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2019年2月10日 (日)

妙心寺 圧巻の七堂伽藍

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

昨日は妙心寺に行ってきました。現在境内にある3つの塔頭が京の冬の旅で特別公開されていますが、最初に妙心寺の主要な伽藍を見て歩きます。上は「南総門」(重文)、下が少し左にある「勅使門」(重文)で 江戸時代初めの慶長15年(1610)に建立されました。

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「妙心寺」は、正式名称を正法山妙心寺といい、全国に3400の寺院を持つ臨済宗妙心寺派の大本山です。広大な境内の中心には七堂伽藍が配置され、46の塔頭が立ち並んでいます。南総門から入り、勅使門の内側からは放生池と三門が見えます。

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応仁の乱で多くの堂塔を焼失しましたが、細川勝元・政元親子らの援助で再興し、その後、豊臣、徳川家をはじめ諸大名が帰依して隆盛を極めました。(放生池の北から、妙心寺住持の入山・晋山時に新住職はこの勅使門から入ります。)

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南から勅使門、三門、仏殿、法堂、寝堂と重要文化財の伽藍が一直線に並んでいます。「三門」(重文)は慶長4年(1599)に創建され、楼上には、観世音菩薩と十六羅漢が祀られ、極彩色鮮やかに飛天や鳳凰、龍の図が柱や梁に描かれています。 

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「仏殿」(重文) 文政10年(1827)に創建された妙心寺の本堂で、本尊のお釈迦さまを祀ります。 この釈迦像は蓮華を拈(ね)じる姿をしています。釈迦が霊鷲山で会衆を前に蓮華を無言でひねったのに、弟子の迦葉 (かしょう) だけが微笑して応じました。

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拈華微笑(ねんげみしょう)といわれ、釈迦の心中にある仏教の真理が無言のうちに伝授されたことを示しているそうです。毎朝の勤行の他、お釈迦さまの三仏忌となる降誕会・成道会、涅槃会がここで勤められます。正面の扁額には「祈祷」と書かれているそうです。

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「法堂」(重文) 仏殿と渡り廊下でつながっています。明暦2年(1656)に創建され、鏡天井には狩野探幽が8年の年月を費やして描いた雲龍図があります。今日でいう多目的ホールで、仏像は安置されず、住持による法座や坐禅が行われます。

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左の法堂と右にある寝堂は廊下で繋がっています。「七堂伽藍」は宗派や寺院により定義が異なり、単に大寺院の主要な堂宇を指すこともあります。妙心寺では中心線に並ぶ、勅使門、三門、仏殿、法堂、寝堂および大庫裡と大方丈を指す場合が多いようです。、

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「寝堂」(重文) 明暦2年(1656年)の建立で前方丈、礼の間とも呼ばれます。もとは客間として用いられていましたが、現在は法堂で儀式が行われる際の控えの間として用いられています。法堂と寝堂をつなぐ廊下の下をくぐり、西の道に出ました。

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「庫裡」(重文) 土間と大庫裡と小庫裡からなり、守護として韋駄天像が祀られています。、妙心寺の台所として、何百人もの食事を一度に調理、配膳することができるそうです。寝堂の左にある庫裡の門から先には近づけません。

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寝堂の右の「玄関」(重文)に戻りました。承応3年(1654年)の建立で、唐破風を備えた真前唐門を備え、「百万人写経道場」の看板がかかっています。入って左に拝観受付があります。

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拝観はツアーになっていて、法堂と浴場を約30分で説明してくださいます。ただし、建物内部での写真撮影はできません。ツアーの時間まで右(東)にある大方丈とその前庭を見学します。

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「大方丈」(重文)は、承応3年(1654)に創建され、障壁画は南側 3室は狩野探幽、北側 3室は狩野洞雲の筆です。仏事行事を勤める際、出頭する僧侶の控えの間、食事の場となる大広間です。

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1月、5月、9月の18日(観音さまの縁日)にはここで方丈懺法会が勤められ、11月には曝涼展という妙心寺の国宝、重要文化財に指定される書画等の風通しをする日で、一般にも公開しています。大方丈の前に唐門があります。

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ツアーは最初に法堂に入ります。探幽の雲竜図は境内のあちこちに看板があり、パンフレットにはビックリするほど大きな写真があります(記事の最後)。妙心寺には多くの重要文化財がありますが、唯一の国宝は法堂の隅に安置している「妙心寺鐘」です。

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日本最古の銘(698年)があり、音色が雅楽の黄鐘調(おうじきちょう)に合うことから「黄鐘調の鐘」として知られています。『徒然草』にもこの鐘のことが書かれているそうです。目に見えないひびが入り法堂に移動して、ここではCDに保存した鐘の音が聴けます。

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以前は法堂の北西にある鐘楼につるされていて、現在は複製した鐘に代わっています。上の写真はパンフレットからの転載です。

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拝観ツアーが次に訪れる浴室は、南総門の正面の参道沿いにあります。その参道の突き当りは先ほどの大方丈と唐門です。その右(東)には小方丈もあります。

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浴室に行く途中にある「経蔵」(重文) 延宝2年(1674)に建立され「崑蘆蔵」という扁額がかかっています。中の輪蔵を回転させると、納められた経文をすべて読誦した功徳が得られるとされますが一般公開はしていません。

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「浴室」(重文) 天正15年(1587)建立され、明暦2年(1656)再建されました。明智光秀の叔父、密宗和尚が光秀の追善菩提のために建立したとされ、「明智風呂」と呼ばれます。蒸し風呂で、当初は光秀の法要の時にだけ使用されたといいます。

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光秀は本能寺で信長を討った後、妙心寺を訪れて辞世の句を詠み自決しようとしましたが、密宗和尚に止められたという話が寺に伝わっているそうです。下の浴室内部の写真はパンフレットからの転載です。

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実は、法堂の前の道を東に行くと「開山堂」(重文)があるのですが、時代劇のロケをしていて近づけません。

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仏殿の前に撮影機材や衣装が置いてあり、新選組の隊士の名前がありました(どんな作品が気になります)。この通りは時代劇の舞台といっても違和感がない雰囲気です。

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コメント

いつも思うのだけど、
長い廊下を昔の人は、真冬でも裸足で歩いていたのですよね。
昔の人は、我慢強かったのですね。
今では考えられないですよね。

投稿: munixyu | 2019年2月10日 (日) 15:03

★munixyuさん こんばんは♪
外にある廊下は石敷きの場合も多く、冷たいでしょうね。

投稿: りせ | 2019年2月12日 (火) 22:10

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