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2019年3月 8日 (金)

鳥羽離宮跡と鳥羽伏見の戦い勃発の地

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

先日の記事の城南宮を出て、その西にある鳥羽離宮跡公園を訪れました。上は城南宮の西の鳥居でこちら側には「城南宮道」が続いています。手前は国道1号線(京阪国道)で、この交差点から一筋西と南に公園があります。

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「鳥羽離宮」は、平安時代後期に白河上皇が造営を始め、鳥羽上皇の頃に完成した院御所です。伏見区の下鳥羽、中島、竹田、南区の上鳥羽にかけて広大な離宮が築かれ、白河、鳥羽、後白河上皇3代にわたる院政が行われました。

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全国から資材を集めて建造され、周辺には多くの寺院や御所が立ち並び、院に仕える貴族から雑人に至るまで周辺に住宅地が与えられて移り住みました。さながら、第2の平安京の造営、あるいは遷都ともいえる壮大なプロジェクトだったようです。

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離宮内には、南西に南殿(みなみどの)、北西に北殿、東に泉殿と東殿、中央に馬場殿、北に田中殿などの御所が、南にある広大な池に接して造営されました。これらの御所は陸路だけでなく水路でもつながれていました。

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この公園のあたりは南殿があった場所です。応徳3年(1086)上皇となった白河法皇はまず南殿の造営を開始、翌寛治元年(1087)には完成しました。(公園には遊具も設置されていますが、広大なので目立ちません。

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各々の御所には、寝殿とその周囲に庭園や苑池が設けられ、様々な殿舎や仏像を安置する御堂がありました。南殿には康和3年(1101)証金剛院(しょうこんごういん)が建立されました。(公園の周囲を回ります。)

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天台宗の高僧・覚猷(かくゆう)は、鳥羽離宮の証金剛院に住んだことから、鳥羽僧正と呼ばれました。覚猷は仏教界の重鎮であるにも関わらず風刺とユーモアのある人物で、『鳥獣人物戯画』、『放屁合戦』、『陽物くらべ』などの作者と伝えられています。

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公園の南側の入口付近に説明板があります。下は杉山信三氏による南殿建物の復元鳥観図です。杉山信三氏(1906-1997)は日本史研究者で京都市埋蔵文化財研究所所長、として平安京発掘の第一人者といわれ、近畿大学理工学部教授なども務めました。

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南殿は、池を前にして西南から東北にかけて雁行型に寝殿、小寝殿、御堂、証金剛院などの建物が配置されていました。昭和38年(1963)から40年(1965)に行われた発掘調査で南殿の上の建物跡が発見され、後に鳥羽離宮跡公園他は国の史跡に指定されました。

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上の写真は公園の南の敷地で、下のように「史跡鳥羽殿跡」の石標があります。発掘調査で発見された建物跡などの遺構は、再び埋め戻されて保存されています。

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公園の南側から北、右に先ほど通ったコンクリート製の滑り台(小山)があります。

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中央の小高い丘は、南殿に築かれた築山「秋の山」の遺構です。平家物語には「池の辺を見回せば、秋の山の春風に白浪しきりに打ちつけて、紫鴛白鴎逍遥す」と、当時の南殿の庭園の情景が描かれています。

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公園の西には休憩所があります。コンクリート製ですが、ちょっと御殿風なデザインです。

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休憩所の中から 池が遠くてはっきり見えませんが、当時の御所から眺めた景色がちょっとしのばれます。

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秋の山の北側の麓に来ました。近づくとかなり大きな山です。

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格好の遊び場帆です。

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秋の山の頂上には明治45年(1912)に建てられた「鳥羽伏見戦跡碑」があります。このあたりは、戊辰戦争の発端となった鳥羽伏見の戦いの戦場となった場所です。

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秋の山の南東の麓には、平成10年(1998)に建てられた「鳥羽伏見の戦勃発の地小枝橋」の石碑(右)と戦いの戦闘図(官軍と幕府軍の配置図)があります。

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慶応3年(1967)10月、将軍徳川慶喜が大政奉還後も、薩摩の大久保利通や公家の岩倉具視らはあくまで武力による倒幕を目指し、12月に王政復古の大号令を発令、徳川幕府の事実上の廃絶が決定されました。(公園の北西から外に出ます。)

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その後も薩摩藩の挑発行動が続き、大阪城にいた徳川慶喜は強硬派の意見に従い、薩摩を討つため上洛を決意、幕府軍は鳥羽街道と伏見街道に分けて京都に進軍しました。公園の北西の鳥羽街道と城南宮道の交差点に道標(京道/城南離宮)があります。

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新政府軍は、竹田、城南宮周辺に布陣し、鳥羽街道を北上する幕府軍とここ小枝橋付近で衝突、両軍の押し問答が続きました。幕府軍が強行突破しようとすると、薩摩藩がア-ムストロング砲を発射、幕府軍15,00人と新政府軍6,000人の激しい戦いが始まります。

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こうして始まった戊辰戦争は、翌年の函館五稜郭の戦いまで続き、新政府軍が勝利します。この地は、新しい時代・明治が始まった場所ともいえます。 (ここは鴨川にかかる小枝橋の東詰で、道標の後ろに昭和43年建立された「鳥羽伏見戦跡」の石標があります。)

 

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付近には当時の弾痕が残っている民家もあるそうです。この後、城南宮の北東に、現在も残る鳥羽離宮の御堂や遺構、ゆかりの天皇陵などを見に行きました。

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コメント

公園も春らしくなってきましたね。
人もどんどん集まり、いい春景色です。

投稿: munixyu | 2019年3月 9日 (土) 13:15

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