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2018年8月 4日 (土)

川床と貴船神社・結社

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

一昨日の記事の貴船神社・本宮を出て、貴船川沿いの路を遡り結社(ゆいのやしろ)を目指します。ここには「川床(かわどこ)」を構えた京料理のお店が並んでいます。鴨川では、平安時代から夕涼みをする習わしがあったといわれます、「ひろや」

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「鴨川納涼床(ゆか)」が最初に文献に登場するのは江戸時代前期の寛永2年(1662)の旅行書『案内者』だそうです。江戸時代中頃には河原に床几のを置く茶屋は400軒を数えたといわれています。明治時代になると現在のように建物から床を張り出す形になりました。

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一方、貴船は古くから京都随一の避暑地として知られてきましたが、貴船川での川床が始まるのは大正時代になってからです。最初は沿道の茶屋が暑さしのぎに川に床几を出し、客が川に足をつけて涼めるようにしたといわれています。「仲よし」

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昭和5年に叡山電鉄が鞍馬まで開通すると、以前に比べて貴船を訪れる人も増加しました。その後しばらくして、鞍馬山から降りてくる人々に向けて川床を出すお店が増えてきました。

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しかし、昭和10年の集中豪雨で鴨川の橋がいつくも流される「鴨川大洪水」が起こりました。その豪雨は上流の貴船川をも襲い、お店は土砂に押し流されてしまいました。鴨川では翌年から抜本的な河川改修が始まり、現在のような河川敷が設けられました。

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貴船川沿いのお店が復興したのは戦後になってからで、その後しばらくして川床で料理を出すようになります。しかし、昭和25年のジェーン台風、昭和34年の大雨によって、貴船のお店は大きな被害を受けました。 「右源太」

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当時の貴船川は川幅が狭く、大雨で増水すると鉄砲水が流れて大きな水害となったそうです。その後、貴船川の治水工事が進み、新聞やテレビで取り上げられると、川床を目当てに訪れる人々も増え、お店の数も増えてきました。

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ちなみに、貴船は「京の奥座敷」といわれることから「床(とこ)の間」と同じ感覚で「川床(どこ)」と呼びます。一方、鴨川では川沿いに設けられた「高床(ゆか)」が省略されて「床(ゆか)」あるいは「納涼床(ゆか)」と呼ぶそうです。

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それぞれのお店は紹介しませんでしたが、懐石料理、川魚料理、川床料理などの名で京料理やその他の和食(麺類など)が頂けます。多くのお店は宿泊もできる料理旅館で、歩けば30分かかる叡電・貴船口駅との間にマイクロバスの送迎があります。「ひろ文」

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毎年5月1日の「川床開き」から9月27日までの期間、貴船に川床が設けられるそうです。そうこうしているうちに、左手に結社への石段が見えてきました。

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結社は本宮と奥宮(おくみや)との間にあることから中宮(なかみや)とも呼ばれます。

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結社の祭神は磐長姫命(いわながひめのみこと)ですが、磐長姫命が縁結びの神として信仰されることになった理由は、次のような神話にもとづいています。

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日向国に降臨した瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が美しい木花開耶姫(このはなさくやひめ)と結婚しようとして、父の大山祇命(おおやまつみのみこと)に申し出ると、父は大いに喜び、風が吹いても石のように変わらず働くようにと姉の磐長姫命を添えて送り出します。

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ところが、妹が容姿端麗なのに姉の磐長姫命が大変醜かったのに驚き恐れ、瓊瓊杵尊は磐長姫命を送り返してしまいました。(社の裏を回ると桂の大木があります。かっては願いを書いた文がいっぱい結ばれていました。)

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磐長姫命は大いに恥じて。「我長くここにありて、縁結びの神として世のため人のために良縁を得させん」とこの地に鎮座したといわれます。結社とよばれる理由もこのためです。(この木に願い文を結ぶと効力が無くなると書かれてから、誰も結ばなくなったそうです。)

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平安時代には既に縁結びの神として知られ、宮廷の貴族から庶民まで幅広い人々が参詣したといわれています。女流歌人の和泉式部は夫の心変わりに思い悩んで参詣して、貴船川に浮かぶ蛍を観て、

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「ものおもへば沢の蛍もわが身よりあくがれいづる魂かとぞみる」と詠みました(上の歌碑)。すると、「おく山にたぎりて落つる滝つ瀬の玉ちるばかりものな思ひそ」という返歌が聞こえ、やがて願いどおり夫婦仲が円満になったといいます。

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以来、貴船神社は「恋の宮」と呼ばれることになりました。かっては縁結びを願う人は細長い葉を玉垣などに結び付けるとご利益があると信じられていました。現在では、細長い緑色の紙に願い事を書いて結び処に納めるようになっています。上の方に写真があります。

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ホトトギス同人の松尾巌の句碑「貴船より奥に人住む葛の花」、もとは本宮の石段下にありました。

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「天の磐舟」 貴船の山奥より産出した貴船石で、平成8年(1996)に京都市在住の作庭家・久保篤三氏から、祭神の磐長姫命が乗る御料船として奉納されたものです。

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結社は、男女の縁結びだけでなく、人と人、子授け、就職、企業間など様々な縁を結ぶ神としても信仰されているそうです。ここから奥宮に向かいます。

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コメント

涼しいというか、寒いかもしれませんね。
床と川床。
どちらも夏を感じて、いいですよね。

投稿: munixyu | 2018年8月 4日 (土) 12:43

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