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2018年10月11日 (木)

三千院門前通りと大原陵

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

先日の記事のように大原の芹生で昼食をとったあと、上の写真の三千院の石段を上りました。右は「三千院門跡」、左は「後鳥羽天皇 順徳天皇 御陵参道」の石標。石段の上の通りは「門前通り」と呼ばれ、左には茶店や土産物屋、漬物屋などのお店が並んでいます。

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「芹生茶屋」 料理旅館の芹生に付属の茶店です。お食事は、麺類各種、おでん、とろろが入った定食など、甘味はみたらし、わらび餅、ぜんざい、あんみつ、ところてんなど、お手頃な値段です。

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「千咲都(ちさと)」 清水焼の「やまなか陶雅」のお店で、京銘菓や和小物、清水焼や扇子などの京土産があります。

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「土井しば漬け本舗三千院前店」 しば漬け以外に、浅漬け、木の芽煮、佃煮、しそ製品など、お土産用のセットもあります。、

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向かいに小塙(こはなわ)徳女の句碑「魚山の名ここに千年冬木立」。 魚山とは三千院の山号、小塙徳女は明治から昭和にかけての女流俳人で、かって三千院門前にあった料亭「四季の茶屋」の女将でした。

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「森善 京の名品館」 京土産のお店で、その奥にお食事処「おのみやす 大原店」があります。こちらは、鯖寿司定食が人気だそうです。ちょうど三千院の門の前にあります。

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三千院の御殿門(山門)の右手にある枝垂桜は「生きてごらんなさい桜」と名付けられています。工藤直太郎氏は英文学者の文筆家で、百歳を越えて家族のほとんどが先に逝っても、その文章は乱れを見せず格調高いものだったそうです。

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その生きざまに感銘を受けた民謡研究家・竹内勉氏は「生きてごらんなさい 百歳の手紙」という書を出版しました。竹内氏と親交があった小堀光詮前門主は、工藤氏をしのんで、境内の桜にこの名を付けたそうです。

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今回は紅葉にはまだ早いので三千院には入っていません。もし期待していたらゴメンなさい。

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「京美茶屋」 和食のお食事処で、店内で作っている湯葉の料理が名物です。ゆばづくしコース、麺類に湯葉を組み合わせた定食も多数あり、豆乳チーズケーキや豆乳ゆばプリンなどオリジナル・スイーツも好評とか。

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門前通りのはずれにある「三千院の里」 見晴らしがよい和食のお店でしたが、数年前から開いているところを見ていません。店の前に「鉈捨薮跡」の看板があります。勝林院での「大原問答」に臨む法然一行に、蓮生(武将・熊谷直実の出家後の名)が従っていました。

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蓮生は、問答に集まる聴衆に法然上人を襲撃するような過激な僧徒がいるかも知れないと考え、帯に鉈(短刀)を忍ばせていました。ところが法然に咎められて鉈をこの藪に捨てさせられたといわれています。

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「律川」にかかる小橋を渡ります。理由は分かりませんが、こちら側には「末明橋」、向う側には「茅穂橋」と書かれています。

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橋を渡った右手に「後鳥羽天皇大原陵・順徳天皇大原陵」があります。後鳥羽天皇(1180- 1239)は高倉天皇の第4皇子で、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての天皇です。文武両道で、新古今和歌集の編纂でも知られます。

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後鳥羽上皇は、鎌倉時代の承久3年(1221)、鎌倉幕府執権の北条義時に対して討伐の兵を挙げました。しかし、この承久の乱で幕府の大軍に朝廷側が敗北して、上皇は隠岐に配流され、延応元年(1239)に同地で亡くなりました。(手水鉢があります。)

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隠岐の山中で火葬にされた後、遺骨は遺詔により侍臣が京都に遷し大原に埋葬されました。

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翌年(1240)後鳥羽天皇の冥福を祈るため、上皇皇子・尊快入道親王と母・修明門院は、摂津の水無瀬離宮の建物をこの地に法華堂として移しました。その翌年(1241)法華堂が落慶し納骨されたといわれています。(現在は大原陵の隣に法華堂があります。)

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法華堂は当初大原陵の敷地にあり、江戸時代に焼失して荒廃、後に再建されました。明治の神仏分離令によって大原陵の隣の現在地に遷されました。

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一方、順徳天皇(1197-1242)は後鳥羽天皇の第3皇子で、父の計画に協力して佐渡島に流され、同地で亡くなりました。翌日に火葬され、翌年遺骨は都に持ち帰られ、後鳥羽上皇を祀った大原法華堂のそばに安置されたといわれています。(もう一度大原陵に。)

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かっては背後の高台に後鳥羽上皇の法華堂がありましたが、現在は右にある十三重塔が陵墓とされています。一方の順徳天皇の陵墓は法華堂が荒廃した際に所在が一時不明となりましたが、元禄時代の探索によって左にある円丘と確認されました。。

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後鳥羽・順徳天皇親子は都に戻り再会することが叶わず、没後にようやくこの大原陵で再会しました。洛中から遠くはなれた地ですが、現在でも宮内庁職員が常駐して墓を守っています。

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コメント

この辺りは、お腹が空いている時に行くと、
茶屋に入ってばかりになってしまいそうですね。
お腹いっぱいのときのほうが、観光にはいいのかもしれません。

投稿: munixyu | 2018年10月11日 (木) 15:08

★munixyuさん こんばんは♪
観光地で食事やお茶をいただくのは、いつもと違う特別な雰囲気がしますね。お寺の拝観時間やバスの時間も気にしながら、どこに入ろうか迷います。

投稿: りせ | 2018年10月14日 (日) 00:46

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