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2018年6月23日 (土)

長建寺 中書島の弁天さん

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

昨日は雨も降らず太陽も出てきたので、久しぶりに外出しました。京阪中書島の駅前の石柱に「豊臣秀吉公 守本尊 辨財天御像・長建寺 是北一丁」とあります。「長建寺」は正式名称を辨財天長建寺、山号は東光山(とうこうざん)という真言宗醍醐派の寺院です。

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長建寺は「島の弁天さん」と呼ばれて親しまれてきましたが、なぜ「島の」なのでしょうか?向うに「山門迎福 門をくぐるだけで福がくる・・・」とあります。

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山門は、江戸時代建立の中国風竜宮門。下の部分に対して上の楼閣部分が極めて小さいのが特徴で、屋根瓦も上にいくほど小さく造られています。軒の垂木も放射状に付けられるなど、京都でここしか見られない建築物です。

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安土・桃山時代の文禄年間(1592-96)この地は伏見城下町で、中務少輔(なかつかさしょうゆう)に任官していた武将の脇坂安治が屋敷を構えていました。(山門の内側に「延命地蔵・子育地蔵」が祀られています。)

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中務少輔の唐名から脇坂を「中書さん」と呼んだのがこのあたりの地名の起こりです。(左は「飛龍大権現」で、困難を乗り切り長寿の神とされ、右の「摩利支天尊」は勝負の神で、かっては戦国武将が信仰し、現在は合格祈願が行われています。)

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当初、脇坂の屋敷は宇治川の分流で囲まれた島地にあったことから、このあたりは「中書島」とよばれました。脇坂の屋敷は1694年までここに建っていたそうです。(鐘楼と和歌のおみくじ)

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伏見城は家康が天下を獲り、徳川幕府になってもしばらくは政治の中心として征夷大将軍の宣下(将軍の就任式)などが行われてきました。大阪夏の陣の後も、二条城が将軍参内時の宿舎、伏見城が居館用として利用され続けてきました。

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しかし、一国一城令の主旨からも両城を維持するのは困難とし、1619年に伏見城の廃城が決まり、1623年の三代将軍家光の宣下の後に伏見城は取り壊されました。そして、天守は二条城に、多くの建物は駿府城を始め、全国各地に移築されました。(土蔵)

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土蔵の前に、江戸時代に前の川の弁天浜で三十国船を係留するために使われていた「杭」が置いてあります。

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元禄12年(1699)伏見奉行の建部内匠頭政宇(たけべたくみのかみまさのき)が、伏見城廃城以後荒廃していた中書島を再開発するにあたり、深草大亀谷の即成就院から塔頭多聞院を分離し、てこの地に創建したのが長建寺の始まりです。

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寺名は、建部氏の長寿を願って名付けられたといいます。伏見の名水として知られている閼伽(あか)水が湧いています。

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一方で、1611年に高瀬川が開かれ、大阪と京都が水運で結ばれるとこの地は河口、中継地として重要性が増していました。(本堂には、本尊の八臂弁才天と脇仏の裸形弁財天を祀っています。弁才天を本尊とする寺は、京都では長建寺だけだそうです。)

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伏見奉行は、西の伏見城下にあった遊廓をこの地に移転、酒の名所であるために遊びに来る人が多く繁栄するようになりました。宇治川に近く交通の便が良い中書島遊郭は、島原に次ぐ賑わいをみせ、祇園をしのぐほどの名妓を輩出してきたそうです。

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弁才天は音楽をもって衆生を救う神で、福徳・智恵・財宝・延命をもたらす七福神の一つです。中書島の遊女は技芸上達の神として信仰しました。(本堂前に「蛙石」があります。)

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また、弁才天は宇治川や廻船の守護神でもありました。長建寺の鐘は時を知らせるために撞かれ、三十石船の往来や非常時の知らせにも使われましたが、戦争中に供出されて失われてしまいました。(矢印に従って境内を回ります。)

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「弁天型燈籠」 1699年に建部政宇が寺の建立と共に奉納、御香宮や藤森神社にも同型の燈籠を奉納しています。伏見奉行に着任してすぐの時期で、彼の伏見への意気込みがわかります。

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水天尊は、八方天の一つ西の守護神で、水の神、河の神であることから、伏見では重要な神とされています。ここに井戸があったようです。

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「マリア燈籠」 かつて、近くにあり御所にも出入りを許されたお茶屋「紅屋」の隠れ座敷の庭にあり、戦後に長建寺に移されました。火袋の下の竿部に十字架のような膨らみがあり、棹の下部に彫られたマリア像を土中に隠して埋めて礼拝したといいます。

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「福富稲荷」 稲荷大明神を祀っています。

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7月の「弁天祭」は、かっては宇治川に神輿や篝船が繰り出す舟渡御が行われ、大坂の天神祭の起源ともいわれています。中書島遊廓あげての盛大な祭で、祇園からも大勢の参詣があったそうです。舟渡御は川の流れが変わり昭和26年を最後に途絶えました。

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境内の中央に「護摩の炉」があります。弁天祭と2月の節分祭には、醍醐派修験道の最高の神髄とされる柴燈(さいとう)大護摩修行が行われます。ゴミ捨て場ではありませんと書いてあります。

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正面のお堂に、右から水天、不動明王、聖宝尊師理源大師(山伏の本尊)、青面(しょうめん)金剛が祀られています。青面金剛は、病魔、悪鬼を払い、盗難除けの神で、庚申信仰では人間の体内にある三尸(さんし)という3種類の悪い虫を退治してくれるといいます。

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江戸時代後期の1826年に再建され、幕府により菊と桐の紋を使用することが許可されました。明治初めの廃仏毀釈により一時衰退しましたが、その後三宝院門跡歴代の尽力により再興されました。

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中書島の発展に大きく関わった長建寺ですが、お祭りや桜の時以外は静かな境内です。

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コメント

弁才天の次に出てくる大きな石、
なんかETみたいで面白いですね。

投稿: munixyu | 2018年6月23日 (土) 18:18

★munixyuさん こんばんは♪
やはりETに見えますか。珍しいと思って昔テレビ番組に応募したのですが、何も連絡がありませんでした。

投稿: りせ | 2018年6月27日 (水) 01:45

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