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2018年11月11日 (日)

東寺 秋の境内を巡る

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

東寺に行ってきました。上は「南大門」(重文)で、蓮華王院(三十三間堂)の西門を移築したもので、安土桃山時代の慶長年間(1596-1615)の建立です。国内最大の八脚門です。。

「東寺」は、教王護国寺ともいい、平安遷都(794年)とともに創建された官寺で、その後弘法大師・空海に託され、日本ではじめての密教寺院となりました。以後の歴史は省略して、今日は境内の建物を見て回ります。下の図で、南大門から拝観受付までを歩きます。

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「八島社」 東寺の創建以前よりこの地に祀られていた地主神で、その名は大八洲瑞穂国(おおやしまみずほのくに)に由来するとされます。大八洲瑞穂国は日本の古い呼び名です。(南大門を入った右手にあります。)

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「鎮守八幡宮」 東寺の創建時に王城鎮護を願って祀った社で、僧形八幡神と二尊の女神は、空海が自ら彫ったものと伝えられて、わが国最古の神像です。平安時代に薬子(くすこ)の変を鎮めたと伝えられ、戦勝祈願の社として名高く、足利尊氏も参拝しました。

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現在の社殿は、平成4年/1992)に建立され 入母屋造、銅板葺です。この横から五重塔が見えます。

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「灌頂院」(重文) 平安時代の843年、弘法大師が修行した唐の青竜寺にならい、密教修行の道場(灌頂道場)として建立されました。鎌倉時代に修復、1585年の伏見大地震により損壊、江戸時代の1634年に徳川家光により改築されました。

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真言宗寺院で最も重要な堂舎で、正堂と礼堂からなる双堂形式です。正堂内部には胎蔵界と金剛界の両界曼荼羅が掲げられ、壁に金剛薩埵(さった)菩薩や大日如来などの種字があります。非公開です。上の写真の左の東門、右の北門ともに重要文化財です。

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本坊の「勅使門」 本坊にある「小子坊(こしぼう)」は天皇を迎える場所で、前庭は7代目小川治兵衛の作庭、向う側(西)に蓮華門(国宝)があります。南北朝時代に足利尊氏が光厳上皇を奉じて都に入ったとき、戦いが治まるまで御所となりました。

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本坊には他に、書院、客殿、事務所(左)と庫裏(右)などがあります。東寺は真言宗(東寺派)総本山で、その宗務本庁を兼ねているので、寺務所ではなく「事務所」と呼んでいるのだと思われます。

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この門を入った左に毘沙門堂があり、毘沙門天は都七福神のひとつです。

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「毘沙門堂」 安置されている兜跋(とばつ)毘沙門天立像(国宝)は、かって都の守護神として羅城門に安置されていました。天元元年(978)の台風で羅城門が崩壊の後に、東寺の食堂に安置され、さらに文政5年(1822)に建立されたこの毘沙門堂に遷されました。

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尊勝陀羅尼の碑 江戸時代(1853年)に比叡山僧・願海が北野天満宮の宗像社の傍に建立し、1868年の神仏分離令後の廃仏毀釈によりこの地に遷されました。碑の周囲を回り、亀の頭、手足に触れ、患部をさすると万病に効験があるとされます。

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「天降石」 古くからこの地にあったとされ、江戸時代には護法石、五宝石、不動石などと呼ばれました。その後、天降石、また撫石と呼ばれて、石を撫でた手で患部をさすると完治するとされます。

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「大黒堂」に安置されている「三面大黒天」(左)は弘法大師作と伝わり、大黒天、毘沙門天、弁財天の三尊が合体していて、3神のご利益を一度に授かることができるとされます。右には安産に御利益があるとされる「不動明王」が祀られています。

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「西門」 向こうは「東寺通」で、ここからも出入りできます。毘沙門天の門を入って、こちらの御影堂の方に抜けられます。

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「梵鐘」は足利尊氏が寄進したといわれ、室町時代(1348年)に完成、現在のは複製だそうです。

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「御影堂(大師堂)」(国宝)は、室町時代の1380年に建立され、その後増築、再建され、後堂(うしろどう)、前堂(まえどう)、中門(ちゅうもん)の3つの建物で構成されています。来年(2019年)まで修復工事中です。

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前堂に安置されている弘法大師像(国宝)は、斜め前に建てられた「仮御影堂」に遷されていました。かって空海が住んでいたころと同じように、毎朝6時から、一の膳、二の膳、お茶をお供えする生身供が鎌倉時代から続いているそうです。

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「大日堂」 役行者(えんのぎょうじゃ)作と伝わる胎蔵界大日如来を祀っています。元禄11年(1698)に御影堂の礼拝所として建立され、当時は一般の参拝者は御影堂には入れず、ここから弘法大師を拝したそうです。御影堂の向かいにあります。

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御影堂の門から外に出ると、左に「宝物館」があります。11月25日までの期間、秋季特別公開として「東寺の如来・祖師像ー祈りと悟りのかたちー」展を行っています。

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「北大門」(重文)は鎌倉時代前期に再建、江戸時代(1601年)に補修された八脚門です。 この外にいくつかのお堂や塔頭「観智院」があります。観智院も秋季特別公開中ですが、時間がないので入っていません。

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「食堂(じきどう)」 平安時代の843年までには建立され、1930年焼失、1933年に再建されました。南北朝時代には足利尊氏がここに陣を敷きました。本尊は十一面観音像で洛陽三十三観音巡礼の札所。12月24日まで観瀾斎(かんらんさい)作品展を開催しています。

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「東寺から西国八十八ヵ寺、高野山へ」と題した木版画です。「夜叉神堂」は、もとは南大門の左右に祀られ、西(手前)に雌の夜叉、東に雄の夜叉を祀り、歯痛平癒の信仰を集めています。

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東門の近くにある「宝蔵」(重文) 空海が唐の国師、恵果(けいか)から授かり、国宝となっている密教法具や両界曼荼羅など数多くの寺宝を納めていました。火事による延焼を防ぐため、周囲は堀で囲まれていましす。建物は平安時代建造の校倉寄棟造 本瓦葺。

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この後、金堂や五重塔がある拝観エリアに入りました。

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コメント

あら?南大門から入れるのですか?!
五重塔の特別拝観が見たくて、足を怪我していたので、タクシーにお願いしたら「北からしか入れない」と言われ、泣き泣き歩きましたweep

東寺に限らず、よそものにとって 地図と実際の入れそうで入れない所を見破るのが至難の業ですsweat01

りせさんブログを見て予習してから拝観して、家に帰ってから もう一度 今度は りせさん渾身の写真をじっくり味わっています。グリコのような りせさんですheart04

投稿: ゆっこ | 2018年11月11日 (日) 11:07

★ゆっこさん こんばんは♪
南大門からも入れますが、五重塔への拝観入口へは東門(慶賀門)から入る方が近いです。私は最初に境内のお堂を見て回りたいので南大門から入りました。
大きな境内があるお寺では、閉門時間に近づくとほとんどの門を閉めて一か所から参拝客を外に出すところが多いですね。醍醐寺や仁和寺もそうで、まだ時間があって写真を撮れると思っても、開いている門に誘導されることがありました。

投稿: りせ | 2018年11月12日 (月) 00:22

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