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2018年6月15日 (金)

大将軍神社(東山区) 稲荷社再建中

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

少し前ですが、東山三条にある大将軍神社を訪れました。昨年10月の台風で被害にあって現在再建中ということで気になっていました。東大路から一筋西の通りを南に入ると鳥居があり(上)、下は鳥居の横にある「絵馬堂」。

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延暦13年(794)の平安京遷都の際、桓武天皇は大内裏鎮護のために都の四方に「大将軍」を祭神とする大将軍神社を置きました。この神社は東の方角を守り、平安京に入る七口の一つ・三条口に当たるので、邪気の侵入を防ぐため重要視されてきました。「本殿」

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社殿はたびたびの戦火によって廃絶し、江戸時代の文政12年(1829)朝議大夫(ちょうぎたいふ)陸奥守千葉正胤(ちばまさたね)がこの地に再興しました。(現在は祭神として素戔嗚尊を祀り、相殿には関白・藤原兼家を祀っていますす。)

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当初の祭神「大将軍」は陰陽道の方位の神で凶をもたらすと信じられ、疫病神として知られる牛頭天王の息子です。時代とともに、仏教の神の牛頭天王は日本神話の素戔嗚尊と同一視され、神仏習合が行われるようになりました。

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一方、牛頭天王の子供の八将神(大将軍はその一神)は、素戔嗚尊の子供の8神と同一視されることもありましたが、大将軍は素戔嗚尊自身であると見なされてもきました。大将軍の性格が子供たちより素戔嗚尊自身に似ていたからです。

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明治初年の神仏分離令によって、牛頭天王を祀ってきた祇園社(八坂神社など)は祭神を素戔嗚尊に改めましたが、大将軍を祀ってきた神社の多くも祭神を素戔嗚尊と改めました。

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相殿に藤原兼家(929-990)を祀っている理由は、かってこの地に彼の屋敷「東三條殿」があったからです。兼家は989年に太政大臣、990年に関白になり。藤原氏の摂関政治の基礎を築き、その子の道長のときに藤原氏の全盛期を迎えます。

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関白太政大臣・藤原道長(996-1027)は、父・兼家の神像画を合祀して東三條殿の鎮守としました。東三條殿は1156年の保元の乱、応仁の乱(1467-1477)で火災に遭い失われ、鎮守社「東三條社」の社標石がだけが残されています(上の写真)。

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現在は東三條社の跡地に「天満宮」が建てられています。

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天満宮の右隣には「白龍弁財天」が祀られています。白龍は弁財天の化身で、人間を改心に導き、自然界の神と崇められたといわれています。

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「隼(はやぶさ)神社」 奈良市角振新屋町にある隼神社は、祠が治承4年(1180)の兵火で失われその後神木を祀るようになり、平安遷都に伴い京都に分祀されたといわれています。祭神の角振(つのふり)神・隼神はともに(災いをはねのける)攘災神とされます。

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平安時代初期に平安京朱雀院に隼神社が勧請され、10世紀までに東三条殿の西北隅にも鎮守として勧請されたといわれています。

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かつてこのあたり一帯は「鵺(ぬえ)の森」とよばれ、本殿の左にその名残とされる樹齢800年といわれるご神木の銀杏があります。平安時代末、近衛天皇は、毎夜清涼殿に現れ不気味な鳴き声を上げるもののけに怯え、病いになってしまいました。

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武勇の誉れが高かった源頼政(1104-1180)がもののけ退治に選ばれ、夜を待って鵺の森に現れた、頭が猿、胴が狸、手足が虎、尾が蛇という怪物(鵺)を射落とし、家来の猪早太(いのはやた)が太刀でとどめを刺しました。「神馬舎」

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「獅子王(ししおう)」という号がある平安期の太刀(重文)が現存し、鵺退治の功により朝廷より頼政に下賜されたものといわれています。この太刀は頼政の子孫の竹田城城主・赤松広秀に受け継がれました。「倉庫」

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しかし、彼が関ヶ原の戦いにおいて鳥取城下を焼き払ったとして徳川家康に切腹を命じられ、獅子王は没収されてしまいました。2015年、濡れ衣によって切腹させられた赤松広秀の名誉を回復するためのプロジェクトが発足しました。


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刀剣女子ブームもあって、インターネットでの募金も目標を達成。そして、刀工・髙見國一氏らによって東京国立博物館が所有する獅子王の写し刀が製作され、今年の4月22日に竹田城跡に奉納、418年ぶりに名刀が赤松広秀ゆかりの地に戻りました。「社務所」

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ところで、昨年10月23日静岡に上陸した超大型台風21号は京都にも被害をもたらしました。時代祭が中止となり、北野天満宮、知恩院、石清水八幡宮などの建物の一部破損が報道されました。この神社では区民の誇りの木の高さ約20mの榎の木が倒れました。

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そのため末社の「荒熊稲荷社」の祠と狛狐が木の下敷きとなり、建物は倒壊してしまいました。下は台風に襲われる少し前の荒熊稲荷社の写真です。

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先日訪れたときには、ずいぶん小さくなりましたが祠が再建されていました。

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こちらの狛狐は無傷です。

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こちらは前足に怪我をしたようですが、治って元気そうです。

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祠の周囲が工事中で、祭神の稲荷神はまだ戻っていないようでした。

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となりの手水舎は傾いたそうですが、もとに戻っています。

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コメント

老木は折れると怖いですよね。
何かを咥えている狐って、珍しいですよね。
あまり見ないような気がします。

投稿: munixyu | 2018年6月15日 (金) 14:47

★munixyuさん こんばんは♪
どちらも神の使いとされますが、狛犬と違って狛狐はそれ自身が信仰の対象となっている場合があるようです。伏見稲荷大社では、狐が稲穂、鍵、玉、巻物などを咥えていて、それぞれ違った意味があるそうです。一方、一つの祠でも何も加えていない狐もいて、それぞれ役割があるのかも知れませんね。

投稿: りせ | 2018年6月17日 (日) 01:18

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