« 清荒神とお知らせ 2019年正月 | トップページ | 革堂(行願寺)と観音霊場・七福神 »

2019年1月 8日 (火)

下御霊神社 怨霊と民間信仰

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

Jns_9541b
※写真は全てクリックで拡大します。

清荒神を後に、寺町通にある下御霊神社を訪れました。「下御霊神社」は古くから御所の鎮守としで鎮座してきましたが、境内には民間信仰の対象の多くの摂社もあります。TOPの写真の表門は仮御所の建礼門を移築したものです。

Jns_9685b

平安時代は華やかな貴族文化が栄えた一方で、災害や疫病が繰り返し起こった不安な時代でもありました。人々はその原因が貴人の怨霊がもたらすものと考えました。怨霊となった貴人とは、政治抗争の中で冤罪を被り非業の死を遂げた位の高い人々です。

Jns_9570a

そこで、御霊(ごりょう)として祀り慰めることにより、災禍から守っていただこうと御霊会(ごりょうえ)が行われました。

Jns_9573a

『日本三代実録』によると、863年5月20日神泉苑で最初の御霊会が行われました。勅命により藤原基経らが監修し、皇族や公家らがみな列席、六つの霊前に祭壇を設けて花果を供え、高僧が読経し、新作の歌舞音曲を舞い、この日は神泉苑が庶民に開放されました。

Jns_9571a

そのとき御霊として祀られのは崇道天皇(早良親王)、伊予親王(桓武天皇皇子)、藤原夫人(伊予親王母)、橘逸勢(はやなり)、室宮田麻呂(ふんやのみやたまろ)で、後に藤原広嗣が加えられて六所御霊と総称されました。

Jns_9608a

さらに吉備真備、火雷神(火雷天神)が加わり八所御霊となり、出雲路の上御霊・下御霊に祭神として祀られました。この2神については諸説あり、吉備真備は不慮の死を遂げずに成功しているので、当社では六座の御霊の和魂と解釈しているそうです。

Jns_9616a

また、火雷天神はしばしば菅原道真と解釈されますが、道真が天神として祀られるのは当社の鎮座より後世になるので、当社では六座の御霊の荒魂と解釈しているそうです。(上と下の写真は祭神を警護する随身像で、俗に右大臣、左大臣ともいわれます。)

Jns_9617a

和魂(にきたま、にぎみたま)は平和、調和などを司り、徳を備えている神霊で、荒魂(あらたま、あらみたま)は、荒々しく、戦闘的な神霊、あるいは、たたりの可能性がある神霊ともいわれています。

Jns_9620a

その後、下御霊神社の方は2度の移転の後、安土桃山時代の天正18年(1590)豊臣秀吉の寺社整理に伴いこの地に移転して現在に至っています。(社務所/御朱印所)

Jns_9604a

本殿の左の「三社」は右から「八幡社」、「神明社(伊勢神宮)」、「春日社」で、それぞれ八幡大菩薩、天照皇大神、春日大明神を祀っています。

Jns_9583a

中世から近世にかけてこの三社信仰が盛んとなり、神託(神のお告げ)が書かれた掛け軸が出回り庶民の間にも広まりました。八幡は清浄、伊勢は正直、春日は慈悲を象徴するとして子供たちの教育の規範にもなりました。

Jns_9594a

大きくない境内ですが、上の三社以外に多くの摂社があります。いずれも民間信仰の対象で、住民が常時お詣りできるように勧請したものと思われます。言い換えれば、多くの摂社は、その神社が住民に愛されてきた歴史を示しているともいえます。

Jns_9582a

本殿の右手にある「神輿庫」は天明の大火の類焼を免れ、この神社の最古の建物です。この神社は皇室や公家との関係が深く、社殿の新造や改修にはかなりの額の寄進がありました。扉の内側に菊の御紋があります。

Jns_9623a

境内の南にある「五社相殿社」は、右から斎部社(斎部神)、大将軍社(大将軍八神)と高知穂社(高知穂神)、愛宕社(愛宕大神)、日吉社(日吉大神)を祀ります。斎部神は社家の祖神、 大将軍八神は方位の神です。  

Jns_9627a

「大国主社」 江戸時代の文化4年(1807)に建立され。大国主命とその子・事代主命(ことしろぬしのみこと)を祀ります。福の神、縁結び、恋愛成就の神です。

Jns_9633a

「天満宮社」 御霊信仰の代表的な例で、全国に菅原道真を祀る天満宮、天神社、道真社などが造られ「天神信仰」が広がりました。道真が学者であったことから、後に学問の神としても信仰されるようになりました。梅の木に蕾ができていました。

Jns_9636a

拝殿に向かって左側(境内の北)に大きなオガタマノキがあります。一方、右側にあった百日紅は昨年の台風によって一本が折れてしまったようです(上から2枚目の写真)。

Jns_9682a

境内の北にある「宗像社」は田心姫命、湍津姫命、市杵島姫命の3女神を祀っています。海の神、航海安全の神、運輸交通の神として信仰されてきました。

Jns_9666a

「稲荷社」は稲荷大神を祀ります。もとは穀物(稲)の神でしたが、平安時代以降家内安全、商売繁盛の神として稲荷信仰が全国に広がるようになりました。神殿は寛政5年(1793)、拝所は嘉永5年(1852)の建立。

Jns_9656a

「猿田彦社」(猿田彦大神)、「垂加社」(山崎闇斎)、「柿本社」(柿本人麻呂) 猿田彦大神は道案内の神、山崎闇斎は吉田神道に儒学を取り入れ道徳性の強い垂加(すいか)神道に発展させました。歌道の神・柿本人麻呂は学問文芸の神としても信仰されました。

Jns_9650a

「手洗舎」 江戸時代の明和7年(1770)の干ばつの際、当時の神主が夢のお告げにより境内の一か所を掘らせたところ、清らかな水が沸き出て皆に汲ませることができたそうです。それは、「感応水」と名付けられました。

Jns_9648a

当時の井戸は現存しませんが、再堀された現在の井戸も同じ水脈からか、美味しいと評判になり、水を汲みに来る人が絶えません。

Jns_9686a

お帰りの前に、ブログランキングの応援のクリック↓をよろしくお願いします。

★こちらを是非よろしく→   ブログ村→にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ
-------------------------------------------------------------------

Jns_9639a

|

« 清荒神とお知らせ 2019年正月 | トップページ | 革堂(行願寺)と観音霊場・七福神 »

コメント

井戸水は冷たくて美味しいですよね。
独特の味がいいですよね。

投稿: munixyu | 2019年1月 8日 (火) 13:13

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 清荒神とお知らせ 2019年正月 | トップページ | 革堂(行願寺)と観音霊場・七福神 »