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2018年10月21日 (日)

今宮神社 紅葉少し色づく

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

大慈院の泉仙で昼食をとった後、今宮神社を訪れました。まず境内を一回りして本殿にお参りします。平安建都以前からこの地には疫神(えきしん)を祀る社があったといわれています。

楼門を入った右に「宗像社」があります。江戸時代中期の元禄年間の建立で 素盞鳴尊の十握剣(とつかのつるぎ)から生まれた宗像三女神を祀ります。 元来は海上交通の守り神ですが、今では交通安全の神とされています。

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祠の台石の側面に鯰の彫り物があります。昔の石工さんのいたずらかも知れませんが、宗像社の祭神は俗に「弁天さん」とも呼ばれ、鯰はその使いとして彫られたともいわれています。

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遷都によって平安京が栄える一方で、都人はうち続く疫病や災厄に悩まされました。人々はこのような災難はすべて、不慮の死を遂げた者の怨霊(御霊)の所業と考え、それらを鎮める儀式「御霊会(ごりょうえ)」が行われました。(手水舎も元禄時代の建立。)

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一条天皇の時代の正暦5年(994)6月に、当地に祀られていた疫神を二基の神輿に乗せて船岡山に安置して、それらを慰め奉って悪疫退散を祈りました。これが紫野御霊会で、現在の今宮祭の起源です。

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紫野御霊会では、都中の老若男女はこぞって神輿の供をして船岡山に登り、綾傘に風流を施し囃子に合わせて唱い踊り、病魔のよれる人形を難波江(大阪湾)に流したといわれます。これが「やすらい祭」の起源です。(拝殿)

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平安時代中頃の長保3年(1001)、ご霊夢によって疫神は船岡山から再び現在の当社地に遷され、新たに設けられた神殿三宇ともども今宮社と名づけられました。これが今宮神社の起源です。「力石」

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創設以来庶民の信仰を集める一方で、室町時代には将軍家の若宮(生まれた皇子)の守護神となり、足利将軍の加護を受けました。その後、豊臣秀吉によって御旅所が再興されました。

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江戸時代には、徳川綱吉の生母・桂昌院は、出身地・西陣への愛郷の念とともに今宮神社を崇高して、荒廃していた社殿を修造しました。また、やすらい祭の復活にも尽力し、かっての盛況を取り戻したそうです。上の写真の左に桂昌院のレリーフがあります。

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拝殿と本殿は明治29年(1896)に焼失して、同35年(1902)に再建されました。

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本殿の中御座には大己貴命(おおなむちのみこと)、東御座には事代主命(ことしろぬしのみこと)、西御座には奇稲田姫命(くしなだひめのみこと)を祀っています。奇稲田姫命は、素戔嗚尊が八岐大蛇を退治して救った妻にした女神で、子孫繁栄・五穀豊穣の神です。

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2神の間に生まれた子が大国主神で(大己貴命はその幼名)、国造り、農業、商業、医療、縁結びの神です、事代主命は大国主神の子で、託宣神のほか、海の神、五穀豊穣・商売繁盛の神とされています。

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古来からこの地にあった疫神は、本殿左横の摂社「疫社」に祀られています。疫神は祇園精舎の守護神・牛頭天王(ごずてんのう)といわれ、素戔嗚尊と同一視されてきました。明治の神仏分離令以降は、仏教の神の牛頭天王を祭神とすることが憚られました。

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「織姫社」 本殿の左、境内の西北の隅にあり、祭神の栲幡千千姫命(たくはたちぢひめのみこと)は織物の祖神で、七夕伝説の織女に機織を教えたとされます。機織などの技芸上達だけでなく、最近では七夕伝説にちなんで縁結びの神としても信仰されています。

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「阿呆賢(あほかし)」さん 本社前の広場にある神占石は、叩くと怒り、撫でて軽くなれば願いがかなうとか。

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「八社」 織姫社の南(左)にあり、大国、蛭子、八幡、熱田、住吉、香取、鏡作、諏訪社を一棟に祀っています。このように全国の有名な社が祀られているのは、参拝者の便宜を図ったと考えられます。左隣にも、八幡社があります。

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「大将軍社」 かって平安京の鎮護のため四つの方角に大将軍社が建てられ、大徳寺門前にあった一つがここに遷されたといいます。牛頭天王とその八大王子が祀られています。牛頭天王と同一視される素戔嗚尊にも五男三女の八神があるのは不思議です。

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「日吉社」 近江の日吉大社の祭神、大山咋神(おおやまくいのかみ)と大物主神(おおものぬしのかみ)を祀り、今宮神社の産土の地「上野村」に祀られていた上ノ御前、下ノ御前の両社も明治初年に合祀しました。この前でやすらい祭の踊りがあります。

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「若宮社」 賀茂斎院の若宮を祀ります。斎王を奉る館を賀茂斎院といい、この近くに在ったので紫野斎院とも呼ばれました。「若宮」とは、激しい祟りをする霊を弱めるため、より強い神格の下に祀った状態だとされます。 「今宮祭」の牛車で巡行するのはこの若宮です。

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「稲荷社・織田稲荷社」 上の社がある道の東側にあります。稲荷社の祭神は伏見稲荷大社と同じ宇迦御魂命(うがのみたまのみこと)、 その右にある織田稲荷社は織田信長を祀ります。信長の墓所・阿弥陀寺の移転跡地にあったものを昭和62年に遷したそうです。

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向うの石段の上に二つの摂社があるのですが、先日の台風によって上の石鳥居が不安定となり上ることができませんでした。石段の途中の右にある「地主稲荷社」は天孫降臨に関わる神の倉稲魂大神と猿田彦大神を祀り、今宮神社の地を守護する地主神です。

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「月読社」 石段の上にあり、月読尊(つきよみのみこと)を祀ります。月読尊は太陽を象徴する天照大御神の弟神にあたり、夜を司る月の神とされます。ただし、神話でもその記述が少なく、謎が多い神でもあります。

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「絵馬舎」 寛政12年(1800)建立。馬は神様の乗り物として神聖視されており、古くから人々は願い事をする際、神様への御玉串として馬を奉納していました。後にこれが絵馬となり奉納する殿舎が建てられました。ここにはかなり古い絵馬が多くあります。

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神社の西に今宮幼稚園があります。

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最初に見た宗像社の横に神馬舎があります。絵馬とは別に、神様の乗る生馬の代りに木製や金属製、銅製などの様々な神馬を奉納する習わしも生まれました。ここには白い神馬がいました。

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この後、東門を出て参道にある茶店に向かいました。

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コメント

阿呆賢さんは、叩くと怒る
というところが、面白いですね。
みんな、そっと撫でているのでしょうね。

投稿: munixyu | 2018年10月21日 (日) 13:30

お世話になります。

私、関西テレビの番組スタッフ安東と申します。

この度は、「京都を歩くアルバム」を拝見させて頂きました。
そこで、2014年のブログ記事で仁和寺の勅使門から入って来る神輿の写真を拝見しました。

番組内で仁和寺様を特集してまして、差し支えなければ上記のブログに掲載されてますお写真を使用させて頂いても構いませんでしょうか?

1度メールにてお話出来れば幸いです。

何卒よろしくお願い致します。

投稿: 安東勇吾 | 2018年10月21日 (日) 14:47

★安東勇吾様 初めまして♪
今、メールをお送りしました。
マウスを置くと出る番号をお知らせくださいませ。
メールにてご連絡宜しくお願い致します。

投稿: りせ | 2018年10月21日 (日) 18:33

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