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2018年9月 5日 (水)

新日吉神宮 (台風被害は後程)

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

台風21号によって京都の寺社や観光名所にも被害があったようです。下鴨神社、吉田神社、宇治神社、仁和寺、大覚寺などで鳥居や建物の一部が破損したり倒木があり、渡月橋の欄干が破損しました。詳しい情報が分かったらお知らせします。

昨日の記事の香雪院の前の通りを南に行くと、女坂の向かいに新日吉(いまひえ)神宮があります。鳥居は豊国廟のもので、その右の参道の奥です。

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参道の左にある「山口稲荷社」 素盞鳴尊の子神・宇迦之御霊神(うかのみたまのかみ)を祀り、商売繁盛の信仰があります。

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「新日吉神宮」は平安時代末の延暦元年(1160)、後白河法皇が御所・法住寺殿を造営し、その鎮守社として今熊野神社とともに、比叡山東坂本の近江日吉山王七神(日吉大社)を勧請したのが始まりとされます。

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初代検校(けんぎょう)職に妙法院の僧・昌雲が任じられ、新日吉神社は妙法院の管轄になりました。検校職とは寺社の事務を総括する職です。(楼門)

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楼門を入った左に「京都市午砲の台座」 午砲とは時刻をしらせる大砲(空砲)で、正午に撃つことが多かったのでこの名があるそうです。明治から大正・昭和初期まで使用されました。

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1162年には社殿が完成し、二条天皇によって小五月祭(こさつきのまつり)が行われました。新日吉小五月会とも呼ばれ、陰暦の5月9日に競馬、流鏑馬、闘鶏が行われれ、以来勅祭となりました。(手水舎)

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後白河天皇(1127 - 1192)は、鳥羽天皇の第四皇子として生まれ、28歳のとき異母弟・近衛天皇の急死により皇位を継ぎ、31歳で譲位した後は34年にわたり院政を行いました。

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その治世は保元・平治の乱、治承・寿永の乱と戦乱が相次ぎ、二条天皇・平清盛・木曾義仲との対立により、幾度となく幽閉・院政停止に追い込まましたがそのたびに復権を果たしました。

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その時々の情勢に翻弄されながらも源平の対立を乗り越え、新興の鎌倉幕府とは多くの軋轢がありながら協調して、その後の公武関係の枠組みを構築したといわれています。

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一方で、仏教を厚く信奉、1169年法住寺殿において出家して法皇となりました。この頃までは平家との関係は良好でした。晩年は東大寺の大仏再建に取り組みました。和歌は不得手でしたが今様を愛好、『梁塵秘抄』を撰するなど文化的にも大きな足跡を残しました。

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当初の境内は現在地の南の智積院南にあったと考えられ、広大な境内に平清盛の寄進により社殿が建立され、内陣に7つの神座が祀られていたといいます。(上は社務所・授与所、下は拝殿から本殿。)

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上で出てきた「勅祭」とは天皇が勅使を遣わして奉幣(捧げもの)を行う祭祀で、そのような神社を勅祭社といい平安時代末には22社ありました。現在は16社で、京都では上賀茂神社、下鴨神社、平安神宮、石清水八幡宮。本殿は江戸時代の1835年に改造された流造。

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北側の御神猿像(狛猿) 御幣を持っています。神猿(まさる)は日吉大社の神の使いです。

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南側の狛猿は烏帽子姿で鈴と扇を持っています。二つの狛猿の口元を見ると、狛犬のように「阿吽」の対になっています。これらは1935年に安置されましたが、夜になると動き回ったので金網で囲んであるといわれています。

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祭神として後白河法皇と皇居守護神の山王七柱が祀られています。山王七柱とは、大山咋命、賀茂玉依姫命、大己貴命、田心比売命、菊理比売命、大山咋命荒魂、賀茂玉依姫荒魂です。

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五穀豊穣、家内安全、交通安全、縁結び、開運招福、厄除けなど様々なご神徳があるとされます。祭神の後白河法皇は昭和33年(1958)に法住寺陵より神霊が遷されて合祀されました。

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鎌倉時代になると、後鳥羽上皇、後嵯峨上皇の御幸があり、競馬、田楽、獅子舞、流鏑馬などが催されたといいます。後深草天皇も度々参詣したそうです。(本殿の右に二つの末社がありますが、このあたりからもう一体の神猿が見えます。)

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新日吉神宮は室町時代の応仁の乱で焼失、以後衰退しました。江戸時代初め豊臣家滅亡の後豊国廟社が破却され、1655年に豊国廟社の参道に妙法院宮堯然法親王により再建されました。(本殿向拝柱上部に扇をもった神猿が座っています。)

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「豊国神社」 豊国廟社が破却された際に、密かにご神体(豊臣秀吉の神霊)が当社に遷されたといわれています。かっては樹下社(このもとのやしろ)といい、徳川幕府を憚って秀吉の姓の「木下」を変化させて付けたそうです。

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秀吉の神霊は長らく神供所に祀られていましたが、1785年になって社殿が造られ遷されました。

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「愛宕社・秋葉社」 1160年に後白河法皇が創建、火伏の神(火雷神・迦具土神)を祀ります。

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本殿の裏に神木の「すだじい」があります。椎の木の一種で江戸時代以前からここにあり樹齢500年~800年といわれています。2004年度に京都市保存樹に指定されました。

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下は本殿の左手にある「飛梅(とびうめ)天満宮」 後白河法皇が菅原道真とその屋敷にあった伝説の飛梅の霊を祀ったといいます。

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明治時代の神仏分離令により妙法院から独立、新日吉神社となりました。1897年に豊国廟が再建され、現在地に再移転しました。

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後白河法皇の神霊が祀られた翌年、社名が新日吉神社より新日吉神宮に改名されました。神宮とは天皇や皇室に近い人を祀る神社です。

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