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2019年3月23日 (土)

京都御苑 梅と桃と糸桜(近衛邸跡)

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

「おかめ桜」の長徳寺を後に、京都御苑を訪れました。上はいつも出入りしている「石薬師御門」です。

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門をくぐって少し西に行くと、「中山邸跡」の看板と「祐(さち)ノ井」の石標があります。中山家は藤原北家花山院家の支流で、花山院忠宗の子中山忠親を祖とします。

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幕末から明治維新にかけて忠能は政治的に活躍し、条約勅許に反対したり、和宮親子内親王の降嫁を推進しました。その娘・中山慶子が明治天皇の生母です。木の標識には「明治天皇生誕地」と書いてあります。

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邸宅跡には紅梅が咲いていました。

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中にある「祐井」は県井、染殿井とともに「御所三名水」の一つで、明治天皇ゆかりの井戸でもあります。

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明治維新後には、幕末からの功績を認められて忠能は侯爵に叙せられ、神祇伯を務めました。忠能の孫の孝麿は東宮侍従長や東宮大夫、宮中顧問官を歴任しました。柵の内側に白梅も咲いていました。

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この奥には「桂宮邸跡」があります。桂宮は、安土桃山時代に創設され、明治時代に断絶しました。家名は主な所領が平安京近郊の桂周辺にあったことに由来し、石高は宮家中最大の3000石余だったそうです。

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近衛邸跡は「今出川御門」の横にあり、その向かいに「近衛邸跡」があります。

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近衞家は、平安時代に忠通を始祖として創立され、家名は平安京の近衛大路に由来します。創立以来摂政、関白を数多く輩出、藤原摂関家の「五摂家」の筆頭です。

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この邸宅跡には枝垂れ桜の大木が多く植えられていて、御苑で一番早く咲き始める桜で3月中旬にはほころび始めます。「糸桜」とも呼ばれています。

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池のそばの桜は4~5分咲きというところでしょうか。まだほとんど開花していない木もありました。

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近衛邸の建物や庭は全て撤去されましたが、庭にあった「近衛池」だけが唯一の残されています。

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もう一本、同じように開花している糸桜がありました。

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近衛邸跡から西に行くと児童公園があります。下は振り返って。

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ここも近衛邸の敷地で、今出川通を隔てた北には、冷泉家の邸宅があります。冷泉家の家名は冷泉小路に由来し、東京に移転せずに歌道の宗匠家の一つとして冷泉流歌道を今に伝承しています。

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この公園には梅、桃、桜があるのですが、紅白の桃が見頃でした。

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公園には滑り台、ブランコ、砂場などの遊具や、ベンチやテーブル、休憩所などがあります。また、広場の中央は少し小高くなっていて、子供たちの格好の遊び場です。

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周囲は道路ではなく森林に囲まれ、児童公園としては理想的な環境です。

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この公園は特に外国人の親子が多い場所です。

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コメント

桃に梅に桜に。
嬉しいですね。
おかめ桜が咲けば、京都はもうしばらくずっと桜になりますね。
おかめ桜→糸桜ソメイヨシノ→八重桜。
ひと月半ぐらいは続きそうです。

投稿: munixyu | 2019年3月23日 (土) 13:08

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