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2018年6月11日 (月)

金剛寺(東山三条)

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

昨日の記事の満足稲荷神社を出て、東山三条の交差点から東に歩きました。

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しばらくすると、左手に金剛寺があります。天台宗の八坂庚申堂の正式名称も金剛寺ですが、こちらは山号を一切経山という浄土宗の寺院です。

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金剛寺の創建は古く、奈良時代の天平年間(729-749)に行基(ぎょうき)が東岩倉山の一切経谷に創建した阿弥陀堂が起源とされ、「上(かみ)の堂」とも呼ばれました。山門の内側の石標には「阿弥陀峯一切経谷 阿弥陀堂」とあります。

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東岩倉山とは蹴上の近くにある、東山三十六峰の一つ大日山のことです。伝えでは、行基は丈六(約4.8m、座れば約3m)の阿弥陀如来像を彫ったとされます。「本堂」

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平安時代の応仁の乱(1467-1477)で東岩倉山一帯は戦場となり、当寺も戦火で荒廃しました。(本堂には本尊の阿弥陀如来像を祀っています。)

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伝えによると、焼けた御堂から首だけになった阿弥陀如来像を信者たちが見つけだし、それを粟田の地に遷し、最初は菰(こも、わら)を敷き、その上に阿弥陀如来の頭部像を祀りました。そして浄財を募り、仮堂(粟田惣堂)を建てたといわれています。

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現在でも蹴上には「小物座(こものざ)町」という地名が残っています(地下鉄蹴上駅のあたりです)。

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以降、地元の住民たちによって御堂は守られ信仰されてきましたが、江戸時代初めの慶長7年(1602)に岌然(きゅうねん)上人が、青蓮院門跡の許可を得て、 現在の地に堂を移し寺を再興しました。「玄関」

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正徳3年(1713)に本尊が修復され、享保15年(1730)には本堂が建立されて現在に至ります。

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また当寺は「洛陽四十八願所巡り」の第27番札所で、慶長年間の頃から、朱印に「行基菩薩御作(おんさく) 出陣の弥陀安置」という印を捺しているそうです。「庫裡・寺務所」

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ところで、京都府教育委員会は昨年(2017年)「府暫定登録文化財」の制度を創設しました。文化財の指定や登録を受けていない歴史的建造物や絵画、仏像などについて、保護の裾野を広げることで、散逸を防ぎ、保存維持するのが目的です。向かいの観音堂。

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調査や登録の手続きを簡素化し、修復や防犯・防火対策などの補助制度を設けています。昨年8月に第1回登録リストを発表、金剛寺の本堂と観音堂は第3回(昨年12月)に同文化財に登録されました。

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以降、今年の2月の段階で有形文化財(建造物)548、有形文化財(美術工芸品)397、有形民俗文化財45、記念物(史跡、名勝)26の合計1,016件が登録されています。最近記事にしたところでは、金地院、南禅院、瑞泉寺の建物なども登録されました。

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毎月第3水曜日の午前7:30~10時に「おてらカフェin金剛寺」が開かれています(3月と8月は行事のためお休み)。墓を供養する菩薩。

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9:30までは本格的なコーヒーの淹れ方体験、7:30~7:45ご住職のお勤めと法話、8:00から講師を招いてのワークショップ、7:00~10:00ワンコイン(500円)マッサージなどがあります。参加費500円(コーヒー付き)で途中参加、退出自由だそうです。

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コメント

梅雨でテンションが下がりますが、
綺麗な紫陽花をみてると、心が和みますよね。

投稿: munixyu | 2018年6月11日 (月) 15:18

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