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2019年2月11日 (月)

天球院と天久院殿

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

妙心寺の塔頭・天球院を訪れました。京の冬の旅では「京都にみる日本の絵画 ~近世から現代~」というテーマで1月10日(木)~3月18日(月)の期間、非公開文化財特別公開をしていて、天球院では多数の襖絵を所有しています。

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「天球院」は、江戸時代前期の寛永8年(1631)池田勝入の娘で池田光政の伯母が自分の永代追善のために、開祖として妙心寺140世江山景巴(こうざんけいは、無尽燈光禅師)を迎えて創建した菩提所です。池田勝入とは清須会議に出席した池田恒興のことです。

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彼女は、初代姫路藩主の池田輝政の妹で、因幡(現島根県)の若桜城主・山崎家盛の妻となりますが、後に離縁して池田家に戻り出家して天久院殿と呼ばれました。

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岡山藩主池田光政兄弟が、伯母の天久院のために創建したという説もありますが、いずれにしても、天久院の意向と光政兄弟の支援があったことは確かだと思われます。

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建立の際に、地中から球を掘り出したことから「天球院」と名づけられたといわれています。以後、天久院も天球院と呼ばれることがあったようです。

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山門の正面から本堂に入ります。「本堂」(重文)は江戸寛永期の創建当時の建物で、唐破風柿葺の屋根をもつ玄関(下の写真)とともに、江戸時代の禅宗方丈建築の貴重な遺構とされます。

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蝋梅が咲いていて、満開に近いようでした。

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玄関の正面に花頭窓があり、方丈は右にあります。

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方丈は東西に長い建物で、その前には苔地の庭があります。様々な形状の石と草木が配置されています。

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右奥に墓地があり、塀際に石畳の道があります。方丈の廊下には血天井があり、内部には152面の障壁画が、ほぼ完全な状態で伝えられいます。

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内部では撮影できませんので、以下の写真は京の冬の旅のガイドブックと、購入した絵葉書からの転載です。方丈南側の3室には、桃山時代の絵師で「京狩野の祖」と称される狩野山楽と娘婿・山雪が描いた障壁画があります。

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いずれも、装飾性豊かな金碧障壁画で往時の華麗な色彩をとどめています。檀那の間の「梅に遊禽図」(重文)はS字を描くように湾曲した梅の古木が印象的な代表作です。展示してあるほとんどは高精細複製品だそうですが、近くで見ても見分けがつきません。

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室中の間の「竹虎図」(重文) 竹林で遊ぶ親子の虎と右にそれを見守る母虎を濃密な色彩で描いています。当時の絵師たちは虎を見たことがなかったので、豹(ひょう)が虎の牝だと思っていたそうです。

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「簾草花図」(重文) 朝顔や鉄線(蔓植物の一種)を描いていて、この部屋は「朝顔の間」とも呼ばれます。

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北側の衣鉢の間には、趣を変えた水墨画の山水人物画が桃山時代当時のまま残されています。こちらは一部が高精細複製品だそうですが、どの部分か複製か分かりません。

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以上は、キヤノンと京都文化協会が共同で、文化財のオリジナルをより良い環境下で劣化を防ぎ保存する「綴プロジェクト」による高精細複製品です。杉戸にも彩色画が描かれていて、建築当時の絢爛豪華さを今に伝えています。

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ところで、天久院殿は極めて器量が悪かったといわれる一方で、気が強く怪力の持ち主で、数々の武勇伝が残されています。兄の池田輝政が吉田城主だった頃、刀を持った乱心者が城内に入り込み暴れました。

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そこへ鉢巻きをして袴の裾を高くからげ、大薙刀を構えた輝政の妹が立ちふさがり、乱心者はそのあまりの剣幕に逃げ出しますが、それを追いかけて倒してしまいました。(方丈の西庭、こちらも苔地です。)

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また、吉田城で女が行方不明になる事件が相次いで、人々は妖怪の仕業と噂しました。それを聞いた輝政の妹は、女が消えるという場所近くの小屋で待ち伏せします。しばらくすると、巨大な化け猫が現れて襲いかかりましたが、素手でねじ伏せてしまったといわれます。

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関ヶ原の合戦のときは山崎家盛に嫁いでいて、家盛は彼女を石田三成に人質として差し出そうとしました。そのとき家盛は、寵愛する側室とその子をあらかじめ逃がしていたのです。手前に「天球手水」があります。

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怒った天久院殿は、守り刀を家盛の喉元に当てて理不尽な仕打ちを謝らせます。そして、三成軍に包囲されている城を侍女2、3人を引き連れて馬で突破して、三河国にある兄輝政の城に駆け込んだそうです。(北庭が見えますが、近くには行けません。)

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その後も、住居に押し入った盗賊4、50人ほどを大薙刀で撃退したこともありました。兄の輝政は、関ヶ原の戦いの前哨戦・岐阜城攻略で功をあげ、徳川幕府のもとで播磨姫路52万石に加増移封され、城造りに力を注いで、現在の姫路城を完成しました。

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輝政は慶長18年(1613)に姫路で急死、嫡男の利隆が藩を継ぎますが彼も4年後に亡くなってしまいます。利隆の嫡男光政は当時8歳で要所の姫路は任せられないという理由で鳥取藩に転封されます。(この石、裏には「暗」と刻んであります。)

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天球院が創建されたのはその14年後で、成人した光政は叔母のためにその建立を支援しました。天久院殿は池田家一族には大切にされたようです。

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コメント

蝋梅はもう満開なのですね。
だんだん春が近づいてきているのですね。
早く暖かくなってほしいものです。

投稿: munixyu | 2019年2月11日 (月) 19:38

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