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2018年7月 7日 (土)

七夕伝説と京都の七夕祭り

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

一昨日からの大雨は今朝は少し小降りになっています。京都の被害が心配ですが、とりあえず今日は七夕にちなんだ記事にします。以下では、今まで訪れた七夕風景を見ながら、七夕伝説が現在の七夕祭になった歴史を振り返ります(今年の七夕情報も少し)。

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TOPから下までは高台寺の「七夕会」です。今年の7月7、8日に行われる予定だった七夕会・夜間特別拝観および七夕茶会は中止となりました。

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日本の「七夕」は、中国の伝説にもとづいた乞巧奠(きこうでん)という行事が奈良時代に伝わり、古来からあった棚機津女(たなばたつめ)の伝説と合わさって生まれたとされます。(下は貴船神社「水まつり」、「七夕飾りライトアップ」、今年は7月9日に水まつりが行われる予定でしたが中止となりました。)

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はるか昔、天上の東方に美しい天女の七人姉妹が住んでいました。 彼女たちの織る美しく雲のような布からできた天衣は、羽織れば天地の間を思うままに行き来できました。ある日、七人姉妹はこの天衣を羽織って地上に行って水浴びをします。

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一方、地上では一人の若者が年老いた牛と貧しい暮しをしていました。ある日突然その牛が言葉を話し、「今日は天上の美しい天女たちが地上に降りてきて川で水浴びをします。その間に天衣を盗んでしまえば、天女は天に戻れずあなたの妻になるでしょう」。

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それを聞いて若者は、川のほとりで水浴びをしている天女たちの天衣の一つを奪いました。驚いた天女たちは、次々と天衣をまとって逃げていきましたが、天衣を奪われた末の妹だけは天へ戻ることができず、あきらめて若者の妻となりました。

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若者は田畑を耕し、天女ははたを織って暮らしました。やがて息子と娘の二人の子供が生まれ、4人は幸せな生活を送っていました。ところがある日若者が家に帰ってみると、家の中はがらんとして二人の子供が泣きじゃくっています。(下は月遅れの「京の七夕」。)

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いつまでも戻ってこない天女に天の上帝が怒り、神兵を送って天女を連れ帰ってしまったのです。呆然としている若者に年老いた牛が言いました。「天女を追いかけなさい。私を殺して皮をはぎ、その皮をまとえば天に昇ることができます」。(鴨川会場です。)

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ずっと自分のために働き、天女と結婚できたのもこの牛のおかげだと思うと、若者は牛を殺すことができません。すると牛は自ら柱に頭を打ちつけて死んでしまいました。若者は泣きながら牛の皮をはいでまとい、二人の子供をかごに入れて天に昇って行きました。

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上へ上へ昇っていくと、神兵に連れられて行く天女の姿が見えてきました。やっとのことで追いつき子供たちが手を伸ばして母親のたもとをひっぱろうとしたとき、天の一角から巨大な手が伸びて天女と若者たちの間にさっと一本の筋をひきました。

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それは上帝の妹・西王母の手で、頭につけていた金のかんざしを抜いて天に筋をひいたのです。するとたちまち若者と天女の間に大河ができてしまいました。こどもたちと若者はあきらめずにひしゃくで大河の水をくみ始めました。

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上帝は、妻に対する若者の愛情と母を慕う子供たちのけなげさに心打たれ、毎年七月七日の夜だけ夫婦親子が川を渡って会う事を許しました。(こちらは京の七夕、堀川会場。)

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今も空には金のかんざしのように光る天の川を挟んで、若者(牽牛星)と天女(織女星)の星がきらめき、牽牛星の隣に並ぶ二つの小さな星が子供たち、少し離れたひし形に並んだ四つの星が天女が若者に投げたひしゃくといわれています。

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伝説が長くなってしまいましたが、7月7日に織女星にあやかってはた織りや裁縫が上達するようにとお祈りをする中国の風習が乞巧奠です。庭先の祭壇に針などをそなえ、星に祈りを捧げます。やがてはた織りだけでなく芸事や書道などの上達も願うようになりました。

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一方、古来から日本では、夏に選ばれた乙女が清らかな水辺の機屋にこもり、着物を織って神棚にそなえ、秋の豊作を祈ったり人々のけがれをはらう行事がありました。この乙女は「棚機女(たなばたつめ)」、織り機は「棚機」(たなばた)と呼ばれました。(清凉寺)

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やがて仏教と乞巧奠の風習が日本に伝わると、上の行事はお盆を迎える準備として7月7日の夜に行われるようになりました。下は石像寺(釘抜地蔵)で、七夕の頃にはあちこちの寺社で笹飾りを見ることができます。

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最初は、宮中や貴族の間で行われ、桃や梨、なす、うり、大豆、干し鯛、アワビなどを供えて星をながめ、香をたき、楽を奏でました。サトイモの葉にたまった夜つゆを「天の川のしずく」として墨を溶かし、梶の葉に和歌を書いて願いごとをしました。(大将軍八神社)

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江戸時代に七夕行事が五節句の一つとなると庶民の間にも広まり、全国的に行われるようになりました。野菜や果物をそなえて、詩歌や習いごとの上達を願いました。梶の葉のかわりに五つの色の短冊に色々な願い事を書いて笹竹につるし、星に祈るお祭りと変わっていきました。

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ところで、中国の伝説で7月7日の夜に牽牛と織女が会うとき、鵲(カササギ)が翼を並べて天の川に渡す「烏鵲橋(うじゃくきょう)」ができるといわれています。祇園祭で行われる「鷺(サギ)舞」は、この伝説をもとに八坂神社に奉納された舞がはじまりとされます。

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京都では鵲が知られておらず、鷺の一種だろうと考えて笠を被った白鷺を鵲に見立てたものといわれます。ただし、歌詞は鵲となっているそうです。

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江戸時代初期、七夕の日に少女が舞った「小町踊」も奉納され、元禄時代の粋で優雅な風情を感じさせます。これらの鷺舞が奉納される祇園祭の「お迎え提灯」は今年は7月10日の予定です。

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「赤熊(しゃぐま)」 お囃子ですが、カワイイ!

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コメント

七夕。涼しさがあっていいですよね。
ロマンチックな行事、夢があると思います。
一年ももう後半、早いものです。

投稿: munixyu | 2018年7月 7日 (土) 18:28

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