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2019年2月12日 (火)

麟祥院 春日局の菩提寺

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

昨日の記事の妙心寺塔頭・天球院の南に麟祥(りんしょう)院があります。はやり京の冬の旅で特別公開中の塔頭ですが、こちらは8年ぶりだそうです。山門を入って右手に拝観受付の小屋、その後ろに鳥居があります。

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「春日稲荷社」 徳川三代将軍・家光が建立し、その乳母であった春日局が信仰したといわれています。

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「麟祥院」は、寛永11年(1634)徳川家光が春日局の香華所(こうげしょ、菩提所)として、碧翁愚完(へきおうぐかん)を開山に迎えて建立したのが始まりです。(山門からの参道には梅がほころんでいました。)

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幕府より寺領三百石を与えられ、歴代住職は黒衣のまま江戸城白書院の出入りを許されたといいます。当初は、妙心寺南総門の東にありましたが、明治20年(1887)現在地に移転しました。(参道の左に立派な庫裡の建物があります。)

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東京都文京区にも臨済宗妙心寺派の麟祥院があり、春日局の墓があります。京都の麟祥院には春日局の母方の稲辺家の墓がありますが、幕府と朝廷との間の折衝をしていた春日局の拠点、あるいは朝廷への監視の役割があったとも考えられています。「玄関」

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春日局は、父は明智光秀の重臣・斎藤利三、母は稲葉良通の娘とされ、本能寺の変の後父が処刑されたので、母方の稲葉重通の養女となりました。後に稲葉正成の妻となり、正勝、正定、正利をもうけました。

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家康の嫡孫・竹千代((後の家光)の乳母となるため稲葉正成と離婚しました。また、朝廷との交渉に参内する資格を得るため、三条西実条と猶妹の縁組をして公卿三条西家の娘となりました。庭の隅の蹲踞(つくばい)

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方丈の外縁から。前庭(南庭)は明治時代に13世住職・土屋琢道が作庭したとされる苔地の枯山水庭園です。

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南は緩やかな築山となっていて、釈迦三尊石、枯滝組、石橋、切石の舟石などが配されています、松や楓などの植栽もあります。

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庭の東(左)にある「御霊屋」は後水尾天皇より拝領した仙洞御所の釣殿を移築したもの。建物は小堀遠州作、内部の張付絵は狩野貞信作といわれます。春日局の御霊屋にふさわしい格調高い建物となっています。

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「春日局木像」 御霊屋に祀られている局の木像で。御霊屋と同様に小堀遠州作と伝えられます。柔和な笑顔を浮かべているのは局の人柄が表れているといわれています。(京の冬の旅のガイドブックからの転載です。)

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『春日局略譜』によれば、徳川秀忠・江夫妻が竹千代の実弟・国松を溺愛している様子を憂慮し、自害しようとした家光を諌めて、駿府にいた大御所・家康に竹千代の世継を確定させるように直訴したとされます。(御霊屋の前から)

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しかし、江との対立から生じた事件、夫の浮気に怒って相手を殺して家を飛び出したこと、後水尾天皇に譲位を迫ったことなど、春日局の強引な人物像は、江戸時代の創作であると考えるのが近年では通説だそうです。御霊屋の横から方丈の東庭が見えます。

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2012年、西本願寺で春日局の直筆の手紙が見つかりました。自分の奉公人の母が西本願寺にいると知り、自ら筆を執り良如に「西本願寺で奉公させてもらえたら大変ありがたい」と頼んでいます。(東庭の隅に鎮守社があります。)

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春日局のような身分の高い人物が奉公人のために手紙を書くことは異例で、彼女の優しさや母性が垣間見える貴重な史料とされます。方丈の東の墓地には、淀藩主・稲葉正親など稲葉家歴代、新陰流2世柳生石舟斎宗厳の孫、3世兵庫助長厳の墓もあります。

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方丈には本尊・宝冠釈迦如来と両脇に阿難尊者、迦葉尊者が安置されています。春日局の嫁ぎ先稲葉家の「隅切角に三の字」が麟祥院の寺紋となっています。以下の写真も京の冬の旅のガイドブックからです。

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障壁画は、春日局と親交のあった絵師・海北友松の子、友雪の筆による水墨画です。「雲龍図」は雄と雌が揃った珍しい双龍図で、下は雲の上を飛ぶ雄龍、

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こちらは海の上を飛ぶ雌龍です。父友松の雲龍図と比較しても遜色ない程に規模が大きく勇壮で、胴体の殆どが画面から飛び出しています。

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「春日局像」 狩野探幽筆。自衣に緋袴という珍しい着衣は、将軍の代参として局が後水尾天皇に謁見した際の衣装が反映してのものと推察されるそうです。最初の謁見では後水尾天皇からは従三位の位階と「春日局」の称号を賜りました。

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春日局が当院の設立の際に、家光から贈られた記念品の「百椿図屏風」。当時日本にあった椿を網羅していて、現在は絶滅した種類もあり植物学的にも貴重な資料だそうです。(上と下の写真は麟祥院のパンフレットからです。)

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その後、寛永9年(1632)に謁見したときは緋袴着用の許しを得て従二位に昇叙、平時子や北条政子と同様の位階となりました。 しかし寛永20年(1643)に死去、享年64でした。その人物像はともかく、二百数十年続く徳川幕府の安定化に貢献したことは確かです。

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法号・麟祥院殿仁淵了義尼大姉にちなんで、二つの菩提寺は麟祥院と改められました。

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コメント

梅の花、いいのですね。
春を思う気持ちが、強くなりますよね。
満開の日が、早く来ますように。

投稿: munixyu | 2019年2月12日 (火) 19:33

★munixyuさん こんばんは♪
梅が咲いているのは予想していなかったので、春が近いことにちょっと焦りました。

投稿: りせ | 2019年2月12日 (火) 22:31

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