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2018年8月 3日 (金)

八坂神社 西楼門から南楼門へ

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

貴船の記事はお休みして、今日は祇園祭が終わった八坂神社です。上の楼門は室町時代の明応6年(1497年)建造で、切妻造の2階建て、西楼門とも呼ばれます(重文)。

楼門をくぐった正面の摂社「疫(みやみ)神社」は蘇民将来を祀ります。疫病除けの神の牛頭(ごず)天王がその獰猛な容貌から后になる者がおらず、鳥のお告げにより、后を求めて南海への旅に出ました。富豪の巨端将来に一夜の宿を求めると冷たく拒まれます。

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弟の蘇民将来に快くもてなされ、天王は竜女と結ばれ八人の王子が生まれました。国に帰る旅の途上、巨端将来の一族を滅ぼし、蘇民将来とその子孫には、疫病の難から逃れ、終生の加護を約束しました。7月31日の疫神社夏越祭が祇園祭の最後の行事です。

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末社「太田社」 猿田彦命(さるたひこのみこと)と天鈿女命(あめのうずめのみこと)を祀ります。猿田彦神は天孫降臨に際して道案内をした導きの神、天鈿女命は天照大神の天岩戸隠れの際に岩戸の前で神楽を舞った芸能の女神です。

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楼門からの参道が南から東に曲がるあたりに長刀鉾の石像があります。平成14年に「阪下石材店」と「ぎおん石」が奉納したものです。ぎおん石は石段下で天然石や化石を販売している会社です。

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「蛭子社」(祇園えべっさん) 全国でも古く平安時代に創建され、珍しく北向きに社を構えていることから「北向蛭子社」ともよばれています。 日本古来の商売の神ですが、記紀に出てくる事代主神(ことしろぬしのかみ)と同一視されます。

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現社殿は江戸時代前期の正保3年(1646)の建造で重要文化財。大阪の今宮戎神社は八坂神社の氏子が今宮に移り住んだとき、祇園のえびすをその地にお祀りしたことに始まり、現在でも今宮戎神社から、祇園祭や大晦日には奉納があるそうです。

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「大国主社」 祭神は大国主命、事代主命、少彦名命(すくなひこなのみこと)です。福の神、縁結び、恋愛成就の神です。

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向かいに大きな「授与所」があります。数年前から一年安鯛の「鯛みくじ」が人気のようです。

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「本殿」(重文) 承応3年(1654)建造で、本殿と拝殿を1つの入母屋屋根で覆った「祇園造」。中御座に主祭神・素戔嗚尊 (すさのおのみこと)、東御座にその妻・櫛稲田姫命 (くしなだひめのみこと)、西御座に子供たち八柱御子神 (やはしらのみこがみ)を祀ります。

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「南楼門」は神社の正門にあたり銅板葺きの2階建て、明治時代前期に再建後、昨年初めて本格的修理が完了しました。祇園祭の3基の神輿はここをくぐります。

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「舞殿」 芸舞妓の舞踊の奉納を始めとする様々な奉納行事や結婚式が行われます。平成21年から281個の提灯が白熱電球から省エネ・長寿命のLEDに取り替えられ、八坂神社の他の施設の電灯も順次LEDに取り換えられています。

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手水舎は西楼門を入ったところにもあります。

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「神輿庫」 祇園祭で活躍した3基の神輿が納められています。毎年7月10日の夕方、3基の神輿が取り出されて舞殿に安置、夜になって中御座神輿が四条大橋での神輿洗に臨みます。

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南楼門をくぐった先は下河原通で、八坂の庚申堂まで続きます。古い町並みの雰囲気の良い通りで、しばらく歩くと八坂の塔が見えてきます。この日は、ここから八坂神社の境内に戻りました。

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「石鳥居」(重文) 本殿南側の正面入口で、江戸時代前期の正保3年(1646)の建立。寛文2年(1662)の地震で倒壊後、同6年(1666)に補修再建されました。扁額は有栖川宮熾仁(たるひと)親王で、現存する石鳥居としては最も大きいそうです。

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室町時代後期から、南楼門の前には向かい合った二軒茶屋がありました。現在は東(右)の中村楼だけが残っていますが、明治初年までは西には藤屋という茶屋がありました。店の前にあった藤棚からつけられた屋号でした。

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藤屋の初代はこの井戸の水を沸かして参詣者に振舞ったので、「きよめの茶屋」とよばれたそうです。もっと昔の延長3年(925)、都に疱瘡(天然痘)が流行り、醍醐天皇を始めとして人々は病に苦しみました。

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その惨状を見かねた空也上人は、八坂神社に参籠して帝や人々の病気平癒を祈念しました。その際上人はこの井戸の清水を沸かした白湯を人々に施し、それを飲んだ人々は癒やされたといわれています。

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井戸の横にある大きな灯籠は「月下氷人石(げっかひょうじんせき)」と呼ばれ、江戸時代後期の天保年間(1830~43)の凶作による人々の難儀を見かねた人が、祇園社に祈念して奉納したものです。この灯籠は尋ね人の案内板にもなっています。

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南面(左)に尋方(たづぬる方)、北面(右)に教方(おしゆる方)と彫ってあって、迷子や尋ね人の情報を書いた紙を貼ったのだそうです。

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上の写真の中央は与謝野晶の歌碑「清水へ祇園をよぎる桜月夜こよひ逢ふ人みなうつくしき」。

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「能舞台」 正月3日の金剛流と観世流による初能奉納を始めとする能の奉納や、正月7日には「はるた始め式」が行われます。祭神の素戔嗚尊が櫛稲田姫命と結婚したとき、その喜びを「八雲立つ・・・」と詠んだのが和歌の始まりとされています。

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「斎館」 神事が行われる前に神官が心身を清めるために籠るたてものです。神事の参列者の控えの建物にもなっているようです。

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ライオンズクラブが寄進した時計台、プレートには「和良以」と書いてあります。宮司さんの筆で「和を以(も)って良しとなす」という意味だとか。祇園祭の鉾の形をしていることに初めて気が付きました。

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コメント

夏の静けさがどんどん深まって、真夏を感じますよね。
時計台、鉾の形をしていたのですね。
そういう、小さな発見って嬉しいですよね。

投稿: munixyu | 2018年8月 3日 (金) 12:55

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