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2019年2月27日 (水)

大将軍八神社 平安京を守る神像たち

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

昨日の記事の北野商店街(一条通)の西は大将軍商店街で、その通りに面して大将軍八神社があります。鳥居の内側に「神門」があります。

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平安遷都(794年)にあたり、桓武天皇が陰陽道にもとづいて、王城鎮護のため天門(北西の方角)に星神・大将軍を祀ったのが始まりとされます。当初は「大将軍堂」と呼ばれたそうです。下は、宮司さんの就任記念(平成22年)のユズリハと手水舎。

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江戸時代に編纂された『山城名勝誌』や『和漢三才図会』によると、大将軍社が平安京の4隅に奉祀されたとされますが、平安京古地図には大内裏の北西角にしか描かれていないそうです。(ご神木)

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陰陽道は中国に始まり、その書『宅経』によると 「北西を天門として大将軍を祀る」とあります。すなわち、唐の長安を手本として平安京の天門に大将軍を祀ることで、 四方のすべてを守護したと考えられるそうです。(下は社務所・授与所。)

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初見の資料として、『山槐記』に治承2年 (1178)高倉天皇の中宮建礼門院の安産祈願の際、諸社寺に奉幣使が参向し、その41社の内の1社として記されています。下は「三社」で、右から命婦神社(女性の守護)、厳島神社(芸能)、猿田彦神社(道案内)。

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「五社」は、右から恵比須神社(商売)、稲荷神社(開運)、天満宮(学問)、長者神社(金運)、金比羅神社(交通安全)。

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室町時代の伏見宮貞成親王の日記『看聞御記』(1433年)によると、1340年から約100年間、大将軍堂は祇園感神院(現八坂神社)の末社になっていました。応仁の乱(1467-1477)で焼失、1535年に復興しました。

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江戸時代に入り 大将軍村の鎮守社として祀られるようになり、その頃星の大将・妙見(北極星)信仰から太日星(金星)信仰に移り、「大将軍社」と名を変えました。また、陰陽道の暦神(八将神)と習合して、「大将軍八神宮」とも呼ばれたそうです。

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江戸時代には方除厄除12社参りが流行し 、その際に建立された天保11年の標石が門前にあります。

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明治初年(1868)の神仏分離によって、神道が国教となり神社が仏教の神や外来神を祀ることができなくなりました。当社では、大将軍を「素盞鳴尊」と見なし、その御子・五男三女神とあわせて祭神として、桓武天皇を合祀することになりました。(当社HPより)

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社名を正式に「大将軍八神社」と改めました。一方、御霊信仰に基づく神社では、その祭神・牛頭天王(ごずてんのう、疫神)は素戔嗚尊と同一視されてきた歴史があり、神仏分離令によって祭神が素戔嗚尊に変えられました。(方位盤)

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牛頭天王はインド伝来の仏教の守護神で、大将軍はその息子とされています。大将軍八神社は100年間ほど八坂神社の摂社だった時期があり、八坂神社の祭神(素戔嗚尊)にならったのではないかと、当神社では推察しています。(本殿)

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社殿の右手に二つの摂社があります。右の「歳徳神社」の歳徳神は方位神の一つで、その年の福徳を司る吉神です。左の「大金神(だいこんしん)神社」の大金神も方位神ですが、こちらは災いをもたらす神と恐れられ、それを鎮めるために祀られています。

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歳徳神は美しい姫神として描かれることが多く、牛頭天王の后で八将神(大将軍もその1神)の母の頗梨采女(はりさいじょ)であるとされています。本殿の左から裏に回ります。

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上はご神木のオガタマノキ(黄心樹、招霊木)の大木で、一本だけですが紅梅もありました。

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左に神具庫、中央に鳥居がみえます。このあたりの道脇に埋められている軒瓦には菊の紋がありました。

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本殿の左後ろの「大杉神社」、このあたりの産土神(うぶすながみ)で、産土神はその土地で生まれた者を一生守護する神だそうです。

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大杉神社の祠の横にある「豆吉(まめよし)神社」 一願成就の神とされ、ご神体はサンショウウオのような石の塊です。神社でも正体は分からないそうですが、鳥居も狛犬もミニチュアのようで一見の価値があります。

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大杉神社の絵馬所の一角に、この摂社以外の各地の絵馬がかかっています。これらは、若い宮司さん(おそらく夫妻)が訪れた訪れた記念だそうです。

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本殿の北東に宝物館「方徳殿」があり、陰陽師・安倍晴明一族の「古天文暦道資料」(府指定文化財)や江戸時代中期の天文暦学者・渋川春海(1639-1715)の作とされる「天球儀」があります。さらに、平安時代中期から末期の木造神像が多数保管されています。

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これらは明治時代初期に境内の竹薮(地中)から発見されたもので、多数の古神像が一神社に伝来する例は他にないそうです。そのうち、「武装像」50体、「束帯像」29体、「童子像」1体の計80体が、昭和47年(1972)に国の重要文化財に指定されました。

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古神像のうち武装像は、(仁王像などの)仏教の天部像と共通する特徴もあり、方位を司る大将軍ではないかと考えられています。重要文化財指定を契機に、神饌所を取り壊して昭和50年に方徳殿が建てられました。5月と11月初めの5日間だけ公開されます。

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80体の古神像について、東京国立博物館の丸山士郎氏による研究が行われ、"大将軍八神社神像群と神の表現"MUSEUM. 582、5-33 (2003)に成果が発表されています。そこでは、蛍光X線分析装置を用いた彩色顔料の分析結果が報告されています。

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また、仏教彫刻の強い影響下で、仏像ではない神像をいかに表現しようかという製作者(おそらく仏師)の工夫のあとが見られるそうです。(本殿の周囲を一周して、その南東の隅に小さな庭があります。)

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古神像群は「日本の兵馬俑」ともいえるもので、桓武天皇が平安京の造営にあたって、(都の四方ではなく)天門(北西)に大将軍を祀ったという神社の由緒を補強するものともいえます。

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コメント

だいぶ暖かくなってきましたし、
そろそろ行楽シーズン到来でしょうか。
春の賑わいが想像されます。

投稿: munixyu | 2019年2月27日 (水) 14:30

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