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2019年1月 9日 (水)

革堂(行願寺)と観音霊場・七福神

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

下御霊神社から寺町通を下がったところに革堂(こうどう)があります。「革堂」は、正式名所を行願寺、山号を霊麀山(れいゆうさん)という天台宗の寺院で、西国第19番札所です。

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平安時代の寛弘元年(1004)に行円が一乗小川に堂を建てたのが行願寺の始まりです。行円は猟師でしたが、射止めた牝鹿が愛おしそうに小鹿をなめながら息絶える様子を見て、殺生の罪を悔やみ仏門に入ったと伝えられています。

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平安時代の寛弘元年(1004)に行円が一乗小川に堂を建てたのが行願寺の始まりです。行円は猟師でしたが、射止めた牝鹿が愛おしそうに小鹿をなめながら息絶える様子を見て、殺生の罪を悔やみ仏門に入ったと伝えられています。

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行円は、その牝鹿の皮に経文を書いて寒暑に関係なく身につけていたので、革聖(かわひじり)と呼ばれました。行円が寺の創建を願い出て、一条天皇の勅願により建立されたことから、行願寺と名付けられましたが、やがて人々は革堂とよぶようになりました。

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本尊の「千手観音像」は行円の作と伝えられ、秘仏になっています。行願寺は何度も火災に遭い、本堂は江戸時代(1815年)に再建されたもので、京都市指定有形文化財。

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本堂の右手に宝物館があり、上人が着ていた鹿革の衣や、悲しい物語のある「幽霊絵馬」などが収蔵されています。その前に並んでいる鉢は藤袴で、平安時代を代表する草花として、西国三十三所開創1300年記念行事として再生が図られています。

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上の西国十九番とは、「西国三十三所」の観音霊場巡りの十九番札所のことです。奈良時代の養老2年(718)、長谷寺の開基・徳道上人が亡くなるとき、冥土の入口で閻魔大王から三十三箇所観音霊場巡礼の託宣を受けたことにはじまるとされます。

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閻魔大王から、生前の罪業によって地獄へ送られる者があまりにも多く、この巡礼によって人々を救うようにと、起請文と三十三の宝印を授かり、徳道上人は現世に戻されたといいます。平安時代になると民衆にも観音信仰が広がりました。

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この時代は藤原氏の摂関政治の全盛期でもあり、行願寺が創建された時期は藤原道長が絶大な権勢を誇っていました。その娘が行願寺で出家するなどゆかりが深く、行願寺が三十三所に加えられたようです。下は「行円上人布教之真影」と上人ゆかりの「車石」。

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本堂の前まで戻り、そのななめ向かいに「寿老人神堂」があります。豊臣秀吉が万人快楽のため行願寺に奉納したと伝えられる寿老人像(桃山時代作)を祀っています。

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「寿老人(じゅろうじん)」は道教の神で、中国の伝説上の人物、南極老人星(カノープス)の化身とされます。酒を好み長寿の神とされ、日本では七福神として知られています。カノープスはりゅうこつ座の一番明るい星で、日本からは南の地平線に見えることがあります。

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寿老人は頭が長く、不死の霊薬が入った瓢箪を運び、長寿と自然との調和のシンボルである牡鹿を従え、手には長寿のシンボル・不老長寿の桃を持っています。秀吉が牝鹿とゆかりが深い革堂に寿老人像を奉納したのは偶然ではないのかも知れません。

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寿老人は福禄寿と同一神と考えられたことから、七福神から外された時期もあり、そのときは「猩猩(しょうじょう)」が入りました。猩猩は酒を好む二足歩行の伝説上の動物で、能をはじめいろいろな説話に登場します。(横に七福神の石像があります。)

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平安時代以降、近畿地方では最澄が台所に祀ったとされる大黒、土着信仰の神・恵比寿、鞍馬寺からはじまった毘沙門天に竹生島から始まった弁財天が加わり、室町時代には布袋、福禄寿、寿老人も中国から入り、七神仏を祀ることが始まりました。

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その後顔ぶれが変わることがありましたが、江戸時代には全国に七福神信仰が広がり、現在にいたっています。革堂の寿老人は、都七福神だけでなく、「京の七福神」、「京都七福神」、「京洛七福神」の札所にもなっています。

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本堂の前の道を北に行くと鐘楼があります。文化元年(1804年)の造営で、京都市有形文化財です。

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鐘楼の西側で境内の西北の隅にある「加茂大明神五輪塔」は室町時代の作とされます。五輪塔の水輪がくり抜かれて、その穴に「加茂大明神」が彫られています。(右に百体地蔵尊が祀られています。)

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行円は、賀茂社の神木のケヤキの木を頂いて、本尊の千手観音を彫ったという伝承から、加茂大明神が祀られたといわれています。

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コメント

七福神は、縁起がいいですよね。
そう言えば、もう十日戎。
今日が宵戎ですね。
七福神に、えべっさん。
これもまた正月を感じますよね。

投稿: munixyu | 2019年1月 9日 (水) 13:05

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