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2018年12月 4日 (火)

鷹峰・源光庵 2018秋

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

先日の記事の鷹峰の常照寺を出て源光庵を訪れました。「源光庵」は、山号を鷹峰山、正式名称を鷹峰山寶樹林源光庵という曹洞宗の寺院で、「復古禅林」ともよばれています。

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室町時代の貞和2年(1346)大徳寺2世・徹翁義享(てつとうぎこう)(1295-1369)が隠居所として開創したのがはじまりで、当初は「復古堂」とよばれ臨済宗に属しました。下の総門には創建時の「源光普照」の扁額がかかっています。

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江戸時代の元禄7年(1694)、加賀・大乗寺の卍山道白(まんざんどうはく)禅師(1636-1715)により再興され、曹洞宗に改められました。総門はその時期に建立され、2015年に道白禅師400回忌を記念して再建されました。下は山門。

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山門は二層造りで、扁額の「復古禅林」は、当時の曹洞宗の慣習を批判した道白禅師に対して、清人薫愛山師から送られたものです。

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日本曹洞宗では、道元禅師の開宗から200年を過ぎたころ、嗣法(しほう)の制度を始めとして本来の規律が失われ、様々な弊害が起きていたといわれています。嗣法とは禅宗において弟子が師の法を継ぐことです。(山門の手前に「鐘楼」があります。)

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当時の曹洞宗では師僧から弟子に面授される法統(人法)よりも、寺院の住職を継ぐことによって伝えられる法統(伽藍法)が支配的となり、様々な混乱と弊害を生じていました。(山門を入ると正面に本堂、右隣に書院、その手前に庫裏があります。)

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伽藍法を簡単に言えば、伽藍に法系が付随していて、その建物を相続することにより師の教えを受け継いだことになるというものです。(本堂の建物は、元禄7年に寺が再興された際に金沢の富豪・中田静家が寄進したものとされます。)

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道白禅師は、嗣法は道元が尊重した人法であるべきだとする宗統復古運動に尽力しました。拝観受付がある庫裏の前から、向うは享保4年(1719)に建立された「開山堂」。庫裡に拝観受付があって、最初に書院に入ります。

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道白禅師らの改革は根強い抵抗にあい、40年にわたって運動が続けられました。禅師が自らを「復古老人」と呼んでいたことからも当時の状況が想像できます。(拝観受付を過ぎるとまず書院に上がります。)

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源光庵を開いた2年後には、60歳でしたが梅峰竺信らと江戸に赴き宗門悪弊を改めるよう僧録司に訴えました。僧録司(そうろくし)は寺院の訴訟や僧侶の任免などを管轄する最高位の役職です。(書院の庭は北山を借景とする枯山水庭園です。)

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道白禅師らの運動は寺社奉行を動かし、永平寺法度・總持寺法度の制定によって改革は達成されました。1703年道白禅師は源光庵に帰りましたが、既に67歳になっていました。

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起伏のある庭には様々な植栽があり、大小の石や石灯籠、石塔?などが配されています。

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隣の本堂が見えます。この右手に□と〇の庭があります。

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書院から本堂への渡り廊下の途中にある花頭窓。

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本堂に入ると本尊を祀る内陣の右手におなじみの角窓と丸窓があります。中央から二つの窓が見えますが、ここからは丸窓に紅葉が見えません。

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「迷いの窓」は「人間の生涯」を象徴して、生老病死、愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦(ぐふとくく)、五蘊盛苦(ごうんじょうく)の四苦八苦を表しているとされます。

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「悟りの窓」は宇宙を表し、「禅と円通」の心を象徴して悟りの境地を教えているとされます。

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まず迷いの窓の前で自問自答し、次に悟りの窓の前で自己を見つめ直すと、純粋な本来の自分に戻ることができるそうです。斜めからは両方の窓に紅葉が見えます(記事の最後に正面からも二つの窓に紅葉が見えるように加工した画像があります。)

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廊下の天井は伏見城の遺構で、慶長5年(1600)関ヶ原の戦いの前哨戦で徳川家家臣・鳥居元忠らが石田三成軍に破れ自刃したときの床板です。「血天井」を見世物のように宣伝するのはちょっと?ですが、戦死者の霊を供養しているのだそうです。

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中央の内陣に本尊の「釈迦牟尼仏」、脇立は「阿難尊者」、「迦葉尊者」、「霊芝観世音」を安置しています。「霊芝観世音」は、道白禅師が宇治田原の山中で見つけた観音像で、後西天皇の信仰が篤かったといわれます。(本堂の西にも小さな庭があります。)

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道白禅師の高名をきいた霊元法皇が、問法のため招請しましたが病のために辞退し、惜しんだ法皇は手許品の綿を下賜したといわれます。

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正徳5年(1715年)道白禅師は80歳で亡くなりました。この開山堂に禅師の木像が安置され、その下に舎利(遺骨)が納められています。

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山門の右手にあった小さな池の跡に庭を造成中でした。

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コメント

紅葉の色のバランスがいいですね。
血天井は、どうなんだろう。
ちょっと、疑問ですよね。
燃やして供養した方がいいのかもしれません。

投稿: munixyu | 2018年12月 4日 (火) 12:02

★munixyuさん こんばんは♪
京都にはたくさん血天井があって、それが唯一の見どころ?というお寺もいくつかあります。その意味では、戦乱の死者は後世の人の役にたっているともいえます。結局、それを見学する人が、興味本位ではなく戦乱の死者を悼む気持ちを持つことが大事だと思います。

投稿: りせ | 2018年12月 8日 (土) 00:04

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