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2018年9月15日 (土)

首途八幡宮 9月15日は例大祭

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

今出川通を歩いていると、首途(かどで)八幡宮の前に露店が出ていたので立ち寄ってみました。昨日は宵宮祭でしたが、行事はほとんど終わりかけていました。

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このあたりは平安京の大内裏の北東に位置し、「首途八幡宮」は王城鎮護の神として鎮座してきました。皇后たちの崇敬も厚く、『源氏物語』に登場する桃園親王の旧跡としても知られています。

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平安時代の末、この地には商人・金売吉次(かねうりきちじ)の屋敷があったといわれています。1149年、吉次は宇佐八幡宮の神霊を勧請し、屋敷内に「内野八幡宮」を建てたのが当社の始まりです。

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1174年源義経は、鞍馬山を下りて奥州平泉の藤原秀衡を頼って京を出ます。その際、当社に立ち寄り、道中の安全と武勇上達を祈願して出発したとされます。以来、首途八幡宮と呼ばれ、首途とは「出発」の意味です。下は「源義経奥州首途之地の碑」。

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当時の東北地方は金を産出し、吉次はそれを京で取引することを生業としていました。(二の鳥居と右は社務所。)

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実は、『平治物語』では「奥州の金商人吉次」、『平家物語』では「三条の橘次と云し金商人」、『源平盛衰記』では「五条の橘次末春と云金商人」、『義経記』では「三条の大福長者」で「吉次信高」というように、この金商人の名や出身には様々な記述があります。

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いずれにしても、金売吉次は金の産出国の領主・藤原秀衡と面識があったと考えられています。そのような金商人のグループを吉次で代表したという説もあります。(八幡宮の使いである鳩があちこちに見られ、下は手水舎。)

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吉次は、鞍馬寺を参詣したとき義経と出会い、承安4年(1174)3月3日に義経とともに奥州へ向かいました。『平治物語』では義経に奥州への案内を依頼され、『義経記』では吉次から話を持ちかけたとされています。

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平治の乱で父が敗死したことから、牛若丸は11歳の時に鞍馬寺へ預けられ遮那王(しゃなおう)の名を与えられました。やがて15歳になると、遮那王は僧になることを拒否して、自らの手で元服を行い、桃の節句に京を旅立ちました。(三つの参道に別れます。)

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吉次は下総国で義経と分かれましたが陸奥国で再会し、その取り計らいによって義経は藤原秀衡と面会しました。(左の二つの石段はどちらも高台の上にある本殿に向かい、この日は中央の石段を上りました。)

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その後の義経についてはよく知られていますが、『平治物語』によると義経の郎党の堀景光の前身が、この金売吉次であるとされています。(石段の脇には奉納された石柱が並んでいて、多くは江戸時代のものです。)

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吉次は行商の途中に強盗に襲われ殺害されたとされ、福島県白河市白坂皮籠の八幡神社に吉次兄弟のものと伝えられる墓があります。

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一方で、栃木県壬生町稲葉にも吉次の墓があり、吉次は義経が頼朝と不仲になり奥州に逃れる際にも同行して、当地で病死したとされています。(勇ましそうな狛犬です。)

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本殿には祭神として、誉田別尊(ほんだわけのみこと、応神天皇)、比咩大神(ひめのおおかみ)、息長帯姫命(おきながたらしひめのみこと、神功皇后)を祀ります。

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誉田別尊(応神天皇)は八幡神、他の2柱と合わせて八幡三神と呼ばれています。古来から清和源氏、桓武平氏などを始め全国の武家から武運の神として崇められてきました。

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現在の首途八幡宮には、義経にあやかり厄除、旅立、旅行安全、海外旅行安全などの信仰があり、ここが金売吉次の屋敷跡とされることから金運開運、開運招福、夜泣き、癇虫封などのご利益もあるとか。

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隣に授与所があります。この日は開いていて首途八幡宮の紹介パンフと、「神社暦」の冊子を無料でいただきました。

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昨日(14日)の宵宮祭は正午から厄除開運児童育成祈祷、午後1時から御神楽の奉奏がありました。(高台から降りて、右の鳥居をくぐります。)

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私が訪れたときにも、本殿で個人への祈祷やお神楽が行われていました。(ここには弁財天が祀られています。)

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首途八幡宮は、天明の大火(1788年)で社殿や宝物類を全て焼失してしまいました。(社務所の横でもお神楽が行われたようです。本日15日は午前11時から例大祭、午後1時からお神楽の奉奏があるそうです。)

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かっての境内は広く、池や築山をめぐらし、春の桃の花が咲くころに桃花祭が行われました。社頭は多くの参拝者で賑わい、稚児舞の奉納など、あたかも絵巻物を見るようだと伝わっています。(隣の「桜井公園」もかっての境内地だと思われます。)

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『雍州府志』によると、金売吉次の邸内には大きな井水があり、清冷な水が湧いていました。その後、首途八幡宮の社務所内の井戸「桜井」は、「西陣五水」の一つとして知られるようになりましたが、現在は失われてしまいました。

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かっての桜井にあやかって、この公園に井戸が掘られ、小川や池の水源となっています。生垣の向こうが社務所なので、かっての桜井と同じ水脈だと思われます。

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桜井公園は10年ほど前に造られた市の公園ですが、いつも地域のボランティアの方によって手入れされて、「京都景観まちづくり賞」を受賞したそうです。

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コメント

こちらの授与所、開いてるときがあるのですね。
私は無人販売?おみくじを引いて戻りました。

10月はいつもの西陣の一棟貸しに宿を取り、りせさん過去記事をたどります。お寺の名前で過去記事検索できるので大助かりですhappy01
昨日コメ返しを拝読し、きちんと調査・納得したものしか載ってないと知り、ますます りせさんブログを尊敬しました。
どこより多い写真数に加え、しかも意味のあるものに厳選してるということですよね。神業ですheart04

投稿: ゆっこ | 2018年9月15日 (土) 13:14

可愛い鳩の神社ですが、
義経の不運の始まりだったのですね。
義経は、お人好し過ぎたのかもしれません。
もう少し野心があれば、歴史は変わっていたと思います。

投稿: munixyu | 2018年9月15日 (土) 19:13

★ゆっこさん こんばんは♪
そんなにコダワリがないことを褒めていただいて、ちょっと照れます。10月のご旅行、楽しくなるといいですね。

投稿: りせ | 2018年9月17日 (月) 00:46

★munixyuさん こんばんは♪
義経はみんなから愛されている人物ですね。最近、義経は生きていて、東北から北海道まで点々と残る痕跡を訪ねるというTV番組を見て、ほとんど信じてしまいました。

投稿: りせ | 2018年9月17日 (月) 00:56

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