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2019年4月11日 (木)

醍醐寺・霊宝館 桜と寺宝

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

昨日は一日中冷たい雨が降り続き、どこにも出かけていません。今日は先日記事にした醍醐寺の続きでで、三宝院の前の南北の道は桜並木になっています。

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上の道の左手に霊宝館の表門があります。「霊宝館」は、醍醐寺が所有する仏像や絵画、工芸品、文書などを収蔵、公開を行う施設です。塔頭の諸堂の尊像を除いて、ほとんどの寺宝・伝承文化財が霊宝館に安置されています。

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これらは、国宝75,522点、重要文化財425点(平成30年度現在)、その他未指定を含めると約15万点におよびます。最初に下の建物の「本館」とその奥の「平成館」に入ります。

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醍醐寺以外に、国宝の点数が多いのは福岡県・宗像大社所有の宗像大社沖津宮祭祀遺跡出土品約8万点、および、京都府立京都学・歴彩館が保管する東寺百合文書(ひゃくごうもんじょ)24,067通があります。

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古代、中世以後の歴史的文化財の国宝数としては全国で突出していて、それは醍醐寺の歴史と関わっています。膨大な寺宝・文化財は、開山以来の歴代の座主や多くの僧侶達によって守り継がれてきました。(建物内では休憩室だけが撮影可能です。右は「醍醐深雪桜」。)

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しかしながら、明治維新後に起きたいわゆる「廃仏毀釈」によって、京都や奈良を中心とする多くの寺院は困難な状況に追い込まれました。(本館を出て、もう一つの建物に向かいます。)

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多くの寺院は、廃寺や統合されたり、財政難から仏像や什物の譲渡・売却を余儀なくされました。多くの文化財が海外へ流出したのはこの時期です。(山門の横に土産物とカフェの建物があります。)

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醍醐寺では、三宝院に伝承される二つの法流(三宝院流と恵印法流)が一致して、一山に伝わるすべての宝物を一つも流出させてはならないという立場で、困難な時期を乗り越えたそうです。(散策路の右の芝生には満開の枝垂桜が並んでいます。)

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醍醐寺に伝わる古文書・聖教類の調査は、桃山時代の義演座主が、平安期より伝承されている文書一紙一紙を箱に入れ保存したことに始まります。(本館の右にある樹齢100年のソメイヨシノは、昨年の台風の被害で太い幹を切らざるを得なかったようです。)

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明治35年(1902)からは東大史料編纂所員・黒板勝美氏が予備的調査を行い、その数658函(箱)と確認、内容的にも仏教史料に留まらず、政治、経済、芸能の分野に至るまで、日本史に関わる貴重な史料であることが明らかになりました。(若い枝に花が咲いてちょっと安心です。)

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大正3年(1914)から本格的調査が始まり、以来百年間調査は継続されて『醍醐寺文書聖教目録』として作成されつつあります。その結果、第1函より558函までの69,378点が昭和25年に「醍醐寺文書聖教」として国宝に指定されました。

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明治以降、文化財指定は彫刻や建造物が中心で、古文書は古紙同然の扱いでせいぜい参考史料と見なされてきました。それが醍醐寺文書の調査とともに、文献史料の重要性が認識され、文書の文化財指定が進みました。

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古文書の歴史的価値が認められてきたことには、後に東京帝国大学教授となり、数々の文化財の調査・保存に関わってきた黒板勝美氏が大きく貢献しました。(仏像館に向かいます。)

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現在では、伝承されるすべての文化財がデータベース化された「醍醐寺文化財総合管理システム」が構築され、その積極的管理に努めているそうです。現在ではWEBサイトでも伝承された宝物の概要を見ることができます。

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上と下は先ほど休憩室からみた「醍醐深雪桜」です。三方を建物で囲まれていたためか、昨年の台風による被害はあまりなかったようです。

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寺宝を管理・展示する施設の面でも、醍醐寺は先駆的な役割を果たしてきました。醍醐天皇の没後1100年にあたる昭和5年(1930)から霊宝館の建設が始まり、昭和10年(1935)に最初の施設が公開されました。

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私設の展示施設としては早い時期の建設で、当時として最高の設備が備えられていました。(仏像館の前から)

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その後、所蔵品の増加に伴って昭和54年(1979)には新たに収蔵庫3棟が新築(後に本館として改築)され、平成13年(2001)に新たに「平成館」が増築されました。(この時は、霊宝館の裏手を回ることができました。このあたりには献木の若木が並んでいます。)

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霊宝館の裏に来ました。ここには比較的古く奉納された桜の木が多く、種類もいろいろのようです。

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ところで、現在の醍醐寺の寺宝・文化財の調査・研究は「醍醐寺文化財研究所」があたっています。さらに、調査結果の公開、出版、データベース化なども行い、霊宝館の展示企画も担当しています。

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現在、学術研究の成果は「研究紀要」に、さまざまな醍醐寺の情報は季刊誌「醍醐春秋」に年2回刊行されてきました。一方、醍醐寺に伝わる古文書・聖教類の『教醍醐寺文書聖教目録』については、今まで1、2、3、6巻が刊行されました。

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全658函のうち1~60函と101~130函で、全体の7分の1弱にとどまります。いかに膨大な文書類であるかが分かります。(霊宝館の真後ろにある大きな紅枝垂桜は、おそらく、醍醐寺で最も背の高い桜の木だと思われます。)

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枝の先が少し折れているようですが、この木を見るのを楽しみにしていたので無事で安心しました。

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古文書の一つ一つが、その時代のワンシーンの様々な情報を含んでいて、政治や文化、宗教などの歴史の研究者にとっては貴重な資料となっています。霊宝館の横(北)に来ました。右の塀の向こうは総門から仁王門への参道です。

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以上の理由で、醍醐寺は日本最大の文化財伝承寺院とよばれています。(振り返ると、仁王門が間近に見えます。この後、下醍醐の伽藍を訪ねました。)

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コメント

しだれ桜は、本当に花の雨という言葉が似合いますよね。
風にキラキラ、風情があっていいものだと思います。
ずっと見ていたい花。そんな気がします。

投稿: munixyu | 2019年4月11日 (木) 18:34

りせさん こんばんは
4月5日の醍醐寺の桜は ちょうど満開で
下醍醐中が 桜色に染まっていましたね。
私もその日に行っていました。
この時期は市内の桜処には出かけないのですが
醍醐の桜だけは毎年必ず会いに行きます。

私は滋賀高島市出身なので 子供の頃
海津大崎の桜はよく見に行きました。
でも もう何十年も行っていないので
なつかしい郷愁を覚えました。
どの場所から眺めても
母なる琵琶湖の景色にはいつも癒されます。

投稿: カワセミ | 2019年4月12日 (金) 19:54

★munixyuさん こんにちは♪
しだれ桜は確かに風情がありますね。老木になると風格もでてきて、ちょっと近寄りがたい雰囲気もします。

投稿: りせ | 2019年4月15日 (月) 15:49

★カワセミさん こんにちは♪
お返事が遅れました。この日は醍醐寺に来られていたのですね。テレビの桜情報を見ていて、そろそろかなと思って出かけました。
海津大崎の桜は見事ですね。琵琶湖に映える桜並木と桜並木を通してみる琵琶湖、どちらも私の好きな景色です。京都からは少し遠いのですが、たくさんのツアーが京都から出発しています。それでも、ようやく予約が取れたほどの人気でした。

投稿: りせ | 2019年4月15日 (月) 15:57

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