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2019年3月11日 (月)

東向観音寺 神宮寺と土蜘蛛伝説

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

北野天満宮に梅を見に行ったとき、東向観音寺を訪れました。「東向観音寺」は、正式名称を朝日山観音寺といい、真言宗泉涌寺派の準別格本山、洛陽観音霊場第31番札所です。北野天満宮の二の鳥居前の左(西)にあります。

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創建は北野天満宮より古く、平安時代初めの延暦25年(806)、桓武天皇の勅令により大納言藤原小黒麻呂(おぐろまろ)と賢璟(けんけい)法師が創建し、当初は朝日寺といいました。(山門の横に石仏が安置されています。)

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天暦元年(947)朝日寺の僧・最鎮(最珍)らが天満宮を建立して道真の廟を移し、その後の応和元年(961)、筑紫の観世音寺より菅原道真作の十一面観世音菩薩を請来しました。(山門)

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鎌倉時代末の応長元年(1311)、律宗の無人如導(むにんにょどう)宗師が中興して、北野天満宮の神宮寺となりました。以来室町時代にかけて、花園、後醍醐、光厳、光明の四天皇が厚く信仰したといわれています。(山門横に「洛陽第三十壱番」、「天満宮御本地仏十一面観世音菩薩」の石標があります。)

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この頃には北野天満宮奥之院とも呼ばれました。当時は現在の東参道(上七軒)が表参道で、この寺が一番奥にあったのです。道の両側に向かい合って東向と西向(一夜松の観世音菩薩を安置)の二つのお堂が建っていました。(山門を入って左に手水舎。)

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その後、応仁の乱や火災等により、寺は焼失・荒廃しました。17世紀に入り、豊臣氏が北野天満宮を復興した際に、東向観音寺だけが再建されました。(本堂・礼堂)

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本尊の十一面観世音菩薩は天満宮御本地仏とされ、25年に一度の御年祭にだけ開帳される秘仏です。次の開帳は1125年祭の2027年だそうです。神仏習合時代に、本地仏は、神が人々を救済するために仏や菩薩の姿となったものとされました。、

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「本堂」は17世紀前期に建てられ、江戸時代の元禄7年(1694)、その正面に造合を介して「礼堂」が増築されました。本堂は方三間の本格的な仏堂、礼堂は簡素な造りになっている複合形式で京都市有形文化財に指定されています(外からはよく分かりませんが)。

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江戸時代に入ると一條家の祈願所となり、一條家出身で明治天皇の皇后になった昭憲皇太后はこの寺で勉学されたといわれています。 江戸時代の後期に、筑紫の観世音寺にならって観音寺と改称されました。(寺務所)

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「白衣観音堂」 明暦元年(1655)に大明国(中国)の陳元贇(ちんげんぴん)禅師から寄進された高王白衣観世音菩薩を祀ります。子供を抱いた珍しい観音像xで、世継子授や安産の信仰を集めています。堂内には御礼参りに納めた人形が多数祀られているそうです。

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「延命地蔵大菩薩」 由来は不明ですが、生まれてくる子を加護し、その寿命を延ばしてくれるとされます。街角にある辻地蔵や地蔵盆の多くが延命地蔵を祀っています。

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「岩雲弁財天」 この寺の鎮守神で、豊臣秀頼が本堂を再建した時に奉納した弁財天を祀ります。毎年12月1日の柴燈大護摩供に開帳され、商売繁昌、財運招福、交通安全等のご利益があるとか。手水舎の奥にあります。

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「行者堂」 役行者(えんのぎょうじゃ)は飛鳥時代から奈良時代の呪術者で、修験道の開祖とされます。後に光格天皇から神変大菩薩(じんべんだいぼさつ)の諡名を賜りました。山門横に石標があることから、ここに役行者が祀られていると思われます。

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本堂と行者堂の間の道を行くと、菅原道真の母の御廟と伝わる「伴氏廟」があります。

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大きな石造五輪塔で、かって三の鳥居西側の伴氏社の場所にあり、明治の廃仏毀釈でここに移されました。古来から忌明(きめい、いみあけ)にこの塔に参詣する風習があり、忌明塔とも呼ばれているそうです。忌明は喪に服する期間が終わることです。

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「土蜘蛛灯籠」 かって近くの七本松通一条に「土蜘蛛塚」があり、平安時代の武将・源頼光を悩ませた土蜘蛛が棲んでいたといわれていました。明治時代にこの塚を発掘したところ、石仏や墓標などの破片が見つかりました。

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その際、ある人が出土した灯籠の火袋をもらい受け、庭に飾っていたところ家運が傾き、土蜘蛛の祟りと怖がって、当寺に奉納されたものだそうです。新しい花が供えてあり、お寺では毎日供養をしているようです。

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「土蜘蛛」は、古事記や日本書紀にも登場して、天皇に恭順しない土着の豪傑・豪族・賊魁などに対する蔑称として用いられてきました。しかし、時代を経るに従い、土蜘蛛は物語や戯曲などに取り上げられ、蜘蛛の妖怪と見なされていきました。

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一説には、頼光の父・源満仲は土豪(土蜘蛛)たちの一族と結託して藤原氏に反逆を企てましたが、安和の変の際に裏切って保身を図ったため、一家は土蜘蛛たちから恨みをかっていたといわれます。上の「頼光を悩ませた土蜘蛛」は、当寺の説明板の表現です。

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「頼光が退治した土蜘蛛」としていないのは、より史実に近い両者の関係を表そうとしているのかも知れません。

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コメント

梅が満開になると、だんだん桜への期待が高まってきますよね。
花粉が飛びつつありますが、日も眩しく、
嬉しい時期が近づいてきました。

投稿: munixyu | 2019年3月11日 (月) 12:07

このエントリー、すごく良かったです.
興味心や探究心もひきつけられましたし、知らないことも多かったです。

正直に言うと、上七軒がむかしの表参道だったことも、
なぜか気づきませんでした。
(なぜ、こんなことにも気づかなかったのか。
あまりに今の表参道が大きすぎて、気づきませんでした。)

天満宮に行くたび、このお寺と北野天満宮との関係を、漠然と想像していたわたしは、
このエントリーすごく勉強になりました。

25年に一度御開帳の「本尊の十一面観世音菩薩」も気になりますが、

「高王白衣観世音菩薩」がすごく見たいです。
子供を抱いた観世音菩薩は、見たことがありません。

「贈られた」というのは、やはり中国渡来の仏像なのでしょうか?

興味が尽きないです。

投稿: manabu | 2019年3月11日 (月) 13:30

★munixyuさん こんばんは♪
今年の桜の開化は早いといわれています。天気が続くといいなと思っています。

投稿: りせ | 2019年3月12日 (火) 22:36

★manabuさん こんばんは♪
お返事が遅れましたが、コメントありがとうございます。陳元贇は、30歳のときに明の混乱から逃れて日本に渡来した文化人だったようです。尾張藩に抱えられ、漢詩や陶芸に秀で、拳法(柔術?)を日本に伝えたともいわれています。中国には戻らず、江戸や京を訪問して文化人らと交流を深めたそうです。一方、白衣観音は三十三観音の一つですが、高王白衣観音は中国渡来の可能性もあります。陳元贇は中国から輸入したものを贈り物としたこともあったそうです。それ以上のことは分からないのでごめんなさい。
なお、このお堂の中は撮影禁止となっています。

投稿: りせ | 2019年3月12日 (火) 23:42

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