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2018年11月 3日 (土)

源氏物語・宇治十帖を巡る 後編

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

昨日の続きで、源氏物語の宇治十帖の後半の古跡を巡ります。

今日(11月3日)と明日、10:00~15:30の時間帯に「宇治十帖スタンプラリー」が行われていて、それぞれの古跡の近くにスタンプ台(おそらくテント)があります。下はその台帳ですが、番号は宇治十帖の順に付け替えています。

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⑥東屋(あずまや) 薫が見初めた浮舟は、八宮に仕えていた中将君と八宮の間とにできた姫です。浮舟の母・中将君は、今は常陸介(ひたちのすけ)の後妻となっていて、左近少将(さこんのしょうしょう)という求婚者がいました。(京阪宇治駅の近くです。)

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しかし、財産目当てだった少将は、浮舟が実子でないと知ると縁談は破談となりました。浮舟を不憫に思った母は、縁を頼って二条院にいる中君に預けることにします。そこで偶然出会った匂宮に言い寄られ、驚いた母は浮舟を三条の東屋(小さな家)に隠します。

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浮舟の消息を知った薫は、ある時雨模様の夜に訪ねて行き、「さしとむる葎(むぐら)やしげき東屋の あまり程ふる雨そそぎかな」と詠みます。翌朝、薫は浮舟を引き取って宇治に移します。この石仏は「東屋観音」と呼ばれていますが、その名の由来は不明だそうです。

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この石仏は鎌倉時代に造られた聖観音菩薩で、かっては宇治橋東詰の近くにあったそうです。この場所が宇治十帖の古跡というのは「東屋」つながりと思われますが、都から宇治に入るときには、奈良街道沿いにあるこの場所を通るのは事実です。

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⑦浮舟 浮舟のことが忘れられない匂宮は、中君への手紙から彼女が宇治で薫にかくまわれているのを知ります。闇に乗じて宇治に赴いて強引に関係を結んでしまいます。(浮舟の古跡は三室戸寺にあり、写真は今年の5月のものです。)

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ある雪の中、宇治を訪れた匂宮は、かねて用意させていた小舟に浮舟を乗せて橘の小島で遊び、対岸の小家に泊って一日を語り過ごします。「橘の小島は色もかはらじを この浮舟ぞゆくへ知られぬ」 下は朝霧橋のたもとにある浮舟と匂宮のモニュメント。

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匂宮とのことを知った薫は、浮舟を見捨てることなく二人を見守ります。誠実な薫と情熱的な匂宮の間で悩み苦しむ浮舟は、ついに死を決意して屋敷を出ます。(三室戸寺の鐘楼の奥に碑があります。何故ここが浮舟の古跡かは後で明らかになります。)

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⑧蜻蛉(かげろう) 浮舟が行方不明になり大騒ぎになります。山荘の女房たちは入水自殺を計ったと悟り嘆き悲しみながらも、世間体を繕うために遺骸の無いまま葬儀を行いました。薫君も嘆きながらも四十九日の法要を営みました。(さわらびの道の端に道標が。)

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薫は華やかな日々を送りながらも、大君や浮舟とのつらい恋を思い浮かべて愁いに沈んでいます。ある秋の夕暮、薫は蜻蛉がはかなげに飛び交うのを見て、「ありと見て手には取られず見れば又 ゆくへも知らず消えし蜻蛉」。

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一方、匂宮は悲嘆の余り病床に伏してしまいます。宇治から三室戸寺への道の途中にある「線刻阿弥陀三尊仏」は、平安時代の作と考えられ、俗に「かげろう石」と呼ばれこの巻の古跡となっています。

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⑨手習(てならい) 比叡山横川の僧都の一行は、初瀬詣の帰りに立ち寄った宇治で入水自殺をはかり倒れている浮舟を見つけます。手厚い介抱を受けて回復した浮舟は、素性を明かさず、死ぬことばかりを考え泣き暮らしました。(奈良街道沿いに碑があります。)

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やがて秋になり、洛北小野の草庵で浮舟はつれづれに手習をして、「身を投げし涙の川の早き瀬を しがらみかけて誰かとどめし」。手習は毛筆で漢字や仮名を書く練習をすることですが、転じて、手遊び(てすさび)に和歌などを書くことも表します。

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浮舟は僧都に懇願して出家してしまいます。そのことは、都に上った僧都の口から人伝えに薫の耳にも届きます。この横川の僧都は、三室戸寺を再建した恵心僧都がモデルとされています。

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⑩夢浮橋 薫は横川に赴いて僧都に浮舟と会わせて欲しいと頼みますが断られ、浮舟の弟・小君(こぎみ)に文を託します。浮舟は、なつかしい弟の姿をのぞき見て、肉親の情をかきたてられますが、会おうともせず、薫の文も受け取りませんでした。

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小君は姉の非情を恨みながら、仕方なく京に帰ります。薫はかつての自分と同じように、誰かが浮舟を小野にかくまっているのではないかと、思い悩みます。「法(のり)の師とたづぬる道をしるべにして 思はぬ山に踏み惑うかな」。

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源氏物語はここで(唐突に)終わります。昔から、紫式部が何らかの理由でここで執筆を中断してしまったという説があり、後世に続編がいくつか書かれています。(夢浮橋は物語には登場しない架空の橋ですが、宇治橋の西詰に碑が建てられています。)

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一方で、このような最後は読者にその先を想像させる手法であるという説も有力です。そして、物語の主題が何かという点についても、昔から論争が続いています。その中で、江戸時代の本居宣長が主張した「もののあはれ」が最も有力といわれています。

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お知らせするのが遅れましたが、宇治十帖と同じ日程で、府立嵯峨野高校の生徒さんが源氏物語ゆかりの11社寺(おそらく京都市内)を巡るスタンプラリーを行っています。

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コメント

スタンプラリーなんかがあると、
いろんなところを回れていいですよね。
楽しそうです。

投稿: munixyu | 2018年11月 3日 (土) 12:26

★munixyuさん こんばんは♪
スタンプラリーはいろんな人が参加して、源氏物語に興味を持ってくれることを意図したのでしょう。でも、ほとんどの人は、スタンプがあるテントだけに立ち寄って、近くにある石碑や史跡には気が付かないのがちょっと残念でした。

投稿: りせ | 2018年11月 5日 (月) 00:19

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