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2018年11月 6日 (火)

相国寺 開山堂の紅葉色づき始める

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

桜紅葉の記事はまだ続きますが、今日は一休みして相国寺の秋の特別拝観です。9月25日(火)~12月15日(土)の期間、法堂、方丈、開山堂が公開されています。

相国寺は14世紀末、室町幕府三代将軍の足利義満により創建され、その後幾度も焼失と復興の歴史を繰り返しました。拝観受付は法堂と方丈の間の渡り廊下で、最初に法堂に上がります。

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現存する法堂は、江戸時代初めの1605年に豊臣秀頼により再建された日本最古の法堂建築です。建物の内部は撮影禁止で、以下の内部の写真は受付でいただいた相国寺のパンフレットからの転載です。

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法堂の須弥壇中央に本尊の「釈迦如来像」(重文)が祀られています。鎌倉時代の仏師・運慶の作と伝えられ、結跏趺坐禅定印を結んでいます。

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須弥壇の後ろに足利義満の座像が安置されています。

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狩野光信筆の天井画「蟠龍図」は、堂内で手を打つと反響音が龍の鳴き声のように聞こえるので、「鳴き龍」とよばれています。下は、昨年境内で撮った看板の写真を正面から見るように補正したものです。

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法堂の出入り口から方丈の勅使門が見えます。方丈は、天明の大火で焼失後文化4年(1807)に再建された大規模な建物で、平成19年(2007)に京都府指定有形文化財となっています。

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「方丈前庭(南庭)」は白砂に細かい砂紋が描かれ、西端は苔地に赤松が植えられています。砂紋は、ほとんどが横方向の並行な縞、石敷きの両側だけ縦縞になっている幾何学的な文様で、太陽の反射を利用して方丈の室内を明るくするのが役割だそうです。

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方丈正面の勅使門は安土・桃山時代から江戸時代の慶長年間(1596-1614)に建造されました。一間一戸の四脚門で、屋根に曲面をなす唐破風を用いています。白砂は向うに見える法堂の姿を立派に見えるような効果もあるそうです。

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方丈の南側には東(向う)から「竹の間」「室中(の間)」「梅の間」の3室があり、、室中に襖絵「中国補陀洛山図」があります。

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梅の間に維明周奎(いみょうしゅうけい)筆の「老梅図」があります。

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室中にかかげられている加藤信清(1734-1810)筆の「法華観音図」の写真が外に展示してあります。輪郭を法華経の経文で描く文字絵は古くからある技法ですが、彼は色面まで文字で埋め尽くし、その緻密さと完成度の高さは孤高の存在といわれています。

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縁の西隅に原在中の杉戸絵(複製)があります。原在中は寛延3年(1750)に京都に生まれ、「臥遊」と号し、師は江戸中期に京都で活躍した狩野派の石田幽汀と伝えられています。とりわけ、山水花鳥画を得意とし、精緻な装飾的作風の原派を興しました。

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「西庭」は全面が苔地になっていて、塀の前に赤松が植えられています。先ほど見た前庭の西端はこの西庭の延長になっています。

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方丈の北に来ました。この庭は「方丈裏庭園」(京都市名勝)と呼ばれ、東西に深い溝が削られている枯山水です。向う(東)に滝の石組みがあり、そこから流れ出た水が、

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深山幽谷を流れる様子を、深く掘った谷に石を敷き詰めて表現しています。本当に水が流れてもおかしくないような立体的な庭です。対岸には書院があり、楓も植えられていますが、まだ色づいていません。

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方丈の北には西(向う)から「琴棋書画の間」「御所移しの間」「聴呼の間」の3室が並んでいて、聴呼の間に「八仙人図」、琴棋画の間に「琴棋画図」の襖絵があります。

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方丈の東には石と灌木だけのシンプルな坪庭があります。方丈の外縁を一周したので、開山堂に向かいます。

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開山堂は、応仁の乱(1467)、天明の大火(1788)で焼失しました。現在の建物は江戸時代末期に桃園天皇皇后・恭礼門院の黒御殿を賜って文化4年(1807)に移築されたものです。向うの法堂と廊下で結ばれています。

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入口の横にある坪庭、案内の方によると砂紋を作るのが最も難しい庭だそうです。

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開山堂の南庭は、手前が白砂敷きの平枯山水、奥部が軽くなだらかな苔地の築山となっています。

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その間を幅1.5mほどの小川が流れていましたが、昭和10年頃に水源が途絶えてしまったそうです。奥の楓が色づき始めていました。

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小川の水は「御用水」とよばれ、上賀茂から南に流れ、上御霊神社、相国寺境内、開山堂、功徳院を通って御所庭園へと流れていました。相国寺ではこれを「龍淵水」と称し、この前庭を「龍渕水の庭」と呼んでいました。

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また、開山堂を出てからの境内の水路を「碧玉構」と呼んでいたそうです。「功徳院」は百万遍知恩寺の前身の寺で、かってこの近くにありました。南庭の北東の隅には、かって水が流れ込んでいた石組み(写真の右)が残っています。

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「枯山水平庭」は御影の切石で縁取られて白砂に庭石が配置され、奥の「山水の庭」は楓を始めとして様々な植栽の築山と小川があります。二つの異なる形態の庭は一体となって、調和した風景を創っていたそうです。

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開山堂には開山・夢窓国師の木像が安置されています。また、堂内には円山応挙とその一派の筆による杉戸と襖絵があります。

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小川に水はありませんが、庭の南東の隅では枯山水と山水の庭が共存していたかっての雰囲気が感じられます。

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コメント

砂紋を作るのにも、難易度があったのですね。
確かに、縦横に交互に砂紋を作るのは、大変そうです。

投稿: munixyu | 2018年11月 7日 (水) 17:43

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