門」で天明4年(1784)の再建、全体的に和様と禅宗様を折衷したもので、初層には室町時代の仁王像、上層には十六羅漢像を祀ります。右に多宝塔、見えませんが左手前に本堂の釈迦堂があります。

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「釈迦堂」 安土桃山時代の慶長7年(1602)に豊臣秀頼が寄進し、本尊の釈迦如来像(国宝)を安置します。寛永14年(1637)の嵯峨大火により焼失しましたが、桂昌院の発願、住友吉左衛門の援助によって元禄16年(1703)に再建されました。

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釈迦如来像は、平安時代に宋に留学中の東大寺僧・奝然(ちょうねん)が、存命中の釈迦をモデルに造られた像を模刻して日本に持ち帰ったものです。インド・中国・日本と渡り、釈迦に生き写しなので「三国伝来 生身釈迦如来」とよばれています。

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釈迦如来像は人気となり、全国に清凉寺式釈迦如来が造られ、浄福寺や槇尾山・西明寺に残っています。奝然は、愛宕山を中国の五台山に見立て、その山麓に釈迦如来像を安置する寺の建立を目指しましたが、延暦寺の反対により実現せず釈迦堂の前に葬られました。

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「阿弥陀堂」 ここにはかって嵯峨天皇の皇子・左大臣源融の別荘があり、その供養のため跡地に棲霞寺(せいかじ)が建てられ、阿弥陀三尊像が安置されました。その後、清凉寺の阿弥陀堂として江戸時代末期に再建されました。

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阿弥陀堂の左奥にある「霊宝館」 上の阿弥陀三尊像など国宝や重要文化財を収蔵、4・5月と10・11月に特別公開されます。そのうち、阿弥陀如来像(国宝)は、源融を写したとされ、彼は源氏物語の光源氏のモデルの一人なので「光源氏移し顔」ともいわれます。

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下は阿弥陀堂の横にある「桂昌院遺愛の井戸」。桂昌院は、大徳寺近くの公家の家司に生まれ、3代将軍・徳川家光の側室となり、5代将軍・綱吉を生みました。応仁の乱以後の戦乱で荒廃した多くの京都の寺社の復興に貢献しました。

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奥は「庫裡」、左の道を行くと釈迦堂の横に出ます。

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奝然の遺志を継いだ弟子の盛算(じょうさん)が、棲霞寺の境内に建立したのが現在の「五台山清凉寺」です。当初は華厳宗の寺でした。釈迦堂から渡り廊下が方丈まで続いています。

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仁王門の方に行く途中、阿弥陀堂の隣に「ゆどうふ竹仙」があります。森嘉の豆腐の湯豆腐や旬の食材を使った京料理を頂けます。胡麻豆腐などのオリジナル商品の販売もしています。

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竹仙の前に「源昇公墓碑」という宝篋印塔があります。源昇は源融の次男で、大納言まで昇りました。源融の供養のために棲霞寺を建て阿弥陀三尊像を安置したのは彼です。

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「一切経蔵」 江戸時代中期の建立で正面に善慧大士座像、脇に普浄、普賢像を祀ります。中に「輪蔵」があり一切の法、経典5408巻が収められ、法輪を一回転させると一切経をすべて読んだ功徳が得られるとか。四隅を四天王像が守っています。

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向かいの「多宝塔」 江戸時代(1700年)に江戸で造られ、1703年に清凉寺に移築されたものです。左端に「あぶり餅」が名物の茶店「大文字屋」がありますが既に閉まっていました。

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「法然房源空二十四歳 求道青年像」 法然(法然房源空)は比叡山では既に学ぶものがないとして黒谷別所に移り叡空を師として修行、さらに清凉寺に七日間参篭しているときに、集まる民衆を見て衆生救済について深く考え、後に浄土宗を開く契機となりました。

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「聖徳太子殿」 法隆寺の夢殿を模して建てられたとされ、境内の南西の隅にあります。この奥に源融の墓とされる宝筐印塔があります。

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「嵯峨大念仏講伝承碑」 清凉寺の大念仏会を創始した円覚上人が説法中、群衆の中に生き別れになった母親を見つけたという話から、「あみだ 母みた 母みた」と大念仏会のときに唱えるのだそうです。

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「愛宕権現社」 社司・慶俊が鷹ヶ峰から愛宕山に愛宕権現を移転する際にこの地に一時遷宮したとされ、祠殿は江戸時代中期の1716年の建立。明治の神仏分離令以前はここで神事が行われたそうです。

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この日は阪急嵐山駅から出発して、法輪寺、嵐山公園、天龍寺、大河内山荘、常寂光寺、二尊院、清凉寺を訪れました。祇王寺・滝口寺までは行けませんでしたが、市街地より遅い桜を楽しみました。

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ここから、帰りのバス停までもかなりの距離です。

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コメント

桜は、見る時間によって、
趣きが全然違うのがまたいいですよね。
夕方に一気に変わる夕桜の趣は、心に強く響きます。

投稿: munixyu | 2019年4月24日 (水) 12:36

★munixyuさん こんにちは♪
夕桜というのは意識していませんでしたが、夕陽に映えて美しい光景でした。

投稿: りせ | 2019年4月25日 (木) 09:54

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