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2019年3月 2日 (土)

城南宮 境内の梅咲き始める

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

梅が見頃とのことで、城南宮に行ってきました。今日は、境内の摂社や社殿を見て回りながら城南宮の歴史を振り返ります。上は東の鳥居でこの参道沿いに摂社があります。扁額は「有栖川流書道」を大成した有栖川宮幟仁(たかひと)親王の筆。

平安京以前からこのあたりは秦氏の勢力圏で、その氏神を祀る「真幡寸(まはたき)神社」という式内社がありました。式内社とは、神社一覧である「延喜式神名帳」に記載されている由緒のある神社のことです。

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真幡寸神社の祭神は、八千矛神(やちほこのかみ)と息長帯日売尊(おきながたらしひめのみこと)でした。神功皇后の三韓征伐の際に船上に立てた旗に、祭神の神霊を添えて奉斎したことが「真幡寸神社」と朝廷とのつながりの契機となりました。「社務所」

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真幡寸神社は城南宮の氏子地域のうち、竹田地区の人々の信仰が厚いそうです。下は「芹川(せりかわ)天満宮」(唐渡天満宮) 平安時代後期の1111年に城南宮の南の芹川の地に菅原道真を祀ったと伝えられ、大正時代の初めに現在地に遷座されました。

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城南宮は、794年の平安遷都の際に、都の安泰と国の守護を願い、真幡寸神社の祭神に、国常立尊(くにのとこたちのみこと)を合わせ祀ったのが始まりとされます。城(平安京)の南に鎮座することから城南大神と崇められました。

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ところで、城南宮の祭神のうち、八千矛神は神話では大国主命、息長帯日売尊は神功皇后とされます。国之常立神は、最初に現れた神で、その名の由来は日本の創始あるいはその永久の平安を意味するなどの説があります。

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「一寸法師の絵馬」  昔話の一寸法師は、お椀の舟に乗って都を目指し鳥羽の津(城南宮の南)に着きました。また、都の貴族に仕えてお姫様と一緒に鳥羽の津から船出、大風に遭い奇妙な島に流されます。

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島で襲いかかって来た鬼を退治、手に入れた打ち出の小槌によって、金銀財宝を手に入れ、体も大きくなり、末永く幸せに暮らしました。一寸法師の幸せは、城南宮が鎮座する鳥羽の地によってもたらされたといえ、あやかって絵馬になっています。

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平安時代後期になると、白河上皇や鳥羽上皇によって、この地を取り囲むように城南離宮(鳥羽離宮)が造営されて院政の拠点となりました。その頃から、平安京の南にあったことから城南宮と呼ばれ、離宮の鎮守として一層崇められました。「絵馬舎」に植木屋さん。

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当時の9月の城南祭では、神輿行列に加え、流鏑馬や競馬(くらべうま)も行われ大いに賑わったといわれています。

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「朱の鳥居」と正面に「拝殿」。

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「神紋」 太陽と月と星を組み合わせた「三光の神紋」は全国的に見ても珍しいそうです。太陽と月は昼と夜に全ての物を照らして命と力を与え、星は夜でも方角の導きとなり、不動の輝きから天皇を象徴し、祭神の神功皇后の御座船の旗印にもなりました。

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「三照宮(さんしょうぐう)」 朱の鳥居の前の石段の上にあり、天照大御神を祀ります。城南宮の氏子地域のうち、特に上鳥羽の人々の信仰が厚いとのことです。城南宮の神紋の「三光の紋」が桧皮葺の屋根の棟にあり、「三光社」ともいわれました。

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手水舎の「菊水若水」 伏見の名水として知られ、江戸時代の初め霊元法皇がこの水を飲み痛みが治ったといわれ、お百度を踏んで祈願して水を持ち帰る習慣が伝わっています。若狭からの水がこの下を通り、東大寺のお水取りの「若狭井」に通じているといいます。

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城南離宮の御殿は、熊野詣の精進所や方違(かたたがえ)の宿所にもあてられ、城南宮が京都御所の裏鬼門を守る神とされたことから、上皇や貴族が方位の災厄から無事であるように祈願しました。(「神輿庫」の前にある枝垂れ梅が咲いていました。)

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方違とは、外出や儀式などの際にその方角が悪いと、いったん別の方向に出かけ、目的地が悪い方角にならないようにすることです。このように城南宮の方除(ほうよけ)のご利益は平安時代の昔から信仰されています。

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城南宮は、応仁の乱などの戦乱で荒廃しましが、江戸時代になって復興され、幕末の文久3年(1863)には孝明天皇がここで攘夷祈願をおこないました。「授与所」

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明治10年(1876)には城南宮は、式内社「真幡寸神社」に比定され、社名を「真幡寸神社」に改称しました。「比定」とは、延喜式に記載された神社と同一、もしくはその後裔と推定することです。「前殿」に「向拝(こうはい)」が張り出し、「翼廊(よくろう)」か伸びています。

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前殿の背後にある「本殿」には上で述べた城南大神の3柱を祀り、工事や引越の時に限らず、新年や節分、年度初めや人生の節目となる大切な時、新しいことを始める際に、力を与えてくれる神として信仰されています。

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昭和43年(1968)になって社名を「城南宮」にもどし、境内摂社として新たに「真幡寸神社」の社殿を設けました。この摂社が最初に見た東の鳥居の傍にある摂社です。

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2月18日から3月22日の期間、「しだれ梅と椿まつり」が開催されています。期間中の午前10時、さらに、土日祝日は午後3時からも、本殿の右にある「神楽殿」の表舞台で「梅が枝神楽」が行われます。また、随時「梅の花守り特別授与」が行われます(下の写真)。

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初穂料を納めて美容健康と招福を祈願した花守り を受ける方を、一人ずつ巫女さんが神楽鈴でお祓いします。

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この後、神苑に入りました。

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コメント

ここの梅は、柔らかい雰囲気で、
初春というか仲春ぐらいを感じますね。
眠くなってしまいそうです。

投稿: munixyu | 2019年3月 2日 (土) 12:14

★munixyuさん こんばんは♪
桃色の枝垂れ梅は、確かに柔らかい雰囲気がしますね。後で入った「春の山」はそんな枝垂れ梅が中心でした。

投稿: りせ | 2019年3月 7日 (木) 00:20

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