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2018年10月 1日 (月)

親縁寺 判明した由緒

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

千本今出川から一筋西の「六軒町通」を上がったところに、閑静な境内の「親縁(しんえん)寺」があります。拝観寺院ではなくて由緒が見当たらず、ようやくある程度の情報が集まりましたので記事にします。*台風24号について、京都の寺社等の被害情報はありません。

下は今出川通から北に見た六軒町通。

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上京区等が発行している『上京・史跡と文化 第48号』(平成27年)によると、親縁寺は浄土宗で慶長11年(1606)に僧頓誉(とんよ)が勅許を得て創建しました。一方、『京都坊目誌』では、僧・頓與(宇治上林氏)が慶長12年に創建としています。

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京都坊目誌は碓井小三郎が独力で各町の歴史、旧跡、社寺について調査した結果を大正5年に刊行したものです。創建年や開山が異なりますが、上京・史跡と文化は京都坊目誌から最近までの調査をもとに、より精度の高い情報だと思われます。(本堂)

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上の建物を設計・施工した(株)水野建設によると、1階はコンクリート造、2階が純木造で本堂の役割をしているそうです。2014年の浄土宗特別大公開で親縁寺が公開され、本尊の阿弥陀如来、その左奥に十一面観音、大日如来、地蔵菩薩が祀られているそうです。

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十一面観音像は、「乾(戌亥)三十三所」の第24番札所本尊になっています。これは、洛中の乾(北西)の方角(上京区西部と北区南西部)の観音霊場巡りで、少なくとも明治時代には行われていましたが、現在では数寺しか判明していません。(参道に石標があります。)

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京都坊目誌によると、親縁寺は享保15年(1730)類焼、天明の大火(1788)は免れました。境内に塔頭・朝松院がありましたが、明治維新の際に本寺に合併、境内は725坪です。(本堂の入口)

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上の西陣大火について『浄福寺事蹟』では浄福寺の堂宇や檀家、同じく大超寺・瑞雲院・親縁寺・報恩寺・護念寺も類焼したとあります。また、『知恩院日鑑』によると、この6寺が連署して復興のために知恩院に借銀を願い出たそうです。(書院の玄関)

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本堂に祀られている大日如来は、明治初年の神仏分離令によって北野天満宮の楼門右手にあった多宝塔が壊された際に、須弥檀・華鬘(けまん)等とともに譲り受けたものです。(庫裏)

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この華鬘は金銅の透かし彫りに金物を垂らした楕円形の荘厳具で、須弥壇の金具とともに北野天満宮の神紋「梅鉢」が見られるそうです。(庫裏の神棚には、八臂弁財天、韋駄天、大黒天、青面金剛が祀られています。下は庫裏の玄関。)

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本堂の大日如来は「洛陽五智如来」の一つになっています。他は教善寺の阿閦(あしゅく)如来、東寺五重塔の阿弥陀如来、西正寺の宝生如来、大報恩寺(千本釈迦堂)の釈迦如来です。この霊場巡りが始まった時期は分かりません。(鐘楼)

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本堂の左に石仏が集められています。千本通は平安京の朱雀大路の場所を通りますが、平安京は一条通までで、このあたりは葬送地・蓮台野の入口にあたります。周囲の寺には石仏が集められ、現在でも供養が続けられています。

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少し離れると本堂の建物の形が分かります。近年コンクリート造の本堂が建てられることも多いのですが、こちらは2階の本堂だけは木造にこだわったようです。1階は待合や集会場、斎場などの多目的に使用されます。左に墓地があります。

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ここには並河家の墓があります。『京都商人買物独案内』(1831)によると、並河人形店は天明年間(1781-1789)創業の「けうえや」のことで、毛植えの京人形を製造販売していました。明治天皇が東京へ行かれるときにはその技術を結集した人形を献上したそうです。

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昭和初期に廃業して毛植人形の技術は途絶えてしまいましたが、現在でも多くの人形が残されています。最近7代目に相当する子孫の方が定年退職を機に、残された人形を整理して「京人形 並河人形店 けうゑや」というサイトを立ち上げました。

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その際、並河家の家系図を菩提寺であった親縁寺で調べてもらったそうです。

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コメント

タヌキ。
信楽焼のタヌキにしては、雰囲気が少し違うような気がします。
色も違いますよね。
特注なのかもしれませんね。もしくは信楽焼ではないとか。

投稿: munixyu | 2018年10月 1日 (月) 19:57

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