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2019年4月20日 (土)

小倉池から落柿舎へ 2019春

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

昨日の記事の大河内山荘を出て、トロッコ嵐山駅の方に坂道を下ると、「小倉池」とそのほとりに「御髪(みかみ)神社」があります。上の写真で左の階段は尾根伝いに亀山公園へ行く道だと思われます。

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小倉池は一昨年から水質改善と水中生態系の保全を目的に整備工事が行われています。既に池底整備と池岸の石積みが完了しているようです。

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御髪神社は、日本で唯一の理容・美容など髪の毛の守護神を祀る神社です。宮司さんが社務所におられるときは、池のほとりに車が停車しているので分かります。

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池底に花蓮を定植する作業はまだ続いているようです。かってのように多くのカワセミが飛来する池が復活してほしいものです。

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池の北の小径沿いに、人形作家の森小夜子さんが経営するカフェとスタジオ・ギャラリー「アイトワ」があります。

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カフェでは気軽な食事もでき、スタジオでは人形教室も行われます。森小夜子さんの人形は、子供でありながら憂いを秘めた深い表情と精緻な民族衣装が特徴で、写真集や展覧会も人気です。

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ちなみに、最近知ったことですがアイトワは「愛とは?」「愛と環」「愛永遠」の三つの意味を込めた言葉だそうです。*アイトワの前の道である店による「客引き」が行われていますのでご注意を。

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「常寂光寺」は、山号を小倉山という日蓮宗の寺です。「花の寺」あるいは境内を囲む「塀のない寺」としても知られています。山門に「枝垂桜開花中」の看板があります。

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安土桃山時代の文禄5年(1596)、究竟院日禛(くきょういんにっしん)上人(開山)が、角倉家から小倉山の土地の寄進を受け隠棲地としたのが始まりです。

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開花中の枝垂桜は、参道左の休憩所の前にありました。花びらが根本に積もっています。

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慶長年間(1596~1615)に日韶(にっしょう)上人(2世)が小早川秀秋の助力を得て、桃山城客殿をこの地に移築して本堂としたのが常寂光寺です。(反対の斜面から見ると、枝垂桜は全体にまだ花をつけていました。)

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「仁王門」は元和2年(1616) 大本山本圀寺客殿の南門を移築したもので、仁王像は運慶作と伝えられます。仁王門の向こうの石段を上ります。

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「本堂」 数年前に修復工事が完了して外観が新しくなりました。本尊として十界大曼荼羅を安置しています。

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本堂の左の「妙見堂」は享和年間(1801~1804)の建立。洛陽十二支妙見に数えられ「酉の妙見」といわれます。本尊は能勢型の妙見大菩薩で、日禛上人開眼の鬼子母神と十羅刹女、大黒天像が合祀されています。

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桜や紅葉の頃は、妙見堂の前にちりめん山椒のお店が出ています。東側が開けていて、市内の広い範囲や奥に比叡山から東山連峰が見渡せます。

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本堂と妙見堂の間の坂道を上ります。左手は竹林になっていて三つ葉つつじが咲いていました。

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「歌仙祠」 創建以前からあった小さな祠を開山時に山上へ移転、明治23年(1890)に改築しました。扁額は富岡鉄斎の筆で、祠内に藤原定家、家隆の座像を祀っています。左に定家が小倉百人一首の編纂をおこなった「時雨亭跡」の石碑があります。、

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さらに坂道を上り「展望台」(坂道の一番高い場所)に来ました。手前に衣笠山と双ヶ岡があり市内各所が見えるのですが、昨日の大河内山荘でも見たので省略します。

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「開山堂」 平成16年(2004)に建立され、日禛上人座像(江戸初期)を祀っています。ここにも枝垂桜がありました。

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「多宝塔」 江戸時代初期の元和6年(1620)辻藤兵衛の寄進により建立され、釈迦如来、多宝如来の二尊を祀ります。辻藤兵衛は京都町衆(呉服商)で反骨の僧といわれる日奥上人の実家です。記事の最後の写真も多宝塔です。

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ところで、寺地を寄進された開山の日禛上人は、角倉了以の大堰川開発に協力しました。了以は所縁のあった牛窓(現瀬戸内市)から18人の舟夫を呼び寄せ、彼らは毎年川が開かれる8月から翌年4月まで常寂光寺を宿舎として滞在しました。

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後に角倉家のはからいで天龍寺の近くに小屋が建てられ、牛窓から移り住みました。その地は小屋町といい、後に角倉町と改称されました。(庫裏の周囲にはいろいろな花がありました。)

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そのため、常寂光寺の檀家には、今も牛窓出身者が多いといわれています

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常寂光寺を出て真直ぐ行くと、左手に広い空地があります。ここは「小倉あん発祥の地」とされ風致地区(第一種)に指定、生産緑地として京都市が買い取って 昔ながらの景観を保存しています。

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東側に耕作中の農地があり、向かいには「落柿舎」その左に「嵯峨天皇皇女有智子(うちこ)内親王墓」があります。皇女は女性として珍しく漢詩人として評判となり、平安時代初めの810年初代の賀茂の斎院に選ばれ847年に40歳で亡くなりました。

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落柿舎は、松尾芭蕉の高弟として知られる向井去来の閑居跡で、その裏には去来の墓があります。その前はいつも人だかりがしていますが、中に入る人は少ないようです。

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コメント

桜もあっという間に散り始めましたね。
そして気がつけばもう4月半ば。
時間は、上手く合っているものですよね。

投稿: munixyu | 2019年4月20日 (土) 12:54

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