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2019年2月 9日 (土)

御辰稲荷神社と京の風流狐

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

平安神宮の北、丸太町通に面して御辰(おたつ)稲荷神社があります。明治まではここから北西に聖護院村があり、鴨川にかけてうっそうとした「聖護院の森」が広がっていました。平安時代に創建された熊野神社は聖護院の森の鎮守として祀られていました。(社務所)

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一方、「御辰稲荷神社」は江戸時代の宝永2年(1705)、東山天皇の側室・新崇賢門院(しんすうけんもんいん、1675-1710)の創建と伝えられています。

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ある夜、新崇賢門院の夢枕に白狐が現れ、「禁裏御所の辰(南東)の方角に森があるから、そこで待っている」と告げて消えたそうです。翌朝、彼女がその方角に行くと聖護院の森の中に祠があり、狐が祀られていたそうです。

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そこで、社殿を整備したのが当神社の始まりで、御所の辰の方角にあたるので、御辰稲荷神社と呼ばれました。聖護院の森には白狐が棲んでいて、夜更けになるとその狐の弾く琴の調べが聴こえてきたという伝説がありました。

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御辰神社ができてからは、「京の風流狐は碁の好きな宗旦狐と、琴の上手な御辰狐」と歌われたそうです。絵馬舎には御辰狐の絵馬が奉納されています。最近の絵馬も多く御辰狐の信仰が続いていることが分かります。

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宗旦狐とは、茶人の宗旦に化けて座禅を組んだり碁を指した狐で、相国寺境内の宗旦稲荷社に祀られています(下の写真)。ある時、宗旦狐は塔頭・慈照院の茶室びらきで、点前を披露していました。遅れてきた宗旦はその見事な点前に感心したといいます。

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本殿には祭神として、中央に宇迦之御魂神(うがのみたまのかみ)、左に猿田彦神(さるたひこのかみ)、右に天宇受売神(あまのうずめのかみ)を祀ります。衣食住の神、商売繁盛、交通安全、あらゆる除災、導きの神として信仰されています。(拝殿と本殿)

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また、芸事を好んだ狐の伝説から、芸能上達の神として芸妓らに信仰されてきました。また「辰」が達成の「達」に通じるとして、諸願成就のご利益があるともいわれています。

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本殿の前に絵馬が掲げられています。

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芸事上達を願う絵馬でしょうか、貴族が歌を詠んでいます。もう一つ、珍しい狐とお多福の立体的な絵馬が記事の最後にあります。

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本殿の右手に祀られている「福石大明神」にも伝説があります。白川橋のほとりに貧しい夫婦が住んでいて、夫は野菜を売り歩き、妻は子守りで家計を助けていました。妻は御辰稲荷に「幸せになりますように」と百日の願をかけ、その満願の日のことです。

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お参りが終わって安心したのか、妻はいつしか境内でウトウトしてしまいました。目をさますと、右手に真黒の小石があります。お稲何さんが授けてくださったにちがいないと、妻は石を持ち帰って神棚に祀りました。(神社で授かる真黒石をここにお供えします。)

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そのうち妻は身ごもって、女の子を産みました。女の子は美しく成長し、ある大名の目にとまりお部屋さまとなり、貧しかった夫婦は幸せに暮らしたという話です。「初辰大明神」は辰歳の守護神で、諸願成就のご利益があるとされます。

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一番奥に「福石大明神」が祀られています。神社で授かる真黒石を、先ほどの祠にお供えしてここでお願いことをし、その後で持ち帰ってお守りにするのだそうです。真黒石の伝説は現在も生きています。

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「亀石大明神」 亀にあやかり、健康・長寿のご利益があるとされます。

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