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2018年8月 9日 (木)

安養寺 法然・親鸞ゆかりの古刹

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

昨日の記事の円山公園の高台の東に安養寺があります。前の道は知恩院の大鐘楼につながっていますが、遅くなると門が閉ざされます。

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「安養寺」は 正式名称を慈円山大乗院安養寺という時宗の寺院で、吉水草庵とも呼ばれます。明治初年に上知によって境内地を政府に接収され、後に公園となったとき山号が「円山公園」の名の由来になりました。

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奈良から平安時代にかけての延暦年間(728~806)、桓武天皇の勅命によって、最澄がこの真葛(まくず)ヶ原の北東の地に創建したと伝えられています。当時このあたり一帯の台地には葛やススキが生い茂り、真葛ヶ原と呼ばれていました。

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平安時代には荒廃しましたが、付近の青蓮院に住していた天台宗の慈円(慈鎮和尚)の援助を受けた法然が承安5年(1175)にこの地に住み、吉水草庵を建てて浄土宗の教えを広め始めました。(本堂には阿弥陀三尊立像を祀っています。)

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法然上人の門下には関白九条兼実、武将・熊谷直実、浄土宗の一派をあみ出した高僧たちから、庶民、遊女、白拍子なども集まりました。後に浄土真宗の開祖となる親鸞上人も建仁元年(1201)に弟子になりました。弟子が増えて中、西、東の三坊に拡張されました。

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しかし、建永元年(1206年)「承元の法難」によって、法然上人は土佐、後に讃岐に流罪となり、浄土宗の一大拠点の吉水草庵は大打撃を受けました。そこで慈円が本格的に復興に着手し、比叡山から弁財天を勧請して鎮守として弁天堂を建て、

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法華懺法の専門道場・大懺法院を建立しました。それによって寺勢は回復し、慈円は吉水僧正、吉水大師と呼ばれました。このころ慈円が山号となり現在の正式名称で呼ばれるようになりました。このころから寺は円山(まるやま)とも呼ばれたそうです。

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南北朝時代の永徳年間(1381-1383)に、時宗の国阿(こくあ)上人が入寺して以後、時宗十二派の一つ霊山派(現、国阿派)に属しています。 本堂の左から山道が知恩院まで続いています。「墓地に付き通行禁止」の張り紙から御廟の前の「一心院」だと思われます。

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一心院は知恩院の境内に囲まれていますが、独立した寺院だそうです。「交通災害者慰霊塔」 知恩院の大鐘楼の奥にありますが柵が遮っているので、安養寺の管理かと思われます。立派な塔ですが情報が見つかりません。

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本堂の横から上に石段が続いていて、お堂が建っています。

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「圓山 聖天堂」 生駒聖天より勧請された大聖歓喜天尊を祀ります。かっては「雨宝堂」とよばれ、吉水弁財天堂、本堂(本坊)とともに、現存する安養寺の建物の一つです。

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ここは東山三十六峰の22番目、円山(標高98m)の山頂です。21番の華頂山(将軍塚、標高216m)と23番長楽寺山(標高190m)の間にあり目立ちませんが、西山に落ちる夕陽が美しいことで知られています。

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聖天堂の前に「浴油」と刻んだ石碑が並んでいます。もともと聖天様は、強大な力を持った神ですが、大層欲心が盛んで差別心の強い性格でした。しかし、十一面観世音菩薩の教えにより慈悲平等の心に改め、仏法の守護神として衆生救済に努めるようになりました。

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しかし、聖天様の煩悩は強く、絶えず清浄な油で濯(そそ)ぎ流して清潔な徳を顕わしていただく必要があるのだそうです。これが浴油供養と呼ばれ、密教のなかで最も深淵・最高の祈祷だとされています。

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ちなみに「清浄歓喜団」という奇妙な形と名前の唐菓子は聖天様の大好物だとか。少し南に行くと、昨日の記事の其中庵やお宿吉水・天青庵の横から登る山道と出会います。その山道は円山公園に含まれていて、公園の最高地点だと思われます。

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もう一度本堂の前に戻ります。桂樟蹊子(かつらしょうけいし)の句碑「露けしや真葛ヶ原に石の階」 桂樟蹊子(1909-1993)は水原秋桜子門下で、「馬酔木」や「京大俳句」を経て、「霜林」を主宰しました。

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石段参道の途中に墓地があります。そこに「都をどり功労者」の「尾田木ゆう」の墓があります。都をどりは明治5年(1872)の第一回京都博覧会の余興として行われ、翌年には常設会場として祇園甲部歌舞練場が建てられました。

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尾田木ゆうは都をどりの創設者の一人で、弥栄会館前の「八坂歌舞場碑」にもその名があります。

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安養寺は時宗の寺となりましたが、今日でも法然・親鸞両上人ゆかりの地、念仏の根本道場として浄土宗、浄土真宗をとわず念仏信者の参詣が絶えないそうです。

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コメント

真夏は、石仏や石碑が涼しくていいですよね。
石って不思議ですね。

投稿: munixyu | 2018年8月 9日 (木) 10:46

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