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2018年9月11日 (火)

上品蓮台寺 9月の花めぐり

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

千本北大路から少し下がったところにある上品蓮台寺(じょうぼんれんだいじ)を訪れました。

「上品蓮台寺」は、山号を蓮華金宝山(れんげこんぽうざん)、院号を九品三昧院(くぼんざんまいいん)という真言宗智山派の寺院です。枝垂れ桜で有名ですが、いつ訪れても様々な花が咲く寺です。

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上品蓮台寺の創建は古く、飛鳥時代に聖徳太子が母の菩提を弔うために建立した香隆寺(こうりゅうじ)が始まりとされます。(山門の正面は玄関ですが、拝観はしていません。)

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平安時代の天徳4年(960)宇多法皇の勅願によって、東寺の寛空(かんくう)僧正が再建し、寺号を上品蓮台寺と改めたといわれています。この頃は広大な寺域を持っていたそうです。

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しかしながら、室町時代の応仁の乱(1467-1477)の兵火によって焼失して、衰退してしまいました。(最初に境内の南にあるお堂を見て回ります。)

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安土桃山時代の文禄年間(1592-1596)、豊臣秀吉の援助を得て、紀州根来寺の性盛(しょうせい)により復興されました。(大師堂)

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当時は千本通をまたがって十二の支院を有していたことから「十二坊」とも呼ばれました。このあたりの「北区紫野十二坊町」という地名がかっての隆盛を伝えています。(鐘楼は境内の南端にあります。)

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「本堂」には村上天皇より賜った勅額を掲げ、本尊の延命地蔵菩薩像を安置しています。

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江戸時代の寛文年間(1661-1673)、霊元天皇の命により、僧・宝山が洛外・六地蔵以外の48か寺の地蔵尊を選んだ洛陽四十八願所の霊場のひとつになりました。(南門のそばに支院の「宝泉院」のお堂があり、その右手から墓地に入ります。)

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墓地には平安時代後期の仏師・定朝の墓があります。定朝は大規模な工房を構え、数々の仏像を制作して仏師として初めて法橋(僧位の第三位)に上り詰めました。現存する確実な遺作は平等院本尊の木造阿弥陀如来坐像(国宝)だそうです。

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明治時代の初め、政府の上知令によって上品蓮台寺は大部分の寺領を失い、支院も3院だけとなってしまいました。(墓地から戻り、玄関まで戻る途中に中門があります。)

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ところで、寺名にある上品(じょうぼん)や九品(くほん)とは仏教の教えの中に出てくる言葉です。(庭園が見えます。)

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衆生の機根の違いによって、極楽浄土へ往生する9つのパターンがあるとされます。機根とは仏の教え理解する能力や度量や器、性格などを示し、一般にいう「根性」ばこの機根に由来する言葉だそうです。

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上品上生(じょうぼんじょうしょう)、上品中生から下品下生(げぼんげしょう)までの9つです。(玄関の付近には多くの花が植えてあります。)

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また、寺名にある蓮台はこのあたりの地名・蓮台野に由来します。「庫裡・寺務所」

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一般にいう上品(じょうひん)や下品(げひん)は上の九品が由来だそうです。庫裡の入口にある石像、昔飼っていたワンちゃんの代りでしょうか。

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鳥居の先には歓喜天を祀る「歓喜天社」があります。右の看板には、「十二坊執事」の名で、ここで幼児を遊ばせないようにと書いてあります。おそらく大人は入ってお参りしてもよいと思います。

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境内にある他の看板や掲示も、このように「十二坊」の名で書かれています。寺が興隆していたときの十二坊を名乗るのはちょっと物悲しい気もしますが、お寺の心意気かも知れません。

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境内の北は支院「真言院」の境内になります。地図には載っているのですが、お堂がありません。向こうは墓地で、右に土蜘蛛が埋められたとされる椋の大木があります。

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真言院は廃寺ではなく再建途中だと思われいつも気になっているのですが、最近変化がありません。千本通から見ると、立派な山門が残っています。

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真言院の墓地の方に向かいます。

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このあたりの「蓮台野」は、かって、鳥辺野(東山)や化野(嵯峨野)と並ぶ葬送の地でした。かっては無数の石仏が並んでいて「千本」という地名の由来になりました。この石仏群は、化野念仏寺のように蓮台野から掘り出され寺に持ち込まれたものと思われます。

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椋の大木の根元に「源頼光朝臣塚」(土蜘蛛塚)があります。頼光は平安時代中期の武将で酒呑童子討伐や土蜘蛛退治で知られています。ここには、頼光によって退治された土蜘蛛が埋められているといわれています。

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そばにある「阿刀氏(あとし)塔」 阿刀氏は空海の母で空海が儒教を学んだ平安時代前期の学者・阿刀大足(あとのおおたり)の妹でした。この石塔の前で、病人が身に触れた衣服を祈祷して焼き、その灰を飲むと病が全快するとされます。

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現在のご住職の奥さんは、肺の手術をするときに先代住職から阿刀氏塔に参っておいでといわれ、初めてこの塔が肺病平癒の信仰もあったことを知ったそうです。

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いつ来ても花が咲いているような気がします。

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山門まで戻りました。フタを踏まないようにとの心遣いだと思われます。

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コメント

フタを踏まないようにとの心遣い、
そういうの、いいですね。
誰も踏まないと思います。

投稿: munixyu | 2018年9月11日 (火) 12:17

ほんとうに個々の枝垂桜は見事で、何度も訪れたい所。。。以前行った時は法要の真っ最中で、人の出入りが結構あったので、なかなか探索できませんでしたので、今度行ったらちゃんと見て回ろうとおもいます!

投稿: ばるさろ | 2018年9月12日 (水) 06:11

★ばるさろさん こんばんは♪
紅枝垂桜は他と満開の時期が少しずれているようで、一斉に見頃の風景になかなか出会いません。他の季節は静かな境内で、全く雰囲気が違いますね。

投稿: りせ | 2018年9月14日 (金) 01:22

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