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2019年1月 1日 (火)

護王神社 新年おめでとうございます

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

新年おめでとうございます。今日の記事は今年の干支にちなんで護王神社です。

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護王神社の確かな創建年は伝えられていませんが、もとは高雄山神護寺の境内に清麻呂の霊社として祀られ、古くから「護法善神」と称されていました。鳥居を入った正面の拝殿にはその年の干支の大絵馬が掲げられています。

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江戸時代末の嘉永4年(1851)、孝明天皇は清麻呂の歴史的功績を讃えて正一位護王大明神の神階と神号を授けました。明治7年(1874)には「護王神社」と改称して別格官幣社に列せられました。左から休憩所、授与所、社務所です。

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明治19年(1866)、明治天皇の勅命により、華族の中院家邸宅跡地であった京都御所蛤御門前の現在地に社殿を造営し、神護寺境内から遷座。後に姉の和気広虫も主祭神として合わせ祀りました。

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その後、崇敬者によって境内の霊猪像(狛猪)が奉納され(拝殿の前にあります)、「いのしし神社」とも呼ばれるようになりました。狛猪だけでなく、あちこちに猪の像があり、信者から奉納された無数の猪像のコレクションもあり、猪のお守りお札もあります。

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護王神社と猪との関わりは和気清麻呂の逸話からです。奈良時代の女帝・称徳天皇の時代、権勢を振るっていた弓削道鏡は宇佐八幡から「自分を皇位につかせれば天下が太平になる」とご神託があったと偽りました。

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天皇からご神託が本当か確かめるように命を受けた清麻呂は九州の宇佐八幡に出かけて神前に訊ねると、宇佐大神が現れ「天皇の後継者には必ず皇族の者を立て、無道のものは早く追放せよ」とのご神託を受けます。無道とは人の道に背いた行いのことです。

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清麻呂は天皇にご神託を報告して道鏡の野望を暴きましたが、道鏡は激しく怒り清麻呂の足の腱を切った上に大隅国(鹿児島県)へ流罪としました。称徳天皇は道鏡に皇位を譲ることは思いとどまりましたが、以後もその寵愛は続きました。

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さらに、大隅国へ向かう清麻呂に刺客を放ちました。一方、足の腱を切られ、立つことすらできなくなった清麻呂ですが、皇室を守った大神に感謝するため、宇佐八幡へ立ち寄ることにしました。(奉納された飛翔親子猪

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そして、清麻呂一行が豊前国(福岡県東部)に至ると、どこからか三百頭もの猪が現れ、清麻呂の輿(こし)の周りを囲みました。そして道鏡の刺客たちから清麻呂を守りながら、道案内をしてくれました。(祈祷殿)

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清麻呂が宇佐八幡での参拝を終えると、猪たちはどこかへ去っていきました。不思議なことに、清麻呂の足の痛みは治り、再び歩けるようになっていたそうです。(拝殿の後ろ側には木彫りの猪像、天井には「亥」の大凧がありました。)

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ご神木の招魂樹(おがたまのき)と根元に願掛けの「座立亥串」。

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清麻呂の護王大明神には「足腰の健康・病気怪我回復」、「厄除け・災難除け」や「亥年生まれの御守護」の御神徳があり、広虫の子育明神には「子育て・子供の成長の守護」の御神徳があるとされます。(手前は中門で奥に本殿があります。)

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「足萎難儀回復の碑」 足腰の病気やけがの回復を願う参拝者は、足形の石の上に乗ったり、碑をさすったりして祈願します。こちらにも招魂樹と座立亥串があります。

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一年後に称徳天皇が亡くなると道鏡が失脚、清麻呂は都に呼び戻されました。その後、桓武天皇により摂津職の長官に任じられ、中宮大夫、民部大輔も兼ねました。そして、794年平安京遷都を桓武天皇に上奏し平安京造宮大夫となりました。(可愛い猪像もあります。)

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清麻呂は796年に従三位に叙せられ公卿の地位に昇りましたが、799年に死去、和気氏ゆかりの神護寺に葬られ霊社が建てられました。幕末に朝廷の発言力が増すと、道鏡の野望から皇孫を守った恩人として、清麻呂に神階と神格が与えられたのです。(護王会館)

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明治の東京遷都後の京都復興のため、御苑に「平安神宮」建立が計画され、それを東西から守る梨木神社と護王神社が先に創建されました。梨木神社は王政復古と明治維新に貢献した三條実萬・実美父子を祀っています。

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しかし、様々な事情により平安神宮が当時郊外だった岡崎に縮小して建てられることになり、二つの神社は現在地に残されました。結果的に二つの神社は京都御所を東西から守る形となりました。(日本一大きなさざれ石。)

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「和気清麻呂公銅像」 平成10年、和気清麻呂公千二百年祭を記念して造形作家の松本繁来氏によって制作されました。御所の方を眺めています。

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清麻呂は延暦12年(793)桓武天皇を狩猟にことよせて東山に誘い出し、京都盆地を見下ろしながら、長岡京から京都への遷都を進言しました。それが認められ、長岡京の造営が中止されて平安遷都が実現しました。(境内の北東隅の伊勢神宮遥拝所)

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清麻呂は皇室の恩人だけでなく、その後千二百年続いた都(京都)の恩人でもあるといえます。(足腰陶板塚)

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コメント

猪だらけで始まりましたね。
猪突猛進であっという間に過ぎてしまいそうですが、
一日一日大切に頑張ります。

投稿: munixyu | 2019年1月 1日 (火) 15:10

明けましておめでとうございます。

お正月の護王神社は混雑するだろうと予想はして
いましたがニュースで長~い行列が映っていました。
猪突猛進は高齢者には危険です。
でも元気を出して前向きに行くぞ!です。

投稿: 8mama | 2019年1月 1日 (火) 22:40

★munixyuさん 明けましておめでとうございます♪
今年一年よい年でありますようにお祈りしています。

投稿: りせ | 2019年1月 3日 (木) 22:37

★8mamaさん 明けましておめでとうございます♪
やはり、干支の神社やお寺は人気があるのですね。法然院が手ぐすね引いて待っているような気がします。私は猪突猛進する元気はありませんが、足腰は丈夫でいたいと思います。今年一年の幸せをお祈りしています。

投稿: りせ | 2019年1月 3日 (木) 22:52

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