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2019年1月10日 (木)

幸神社と都の鬼門を護る猿たち

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

寺町今出川の北西に幸神社(さいのかみのやしろ)があります。住所は寺町今出川上ル西入ル幸神町だそうですが、下の写真のように寺町通から2筋西の通りの突き当りです。

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幸神社の歴史は古く、社伝によれば神代の時代に始まり、飛鳥時代の天武天皇の白鳳元年(661)再興されたといいます。平安時代の延暦年間(782-806)に桓武天皇の平安京造営の際に、都の北東の鬼門封じのために、出雲路に社殿が造営されました。

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その社地は現在地から北東300mの賀茂川畔(出雲路橋あたり)で、かっての出雲氏一族の本拠地でした。当初は出雲路幸神と呼ばれ、出雲路の道祖神でもあったようです。(手水舎、水は飲めないそうです。)

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また、当初は鬼(邪気)を塞(ふさ)ぐという意味の塞神(さいのかみ)であったのが、後に縁起のよい「幸神」に変わったといわれています。(拝殿と中に本殿があります。)

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室町時代の応仁の乱(1467-1477)では細川勝元が出雲路に陣をおき、西の山名宗全と合戦しましたが、その兵火によって社殿は焼失してしまいました。その後現在地に移転したといいます。

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応仁の乱以前の幸神社は一町四方の社地を持っていましたが、この地に移って後に秀吉の都市改造によって縮小されて、まるで私邸の神棚のようだったといいます。

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天和2年(1682)に会津藩出身の奥村右京仲之が神主となり、幸神社の復興にあたりました。

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主祭神として猿田彦大神を祀り、天之御中主神、少彦名神、皇孫瓊瓊杵尊、事代主命、可美葦牙彦舅神、天照皇大御神、大國主命、天鈿女命の八神をともに祀っています。これらは天孫降臨や国造り、道案内などにかかわる神です。(中に小さな本殿があります。)

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天鈿女命(あめのうずめのみこと)が道案内の縁で猿田彦大神と結ばれたことから、この神社は縁結びのご利益もあるとされます。御神体の神石が隅にあります。

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社殿の北東の隅に、鬼門除けの猿の神像が祀られています。猿は烏帽子を被り、祓いの忌串(いみぐし)を肩にかかげて、鬼門の北東を睨みつけています。この木彫りの猿は左甚五郎の作ともいわれていますが定かではありません。

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京都御所の猿ヶ辻、幸神社、赤山禅院、比叡山延暦寺の麓の日吉大社と、それぞれの猿が都の中心(京都御所)から北東にほぼ一直線に並び、鬼門の方向から邪気が入るのを四重に防いでいます。

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日吉大社は、「日吉神社」「日枝神社」また「山王神社」など全国に約3,800の「分霊社」があります。それらは方除(かたよけ)の神として、城や屋敷を建てるにあたり分霊されました。また「山王」とは日吉の神の別名で、比叡山延暦寺の守護神を意味しました。

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天台宗寺院の増加と共に「山王信仰」も広がり、各地に日吉の神が祀られました。一方、猿は全国に生息していますが、いつの頃からか魔除けの象徴として大切に扱われるようになり、日吉大社の神猿(まさる)が生まれました。(京都御所の猿ヶ辻)

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猿ヶ辻の塀の角が凹んでいるのは、鬼門(北東の角)を無くすためだそうです。神猿は「魔去る」あるいは「勝る」に通じ、縁起がよいとも考えられました。このようにして、方除の日吉大社の神猿が御所の鬼門の方向に置かれました。

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しかし、神猿は夜な夜なあたりをうろついて悪戯するので、日吉大社以外はいずれも金網に囲まれています。(下は赤山禅院の本堂の屋根。)

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幸神社の歴史に戻り、宝永2年(1705)には僧の光栄が再建に当り、西隣を購入して社地に加えました。(社殿の東には九つの末社が並んでいます。)

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宝永5年に火事で類焼しますが翌年再建、さらに神輿奉造、東隣を社地に加えてやや面目を復活しました。(境内の東北隅に囲いと石の鳥居があります。)

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ここには「石神さん」とよばれる神石があって、拝むと縁結びの御利益があとされますが、触れると逆に祟りがあるともいわれています。平安時代からあり、以前の御神体といわれています。

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さらに、光栄の時に鳥居建設、京極宮の扁額寄進があり、寛保3年(1743)には桜町天皇の神輿寄進などがありました。(隣に「疫神社」の小さな祠があります。祭神は素戔嗚尊ほか四神で、厄除けの神々です。)

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寛延2年(1749)積年の功績によって光栄は権律師に勅許されました。律師は僧官の地位で僧正・僧都の下に位置し、僧尼を統領する官職(五位の殿上人に 相当)。 権はその副官だそうです。灯籠には享保2年(1717)とあり、光栄の時代に寄進されたものです。

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天明4年(1783)に神務職を復活、天明8年の大火で焼失、後に再建。明治以降は村社、公費供進社となりますが、戦後は有志の協力で神社本庁に所属して現在に至っています。

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コメント

日吉神社の猿だけ、檻から出てるのですね。
面白いですね。神猿はラッキーですね。

投稿: munixyu | 2019年1月10日 (木) 19:59

★munixyuさん こんばんは♪
日吉神社の猿のことはよく分かりません。もしかしたら、神様がそばにいるので、出歩けないのかも知れませんね。

投稿: りせ | 2019年1月14日 (月) 23:50

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