« 金剛寺(東山三条) | トップページ | 三条小鍛冶の旧跡を訪ねて »

2018年6月12日 (火)

三条通を歩く 東大路通から東へ

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

Jno_4730a
※写真は全てクリックで拡大します。

昨日の記事の金剛寺は東山三条の東にありますが、昨日あらためて三条通を東に歩きました。以下では一部数日前の写真も混じっています。上の写真は和紙の専門店「書楽」。東大路通からすぐに古川町通を横切り、こちら(南)側は古川町商店街になっています。

Jno_4735a

「大西漆器店」 寛政元年(1789)創業の漆器の老舗です。古くは、御所出入りのお店で、寺社仏閣の精進料理の器なども手掛けてきたそうです。このあたりの三条通は古い町家ど新しいビルが共存しています。

Jno_4737a

「紙嘉 前田商店」 江戸時代の元禄年間(1688-1704)創業の紙の老舗です。

Jno_4743a

「カドヤ作業服店」 創業大正12年(1923)のこの業種では老舗です。各種作業服や履き物、ツナギのオリジナルブランドもあります。

Jno_4744a

三条通白川橋を渡ります。左は先日紹介した糸屋ホテルのビルです(ホテル?)。

Jno_4748a

「シロガネ理容」 古い町家ですが前面は綺麗になっています。

Jno_4751a

賃貸マンション「パークウィーク京都東山」の前に「坂本龍馬 お龍『結婚式場』跡」の石碑があります。ここはかって青蓮院の塔頭金蔵寺があった場所です。元治元年(1864)8月初旬、龍馬とお龍は本堂で内祝言(内々の結婚式)をあげました。

Jno_4755a

金蔵寺が選ばれたのはお龍の父が青蓮院宮に仕えた医師だったからと考えられます。一般には寺田屋事件の後、西郷隆盛の媒酌で夫婦となったといわれていますが、明治32年(1899)頃に聞き取られたお龍の回想録の方が正しいと考えられています。

Jno_4754a

喫茶「あるペンローズ」 2階に「新谷ダンス道場」、右隣に「京都滋賀県人会事務局」があり、3~6階は賃貸マンション「ビスタ三条白川」です。

Jno_4764a

「(株)富士美術工芸 象嵌部」

Jno_4766a

「KYOTO TRAD」 京都の仏教文化、伝統文化、畳文化のアンテナショップだそうです。その左隣が昨日の記事の金剛寺です。

Jno_4768a

お食事処「明日香」 看板にあるうどん・そば・湯どうふ定食以外に、トンカツやフライの定食、鍋物、漬け物各種、お酒の肴などがあります。このあたりでは少ないお食事処です。

Jno_4773a

神宮道を横切ります。向うの「お福」は京うどんと蕎麦のお店で、お昼と夜は22時から26時まで営業しています。

Jno_4775a

神宮道の向こうに平安神宮の大鳥居が見えます。左の「SAKIZO VILLA」は今年5月にプレオープンしたホテルです。下はちりめん洋服のショップです。

Jno_4776aa

春秋ビルの1階の「竹泉」は和洋割烹のお店です。お弁当も各種あり、お料理のお持ち帰りもできるそうです。

Jno_4781a

「旧白川小学校校舎」 白川小学校は明治2年に市民が設立した番組小学校に始まり、粟田小として平成16年まで続き、有済小と統合して白川小になった後、再統合により閉校しました。今年、跡地活用事業者として住友商事が選ばれて市と協定書を交わしました。

Jno_4157a

5月15日には市と住友商事、地域住民との三者の2回目の事前協議会が開催され、跡地活用に関する合意の形成を目指しているそうです。現在一階には「東山消防団粟田分団器具庫」があります。この前後は数日前の向かい側からの写真です。

Jno_4159a

隣に粟田神社の鳥居があります。

Jno_4170a

向かいに「相槌稲荷社」の鳥居があります。この二つの神社は別の機会に記事にします。

Jno_4286a

「HOTEL MATERIAL」 全6室の小さな三つ星ホテルです。

Jno_4797a

「作部屋(さくべや)」 骨董品屋さんで、気軽に入りやすい雰囲気です。

Jno_4804a

「イーストハイツ」 賃貸マンションです。

Jno_4811a

「立正佼成会京都教会」

Jno_4817a

「仏光寺本廟」 右の大きな石標は七代目小川治兵衛の寄贈です。

Jno_4818a

実は、ここまで通ってきた三つの寺社は平安中期の刀匠「三条小鍛冶」の旧跡です。明日はそれらを訪れます。

Jno_4913a

お帰りの前に、ブログランキングの応援のクリック↓をよろしくお願いします。

  ★こちらを是非よろしく→   ブログ村→にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ
-------------------------------------------------------------------

Jno_4814a

|

« 金剛寺(東山三条) | トップページ | 三条小鍛冶の旧跡を訪ねて »

コメント

閉校跡地をどうするのかは難しいですね。
僕の母校の小学校は、老人ホームになるらしいです。

投稿: munixyu | 2018年6月12日 (火) 18:43

★munixyuさん こんばんは♪
お返事、随分滞りすみませんでした。京都の場合、多くの小学校は住民が建設した番組小学校から始まり、学制が整ってから市立小学校に移行しました。その歴史のため、小学校の跡地の利用については住民も参加して決定するという形が普通になっています。市内に残されたレトロな校舎は、いろいろな目的に使用されていて、それも京都の町並みの一つになっています。

投稿: りせ | 2018年6月17日 (日) 00:14

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 金剛寺(東山三条) | トップページ | 三条小鍛冶の旧跡を訪ねて »